2009年12月30日水曜日

アリス・シュローダー「スノーボール ウォーレン・バフェット伝」(上)(下)

スノーボール (上) ウォーレン・バフェット伝

スノーボール (下) ウォーレン・バフェット伝

 もしかしたら今年読んだ中で、ベストかもしれない。ベストスリーにはいるのはまちがいない。ウォーレン・バフェットを知らない人間が読んでどういう感興を得るのかはわからないが、個人的にはすばらしい一冊だった。
 しかも今まで様々なことを見聞きして(ほとんど読んでだが)、なんとなく描いていたウォーレン・バフェット像はうまく安定してなくて居心地が悪かったのだが、それがかちっと、はまったのはありがたい。たとえそれが現実のバフェットとちがっていたとしても。
 それにしてもでてくる人でてくる人――とくにパートナーシップをはじめて以降、みんな、頭が良い人間ばかりで少しばかりがっくりくる。ベンジャミン・グレアムやチャーリー・マンガーは当然としてとくにビル・ゲイツには驚嘆してしまった。パソコン業界を独占していたこともあって反感を覚えてしかたがなかったのだが、1990年に銀塩写真があやういことを見抜いていたことには驚くしかなかった。うつろな記憶でしかないが、当時まだデジタルカメラはそれほど出回ってなかったはずだ。カシオのAV-10がでるか、でないかのころだったような。
 やはり只者ではなかったのね、という感じだろうか。
 まぁ、でてくる人、みんな只者ではないんだけどね。バフェットグループの平均IQ160って何よ。

 そして、考えてしまうのは「学習」の価値だ。インターネット時代になっていろんな情報にアクセス可能になり、情報格差はなくなっているのかもしれないが――インサイダー情報のような投資情報に差がなくなり、だれもが同じ条件下にいるといわれるが、実はそうではないのかもしれない。発想や思いつきは頭の中の情報の組み合わせなので、情報がどこにあるか、アクセス方法がわかっていれば、いい、ただ、頭に知識をいれておくことは無意味だ、というのは嘘ではないか。むしろ「学習」の価値は増えているのではないか……と。

2009年12月28日月曜日

すげーな

これ、リアルタイム映像でできるようになったら何を信じていいものやら。


2009年12月13日日曜日

壊れたMacのハードディスクからデータをレスキュー

次の手順でデータをWindows側に引っこ抜いた。



センチュリー 裸族のお立ち台 eSATAコンボIDEプラス CROISEU2を購入。
これでUSB経由でハードディスクにはアクセスできるが、WindowsがMacのファイルシステム(HFS+)を認識してくれないので、MacDrive 8の試用版をインストール。
これでディスクが見えるようになったので後は単純にコピー。

2009年12月10日木曜日

壊れたMacからハードディスクを引っこ抜くことにした。

壊れたMacからハードディスクを引っこ抜くことにした。



えいやっ。



ばっこん。



よっっしゃっ、こんなもんよ。

2009年12月3日木曜日

クリス・アンダーソン「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
 前作「ロングテール」と併せ読むことをお勧めする。
 おそらく多くの人が「ビットは無料になることを望んでいる」ということは十年以上前から気づいていたにちがいない。それにもかかわらず、本書のようにまとめられ、言葉――「フリー」をあたえられると、衝撃的だ。個人的にはGNU――スツールマンのフリーウェア宣言――フリーウェアは無料のソフトウェアのことではない。自由なソフトウェアだ――に影響を受けているので、「自由」と「無料」をまとめる「フリー」には顔面を殴られたような気分だった。
 と同時に、これから急速にフリー化がすすむにちがいない。
 概念が提示された以上、そのように発想することが容易になるからだ。多くの人がフリーからお金を生みだそうとするだろう。
 かくいうぼくもアイデアが――これはいけるぞっ、というアイデアが浮かんだが、それをすぐに実現する道がない。人脈も伝手も資金もないぼくにはそれを実現する道がない。おそらく「フリー」を読んだ人の一部は同じようなアイデアを思いついたにちがいなく、その中のだれかがアイデアを実現するだろう。ちくしょう。想像するだけで悔しくて夜も眠れなくなるが、それが商売ってもんだ。

陰陽



2009年12月1日火曜日

グローバリズム

 それにしてもこんなにグローバリズムが進むとは思ってなかった。
 昔から英語が嫌いだったのでバイアスがかかっていたということもあるけど、英語を身につけた方がいい、と気づく機会もあったというのに。10年、もしかしたらもう15年も前になるかもしれないけど、インターネットのはしりの頃だ。Ashahiネットというパソコン通信でインターネットサービスがはじまったとき、ちょっと触れていたのだ。telnetとか、ftpなど。http――WWWはキャラクタベースで提供されていた。それを見てどの情報も英語がベースだったので(当たり前だ)、英語が攻めてくる、と思ったものだった。
 それから国内のサイトが充実したのですっかりグローバリズムと世間で騒いでいても海外へでていくような企業しか関係ねえ、と思っていた。
 それがあっという間にITバブルが弾けて急激に世の中のグローバル化が進んでしまった。世界がフラット化してしまった。
 いやぁ、まいったなぁ。

