2010年2月25日木曜日

iBearMoney



 お金を管理するために、ずっと貸借対照表――BSが出力できるものはないか、と探していた。個人のお