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)
フラット化する世界 [増補改訂版] (下)

2009年11月30日月曜日

宮崎駿監督「紅の豚」


 鮮烈な印象に残っているのは主人公のマルコが自分の秘密基地に飛行艇でもどってくるところだ。舳先が浅瀬の砂にめりこみ、砂が舞う。そのシーン。それを観た瞬間、軽いプルースト現象が起きた。「失なわれた時」が立ち上がってきた。
 子どものとき、見た光景。
 マルコの秘密基地のように無人島の入江の砂浜で水中眼鏡をして潜っていたとき、小舟が船外機を止め、惰性で浜へ近づく。その様子を水中で見ていた。音もなくなだらかな海底の砂の斜面へ舳先が迫り、砂浜に喰いこんだ。その瞬間に砂が舞いあがる……。
 息を飲み、走り抜けていく過去の光景を見つめていたのは、1秒にも満たない瞬間だったにちがいない。
 不思議なのはそれが「紅の豚」で起きたということだ。
 「黄金の七人」という映画の中でも似たようなシーンを見たように思うが、過去は立ち上がってこなかった。実写ではなく、省略され、誇張され、整理されたアニメだからこそ、起きたのではないか。それはたぶん、記憶というものが省略され、誇張され、整理されて抽象化されているからだろう。歪み、水の質感がきわめて記憶したものに近いからこそ、急激に過去が想起されたのではないだろうか。
 絵というのは描く者の記憶をいったん、通り抜け、抽象化が起こなわれているものだからだろう。


 同じような経験は「崖の上のポニョ」でも起きた。
 嵐の中を戻ってきた家が停電で蝋燭を母親が探すシーンだ。
 台風のときのおなじみの光景……それがふいに甦ってきて涙ぐんでしまった。
 これはアニメだからなのだろうか。それとも宮崎駿だからなのだろうか。他にもアニメは観ているが、こんなことが経験をしたのは宮崎駿だけだ。

宮崎駿監督「紅の豚」

2009年11月26日木曜日

クリス・アンダーソン「ロングテール―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略」



 アマゾンはあまり売れない(数がはけない)本でも売れる。それをロングテールという、という論調で語られる――実際に「ロングテール」を読んでみると、著者のいっていることはもっと深い内容だった。それは売る側の話ばかりではない。それはコンテンツ提供側にもインパクトを与える。
 たとえば、プロとアマチュアの差とは何か。
 プロを優秀でアマチュアはそうではない、というのではなく、実は売れるかどうかではないか。ロングテールによって小売りの構造が変化したならコンテンツ提供者としてのプロとアマチュアの区分はなくなるのではないか。残るのは売れるコンテンツ提供者と売れないコンテンツ提供者というなだらかな区分だけだ。ロングテール以前の小売りの状況では売れないコンテンツ提供者は提供する道すら閉ざされているのだから。

2009年11月25日水曜日

笠井潔「人間の消失・小説の変貌」



 どうして小説は書けてしまうのか。理由は単純で、小説の本質は自己反復にあるからだ。小説家が小説を書いているわけではない。全宇宙にも匹敵する無限の内面から小説が生まれるわけでも、小説家が虚無から小説を想像しているわけでもない。DNAがDNAを複製するように、小説が小説を書く。あるいは本が本を書く。小説家とは小説と小説、本と本のあいだに挟まれた薄い栞のようなものだ。小説家がいなければ小説の自己複製は不可能だろうが、書かれた小説にとって作家は些末な存在にすぎない。
 同じことを小説家の側からいえば、創作の本質は模倣ということになる。「××のような」小説を書きたいという模倣欲望が、あるタイプの人間を小説家にする。だから「書きたいことがない」場合でも小説は書ける。書けてしまう。DNAの複製にかならず誤差が生じるように、小説の場合も不幸にして完璧な模倣は不可能である。どうしても存在してしまう誤差として個性や独創性、その他もろもろが結果として生じる。

笠井潔「人間の消失・小説の変貌」より


 であるにしてもどうして必然的に誤差が生じるか、という疑問は残る。その原因が著作権にあるということは本末転倒だろう。小説を書きたいという欲望は模倣であって複製欲望ではないということは重要だ。同じようにすばらしいものを書きたいという欲望が小説を書かせる、というのならそれはどこから来るのか。それは他者とはちがうということを証明しつづけなればならない個としての欲求ではないか。
 たとえ、「十九世紀の小説家が信じた個性や独創性が虚構にすぎない」としても。

2009年11月19日木曜日

杉山俊彦「競馬の終わり」



 どこで見かけたのか、すっかり忘れてしまったけれど、日本SF新人賞受賞作のタイトル――「競馬の終わり」というのを見てどんな内容なんだ、と思ったのだ。SFと競馬? どうむすびつくんだ、と。
 で、読んでみた。おもしろかった。
 最初の方でこれはもしかしたら筒井康隆の「馬は土曜に蒼ざめる」になるのかな、と思っていたら全然、ちがっていた。どことなくフィリップ・K・ディックの「高い砦の男」を思い出しのだけれど、これは内容というより書き方からの連想かもしれない。エピソードの積み重ね。登場人物がいろいろとペダントリックに語るあたりとか。

2009年11月6日金曜日

twitter

とりあえず、はじめてみた。http://twitter.com/yamada1961

マイケル・カプコン/エレン・カプコン「確率の科学史―「パスカルの賭け」から気象予報まで」



 まるでこれまで読んだ[アダム・ファウアー「数学的にありえない」や[レナード・ムロディナウ「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」のネタ本のような内容だった。確率に関しての記述はどうしてもこうならざろうえないのかもしれないが、原文のせいなのか、訳文のせいなのか、ひどく文意がとりづらい箇所が散見され、読み通すのが、つらかった。
 愕然とさせられたのはエントロピーに関する部分だ。
 エントロピー。復水盆に返らず。どうして復水は盆に返らないか。盆からこぼれた水がどうしてふたたび、盆に戻らないのか。分子の状態がランダムであるのならたまたま、盆に戻るような動きをすることもあるのではないか――。
 重要なのはそのことが起きないと否定されていないことだ。
 起きる可能性はある。
 ただしそれが起きる確率は異常に小さい――宇宙が誕生してから繰り返していたとしても起きないほど――。そのため、復水は盆へ戻らない。
 ひっくり返ってしまった。
 これはもしかしたら時間はない、といっているのと同じではないか?

2009年11月3日火曜日

角田史雄「地震の癖──いつ、どこで起こって、どこを通るのか?」



 先入観というものがいかに強いものか、ということを実感させられた。
 地震の原因はプレートの移動によるものだという先入観。小松左京の「日本沈没」で刷り込まれてしまったこの先入観をなかなか捨てることができなかったのだ。たとえば、本の中で地震活動、火山活動の連続について語っている部分に、ランダムな事象の中にパターンを読んでしまっているのではないか、と疑いを抱いてしまうように。最近では「スーパープリューム」が地震の発生原因だと考えられているということを漏れ聞いていたにもかかわらず、強い抵抗感を覚えてしかたがなかった。
 なるほど。こりゃあ、地動説をとなえたガリレオが宗教裁判にかけられるわけだ。

2009年11月2日月曜日

2009年10月30日金曜日

三橋貴明「マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~」



 最近、時々、林原のコマーシャルをテレビで見かける。
 社長が「カンブリア宮殿」にでたりしていたし。
 それはともかく、どうしてテレビコマーシャルをうつのだろう、と疑問でそんなことをする必要のある会社に思えなかったからだが、三橋貴明「マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~」を読んで何かわかったような気がした。
 「マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~」によると、テレビコマーシャルの値段がダンピングされまくっているのだ、という。この不況の時期に余分の金をだせる林原のような会社が――税金対策もあるのかもしれないが――テレビコマーシャルを打つ。うーん。納得できる。
 納得できるだけで真実は何か、まったくわからないわけだけど。

2009年10月28日水曜日

レナード・ムロディナウ「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」


 「たまたま」を読みながらしきりに既視感を覚えてしかたがなかった。
 たしかに「まぐれ」とコンセプトは近いけど――実際には「まぐれ」の方が強烈で不確定性に寄っている――、なんだろう。ラプラスが確率論を応用して惑星の位置を計算したという話をどこで読んだのだろう、と思っていたらようやく思い出した。アダム・ファウアーの「数学的にありえない」だった。こちらはエンターテインメントだが。
 なんか、このところ、統計や確率がらみの本をよく読んでいる。世の中のはやりなのか。よくわからないが。たんに自分の興味がそっちに向いているだけという気もする。みたび、競馬をはじめたぐらいだから。
 そして、「たまたま」を読んで勝間本を読むたびに覚えていた違和感の原因が少しだけわかった。たとえば、「起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術」の中ではじめて書いた本は売れず、売れている本を研究して次に書いた本がベストセラーになった、というようなことが書いてあったのだが――「たまたま」の文脈でいえば、それは次のようになる。
 ――たまたまなんじゃね?
 そうなんだよな。結果を意識的に選択できたような書き方が違和感なのだ、とようやく了解できた。そして、そう感じるのはもしかしたらぼくがギャンブルに耽溺するタイプの人間だからなのかもしれない。

2009年10月27日火曜日

elispでhtmlのtableをparse

 Meadowにhtmlからデータを取りこみたいと思ってhtml-parserがないか、と探し回ってみたけれど、見つけることができず。xml-parserはあるのだけれど、htmlを喰わせるとエラーになる。自分でプログラミングするしかないか、とあきらめてつらつらと考えてふと思いつく。タグを()に置換してやれば、elispのreadで取りこめるのでは?
 どうせ、取りこみたいのはtableのデータだし。
 で、つくってみた。あっさりできたのでびっくり。うーん。やはりLispのかっこは凄いな。汎用性はないだろうけど(tableのタグは他にもあったような気がする)、ぜんぜんぼくには充分。
(defun read-html-table()
"カレントバッファをhtmlのtableのみだと仮定してlistとして取り込む"
(let ((proclist '((lambda()(replace-string "(" "\"("))
(lambda()(replace-string ")" ")\""))
(lambda()(replace-string "[" "\"["))
(lambda()(replace-string "]" "]\""))
(lambda()(replace-string "#" ""))
(lambda()(replace-string ";" ""))
(lambda()(replace-regexp "<table[^>]*>" "("))
(lambda()(replace-regexp "</table>" ")"))
(lambda()(replace-regexp "<tr[^>]*>" "("))
(lambda()(replace-regexp "</tr>" ")"))
(lambda()(replace-regexp "<td[^>]*>" "("))
(lambda()(replace-regexp "</td>" ")"))
(lambda()(replace-regexp "<[^>]*>" " ")))))
(mapcar (lambda(x) (goto-char (point-min)) (funcall x)) proclist)
(goto-char (point-min))
(read (current-buffer))))

でも遅い。しかたないか。

2009年10月26日月曜日

ゼノンのパラドックス

ゼノンのパラドックス

あるところにアキレスと亀がいて、二人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか(注:イリアスにおいてアキレスの枕詞の一つは「駿足の」である)なので亀がハンデをもらって、いくらか進んだ地点(地点 A とする)からスタートすることとなった。

スタート後、アキレスが地点 A に達した時には亀はアキレスがそこに達するまでの時間分先に進んでいる(地点 B)。アキレスが今度は地点 B に達したときには亀はまたその時間分先へ進む(地点 C)。同様にアキレスが地点 C の時には亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけないことになる。

ゼノンのパラドックスの中でも最もよく知られたものの一つであり、多数の文献は彼の手に帰しているが、歴史家パボリノスの説によれば、この議論を創始したのはパルメニデスであるという

 実ははじめてこの話を読んだとき、うまく理解できなかった。
 パラドックスと認識できなかったのだ。
「いつまでたってもアキレスは亀に追いつけないことになる。」の「いつまでたっても」というのがまちがっているだろうとしか、思えなかった。パラドックスの前提は進む距離をどんどん細分化しているわけど、記述されていないことがある。時間もまた、無限に細分化している。進む距離が小さくなったということはその分、かかる時間も小さくなったということなのだから。
 つまり「いつまでたっても」というのではなく、ある時点(アキレスが亀を追い抜く瞬間)までの距離と時間を無限に細分化しているだけ――そうとしか、思えなくてパラドックスではなく、ただの嘘じゃん、としか、思えなかったんだよね。

2009年10月24日土曜日

関東で地震が今後30年に起きる可能性は70%

 関東で地震が今後30年に起きる可能性は70%、とテレビのニュース番組でいっているのを聞いて何をいっているのか、うまく実感できなかった。30年に70%という確率は高いのか、低いのか。まったくわからん。単純に70%といえば、普通は高いと感じるので来月にも引っ越してしまいたくなったのははたしかだが。
そのため関東エリアでは、首都直下地震と呼ばれるタイプのM7クラスの地震が、今後30年間で70%ぐらいの確率で起きるといわれています。

 だいたい、1年での確率はどれくらいなんだ?

 たとえば、コイン投げを30回くりかえしてそのうち1回以上、裏がでる可能性はどのくらいだ? 起きる組み合わせは 2の30乗通りだよな。えーと、Googleに計算させたら1073741824と出た。そのうち、1回以上、起きる可能性は1073741823/1073741824->0.999999999。
 つまり 99.9999999%の確率で裏のコインがでる、と。

 えっ?

 関東で地震が起きる可能性は70%だよな。 99.9999999%よりはるかに低いじゃないか。地震が起きるかどうかを丁半博打と考えたらそうなる。じゃ、どのくらい裏になりやすいコインだったら(地震が起きるのなら)30回くりかえすと、70%になるのか。
 これは

 1-(表になる確率の30乗)が0.7

 になれば、いいわけだから(表になる確率の30乗)が0.3か。Googleに計算してもらった。0.96^30 = 0.293857643

 表になる可能性が96%、裏になる可能性が4%のコインだと30回くりかえせば、1回裏がでる確率が70%ぐらいになる。

 ということはこの1年で地震が起きる確率は4%ということか。
 まぁ、けっこう高いかな。他の地域での起きる確率がわからないので比較しようがないけれど。
 それでも来月、引っ越ししなければ、というほどじゃないな。

2009年10月22日木曜日

海老原嗣生「雇用の常識「本当に見えるウソ」」



 うーん、どうなんだろう。
 著者の主張に賛成だとも反対だともないのだけれど、恣意的に統計資料を使用しているような見えてしかたがない。たとえば、第三章検証10では人口動態を考慮して35歳未満の正社員数が減少していることを批判しているけれど、第一章検証1では雇用は長期化している、と主張しているときには人口動態のことが考慮していない。新入社員が減少すれば、継続年数25年の割合は増えるわけだから考慮しないといけないのではないか。
 なのでちょっと納得しづらいよなぁ。

2009年10月20日火曜日

postgreSQLとOpenOffice

 postgreSQLのODBCをインストールしてOpenOffice経由でいじれるようにしたのだが、OpenOfficeのデータベースソフト経由からではテーブルのプライマリーキーを複数指定できないらしい。うーん、これでは。しかも表計算ソフトから複数レコード分のデータのコピー&ペーストもできない。csvファイルからのimportも見たところ、できないようだ。しかたないので結局、MeadowからSQLを直打ち。ODBCをいれた意味ねぇ。こまったもんだ。これではマイクロソフトに対抗できんのでは――表計算もエクセルのピボットテーブルに相当するものが見当らないし。残念。

2009年10月19日月曜日

postgreSQLとMeadow

 Windows版のpostgreSQL 8.4.1をインストール。なのにMeadowのsql-postgresからうまくアクセスできない。なんか変な感じ。パスワード入力の部分で行った切りになっているような。
 しかたないのでローカル環境からの認証をtrust認証にしてパスワード入力を殺す(pg_hba.confを修正)。それでもsql-progresで動かないな――と思ったらプロンプトが表示されていないだけでやりとりはできた。まぁ、これで今はいいか。
 返却されるコードがUTF-8らしいので.emacsに
(modify-coding-system-alist 'process "psql" 'utf-8)

 を追加。

2009年10月17日土曜日

エイヴリー・ギルバート「匂いの人類学 鼻は知っている」



 ひさしぶりにおもしろくて興奮した。
 自分の考え方に衝撃をあたえるようなタイプではなく、未知の知識に驚きまくる。サブミニナルの有名なコカコーラの映像を映画のフィルムに挿入した実験は実は信憑性がないことは知っていたけれど、あらためて納得。
 それにしても犬の嗅覚が人間の1000倍あるとかha、どうやらいうのは都市伝説のたぐいらしいのにも驚くし、一番、あれえ、と思ったのが、喫煙は嗅覚を鈍くするということはない、ということだ。そんな実証結果はないという。
 そうなんだ。

2009年10月8日木曜日

アルフレッド・ヒッチコック監督「めまい」



 元々、ヒッチコックは大好きなんだけど、不満が少しだけあって前半はむちゃくちゃおもしろいのに、どうして後半は失速してしまう傾向があるんだろう、と。まぁ、前半の伏線を回収して謎を説明しなければ、いけないのでそれはあたりまえの話なのかもしれないが――。
 ところが「めまい」は逆に後半になると、むちゃくちゃおもしろくなる。前半がヒッチコックにしてはサスペンス不足と思わせるのを我慢して見る価値があるほど。しかも最後の最後に驚天動地というわけではないが、叙述トリックが仕掛けられていてあっと思ってしまった。結構、評価高し。
 ただ、もったいないのは映像と音がリマスターしたもので、それがボーナストラックでいっているほどよくないこと。公開当時の状態で観たかった。

ジル・プライス/バート・デービス「忘れられない脳 記憶の檻に閉じ込められた私」



 自分に起きた出来事――自伝的記憶を詳細に思い出すことができる超記憶症候群(ハイパーサイメスティック・シンドローム)のジル・プライスという女性の自伝。しかも日付でその記憶を思い出せ、起きたことの日付を正確に思い出せる、という。これは起きたことの順序を正確に思い出せるということで、たとえば、阪神大震災と地下鉄サリン事件、どちらが先に起きたか、ということが一瞬、わからなくなるぼくみたいな人間には驚異だ。

 たぶんライティングした人間がとても上手で、幼ないころから居場所を見つけられなかった主人公が自分を知り、居場所を見つけるというストーリーにうまく構成されていて興味深くおもしろく読める。だけれど、ひとつ、知りたいことが描かれていなくて欲求不満だ。
 ――超記憶を持つジル・プライスはどんな夢を見るのだろう?
 描かれてないから知りたいと思っているのかもしれないが。

2009年9月30日水曜日

Windsurf、年毎、類似度?

 最近、「集合知プログラミング」「Rによるデータサイエンス - データ解析の基礎から最新手法まで」を片手にRをいじってみている。さすがに統計について何も知らないだけあってよくわからない。プログラミング言語としてもまだイメージがつかめず、苦しんでいるけれど、とりあえず、今までの自分のWindsurfのデータを喰わせてみた。年毎のゲレンデにおとづれた回数のデータ。これで年毎の類似性を調べてみようというのだ。関数はユークリッド距離関数を使用したけれど、ほんとうはピアソンの相関関数がいいんだろうな。でもdistでピアソンの相関関数を使用する方法がわからなくてねぇ……。とりあえず。
 クラスタ化してデンドログラムにしてみたのが、以下。



wind.data<-read.csv("data.csv",header=T,row.names=1)
wind.dist<-dist(wind.data)
wind.hc<-hclust(wind.dist)
plot(wind.hc,hang=-1)


 それをさらにマッピング。




wind.data<-read.csv("data.csv",header=T,row.names=1)
wind.dist<-dist(wind.data)
windsurf<-cmdscale(wind.dist)
plot(windsurf,type="n")
text(windsurf,rownames(windsurf),col=rownames(windsurf))

 ほおっ、いう感じ。ちょっと意外だけど、ユークリッド距離関数をつかっているからだろうか。

使用データ

2009年9月27日日曜日

R、ESS、Meadow

この間、インストールしたRをMeadowからつかえるようにESSをインストール。Makeconfの中をMeadow用に変更してCygwinからmake install。メモリの関係か、何度か落ちたけど、make installを数度、リトライしたら一応、できた模様。
 .emacsはここを参考にしてこんな感じ。
;; ESS
(require 'ess-site)
(modify-coding-system-alist 'process "Rterm" 'shift_jis-dos)

と思ったけど、あれれ、Rを動かすとshellモードがおかしくなるな……。
結局、Cygwinのbashだとだめみたいだからデフォルトのcmdproxyに戻した。

2009年9月23日水曜日

ナシーム・ニコラス・タレブ「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」



 サブタイトルから行動ファイナンスがらみの内容なのかと思っていたけれど――そういう部分も多いけれど――それよりはるかに深い内容であった。まったくの偶然なことに寸前に読んだ小説の「数学的にありえない」と内容がかぶっていた。それとも偶然ではなく、そういう系列に現在、ぼくが興味を抱いているだけということだろうか?
 最初の方を読んでいてすぐに思い出したのは馬券のことだった。三十代後半、馬券で喰えないか、と競馬場に通っていたころのこと。馬券で喰えるのではないか、と勘違いしていたわけだけど、その原因のひとつは馬券で喰えていると思しき人物がいたことだった。別に面識があるわけではなかったが、パドックでよく見掛けた。あの人が馬券で喰えることを証明している。それならぼくも――。
 そう考えていた。
 結局、ボロボロになったあと、ようやく気づいたのは次のようなことだった。
 関西と関東をあわせて馬券の喰おうとする人間は何万人といることだろう……そのうち、ひとりがたまたま喰えたということは充分、ありうる、と。
 当時は株式投資もまだ知らず、行動ファイナンスという言葉すら聞いたことがなかったというのに、なんと「まぐれ」と同じ考え方にたどりついていたわけだ――純粋に論理ではなく、馬券で喰えないという現実を受け入れられなくてやっかみ半分に考えた思考だったにちがいないのだが。

2009年9月4日金曜日

ジャコモ ・リゾラッティ/コラド・シニガリア「ミラーニューロン」


 ミラーニューロンという言葉自体は聞き覚えていたけれど、実際にはずいぶんとイメージしていたもの――じゃっかん、オカルトな感じを受けていたのだけれど、まったくちがっていた。しかもかつて屁理屈をこねていたことともリンクしていているように感じられて驚く。そして、ミラーニューロンが真実なら思った以上に、人間というのは身体感覚に閉じこめられている存在なんだなぁ、と。

2009年8月31日月曜日

山本弘「アイの物語」



この本に出会うことができてほんとうによかった。

2009年8月24日月曜日

イアン・スチュワート「自然界の秘められたデザイン 雪の結晶はなぜ六角形なのか?」


 わくわくしながらほとんど一気読み。
 自分が理系で学んでいないということがくやまれてしかたがないほどだ。別の事象であっても通底する法則がある。宇宙、生物、モノ……。おもしれえな。
 そして、中で紹介されている様々な知見や発見の多くが九十年代後半から200年代というのが、興味深い。きっとそれらのものはパソコンやワークステーションが高性能になったからこそ、可能になったことだろうからだ。

 それにしても非ユークリッド幾何学によると、三角形の内角の和が180度ではない、というのには驚いた――というか、とてもこまった気分になった。というのも中学のとき、三角形の内角の和が180度である、ということを習ったとき、球面上ではならないよなぁ、と思ったからだ。おかしいな、と。そのときはきっと自分のかんちがいだと自分の納得させたのだけど、なんとそれは正しかったんだなぁ。
 おしかったなぁ。何がおしかったか、わからないが。

2009年8月22日土曜日

浮動小数点とか

 このところずっとelispのプログラミングにかまけていたのだけれど――ちょっと競馬の予想プログラムをつくってみていたのだ――、elispの小数点以下をふくむ数値は浮動小数点なので厳密には正確ではない。
 ちょっとそれが不満で、たしか、commonLispならfloatじゃなかったけかなぁ、と考えていたところ、はたと気づいた。
 無限に小数点を表現できる言語があったとしてもどこかの桁数で丸めるということは必要じゃないか、と。単純に1÷3とやっただけで0.3333……と3が無限につづくのだから、1÷3とやっただけで処理がもどってこなくなってしまうじゃないか。1÷3なら割る前に判断がつくけど、たまたま、円周率をだすようなものならあらかじめ――X÷YのXとYの値を見て判断はつかないだろうし。
 そうやって考えると、コンピュータで正確に小数点を表現するなんて不可能なのか。しょせんコンピュータの中なんて有限なんだから。

 いやぁ、それにしても数学って時々、穴ぼこみたいに無限に落ちこむんだなぁ。

 よく現実は数学のようには割り切れないなんていうけど、実は数学でも割り切れないことなんてよくあることだよなぁ、きっと。

2009年8月16日日曜日

read-from-file

bookmarkとか、Gnusのデータってlistでファイルに保存されているよなぁ、と思っていろいろとlispのソースを眺めていたら「read-from-file」というのを見つけた。rails-lib.elの中――ああ、そうか。Lispのreadって元々、Cとかのreadとはちがっているけど、pp-to-stringで変換したlistの情報をファイルへ書きこんでそれを「read-from-file」でlistとしてとりこみ直せるのか。

しかもrails-lib.elには「write-string-to-file」というのがあるし。
「(write-string-to-file (pp-to-string OBJ))」でOK。

これって簡易データベースをもっているのと同じことだよな。データを保存するためにcvsファイルにわざわざする必要がなく、まんま、listをファイルに吐き出せば、いいということじゃないか。こりゃ、便利だ。

2009年8月4日火曜日

払戻金(単勝)での発生数



とりあえず、5000円まで。それ以上はロングテールがきつすぎるので。
最高発生数は180円。680件。

1番人気が勝つ確率



2000年からの32479レースのデータを元に計算。
昔、競馬の本で1番人気と2番人気でくる確率は6割だと読んだことがあるような気がしていたけど、計算してみるとありゃ、52%しかないじゃないか。

# 人気  レース数  確率
1  10858  0.334308
2  6142  0.189107
3  4306  0.132578
4  3008  0.092614
5  2265  0.069737
6  1747  0.053789
7  1231  0.037901
8  870  0.026787
9  675  0.020783
10  458  0.014101
11  377  0.011608
12  220  0.006774
13  139  0.004280
14  80  0.002463
15  62  0.001909
16  27  0.000831
17  12  0.000369
18  2  0.000062

2009年8月1日土曜日

2009年7月27日月曜日

不思議

 子どもに親の癌を告知すべきかということを話し合っているNHK番組を少し見たのだが、アメリカと比べて日本はまだ、文化的に親の病気を話すということが成熟していないという風な意見をのべている女性がいた。

 いつも不思議に思うのだが、文化的にはまだ、とか、いうとき、何を根拠にのべているのだろう。まさか、自分にはそう思えるというだけでいっているのだろうか。どうして自分に見える世界が実際の世界とずれていないと無根拠に思えるのだろう。どうしてそんなに傲慢でいられるんだろう。不思議でしょうがない。

2009年7月17日金曜日

マイケル・ベイ監督「トランスフォーマー」



最後にサムがキューブをもってビルの頂上を目指すシーンってアメフトだよねぇ。ああ、そうか。それで最初のところにアメフトの入団テストでサムがひどい目にあったという前フリがあるのかぁ。

2009年7月16日木曜日

コンピュータは消えていく--デザイナーの川崎和男氏、MS ReMIX Tokyoで講演 - 毎日jp(毎日新聞)

コンピュータは消えていく--デザイナーの川崎和男氏、MS ReMIX Tokyoで講演 - 毎日jp(毎日新聞):
"川崎氏の講演テーマは衝撃的だ。「コンピュータは消えていきます」――マイクロソフトが顔を歪めかねないタイトルの講演なのだ。川崎氏によれば、OSはなくなり、コンピューティングはもっと違ったかたちを見せるようになるという。"

デジタルなパサージュ」を読んだときにも思ったけど、これってオペレートすることしか、考えていない一面的な発想だよなぁ。そのオペレートする環境をだれが革新していると思っているのだろう。勝手にできあがるものだとでも思ってるんだろうか。それともサーバ側はコンピュータだと思っていないのだろうか。環境をいじり、それを楽しいと思う人間がいる以上、それはなくならないんじゃないのかなぁ。

2009年7月5日日曜日

小飼弾/山路達也「弾言 成功する人生とバランスシートの使い方」



 価値=ヒト+モノというのはわかっていたけど、それをバランスシートで表現されると軽い驚きを覚える。というのも地球上のモノの量は増えていないのに、どうして価値――流通するマネーの総量――が増えたかをバランスシートで簡単に説明してしまったからだ。つまりヒトが生み出す価値が増大した。あっ、そうかってなもんだ。そんなことわかってたといえば、わかってたんだろうけど、うまくイメージできてなかった。図で目にすると、驚いてしまう。

「強くなりたかったら、自分でコントロールできるものを増やせ」というのはたしかにそのとおりで、でもぼくみたいにコントロールできる割合を増やすためにコントロールできないものを捨てていったら何もかもコントロールできなくなりつつある――というのはある意味、冗談みたいな話だよなぁ。

2009年7月1日水曜日

はねトび 100円ショップ 梶原vs海老蔵

1コーナーで一時間近くやったほど、あまりにもおもしろかったのでメモ。

それにしても最後の梶原と海老蔵の勝負は象徴的だった。

最後に二品が残り、海老蔵と梶原、どちらかかを選ばなければ、という状況で、ひとつは高額商品でひとつは100円。それを海老蔵と梶原が選ぶ。ここまで海老蔵は全部100円。梶原は高額商品。結果は海老蔵の勝利だったのだが、塚地がその瞬間、呻く。ここは(梶原が)勝つと思ったのに~っ。

このセリフは、今まで全部高額商品だったのだから確率的に梶原が今回は100円でしょ、ということだろうが、これは確率を誤用した認識でしかない。どちらかの商品を選ぶ、という状況になった時点で確率は1/2にしかすぎないからだ。前回までがどうだったか、ということはまったく関係がなく、梶原が勝つ確率が高いというのはまったくの誤りなのだ。

で、実はギャンブルには唯一、必勝法と呼ばれるものがあって――それは「負け犬の逆を張れ」というやつで、そして、海老蔵が最後に品物を選ぶとき、梶原に選ばせていたのだ。これは本人は意識しての行動ではないだろうが、まさに「負け犬の逆を張れ」だ。よくよく思い出してみれば、海老蔵はつねに梶原の逆目を張っていた(梶原に無作為に選ばせたりとかして)。

そして、使い道の決まった金でギャンブルをやってはいけない、というやつもある。梶原、税金に納めなきゃいけないねん、という金を持ってきていた。これはギャンブル的にはアウトだ。

うーむ。凄い。
海老蔵はギャンブラーとしても一流だということだよなぁ、とギャンブラーとしては三流以下のぼくはとても感心してしまったのだった。

6月の体重



順調に体重が減少してますが、果たしてこれがいいことなのか……。
ダイエットしてないのに。

2009年6月29日月曜日

マルコム・グラッドウェル「天才! 成功する人々の法則」


マルコム・グラッドウェル「天才! 成功する人々の法則」

 シンクロニシティというか、この本を読む前につらつら考えていたことがある。

 ある人は才能があるとか、ないとか、人はいうけれど、実はそれは意味のないことではないか、と。才能がある、というとき、人は結果を見て事後的にそう判断しているだけだからだ。たとえ、結果をだしていない人間にたいして才能があるということがあってもそれが正しいかどうかなど、結果がでるまでわからないのだから。そうやって考えると、おれには才能があるんだ、とうぬぼれている人間にしろ、あの人は才能があるから、とやっかむ人間――ともになんの意味もない、とかなんとか。

 なのでこの本は実は「成功する人々の法則」ではない、と思うのだが。まぁ、それはおれが成功してない人間で、そのように読んでしまっただけかもしれない。成功している人間はこの本に、成功する法則を読みとるのかもしれない。一万時間の法則(一万時間をかければ、一流になれる)とかね。

 一万時間ねぇ……睡眠なら確実に一万時間超えているんだが。でもこれは睡眠なんか、一万時間超えていてもしかたがない、というよりだれもが、一万時間超えているからともいえるよな。つまり一万時間の法則も多数の人間が一万時間を超えることができない、という前提を必要とするわけだ。

 そう考えるとプロ棋士がパソコンで棋譜をすぐに検索できるという優位があっという間に無効になり(だれもがパソコンを使うので)、結局、その先が問題になる――という話と同じだ。きっとパソコンがなかったとき、トップクラスには一万時間が必要だったが、パソコンで棋譜が研究できる今も同じようにトップクラスに入るには一万時間が必要なのかもしれない。

 差を生み出すのが一万時間なのだろうか。

2009年6月28日日曜日

パソコンが壊れた

やべえ。
メインに使っているMacの電源が入らなくなった。
バックアップしてねえ。

PMU をリセットする方法もだめ。いきなりぷつんと電源が落ちたからなぁ。PMUが飛んだか、電源コードが断線したかだよなぁ……。

ショックでかすぎて立ち直れん。

2009年6月20日土曜日

2009年6月17日水曜日

橘玲「貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する」



とてもおもしろいのだけど、収入がないこの身にはまったく役に立たないのであった。
十年前に知ってればなぁ、というところだろうか。

2009年6月11日木曜日

山下鈴夫「激白 臓器売買事件の深層―腎移植患者が見た光と闇」


 いやぁ、痛い。
 たまらん――何度、本を閉じたことか。
 本の内容が痛いというわけではなく、前半の臓器移植を行なうまでの闘病のところがかなりきつい。将来的に自分がそうなる可能性が高いという思いがあることもあるけれど、たとえば、透析用のシャントで血管がぼろぼろになるという事実には打ちのめされてしまった。
 はふー。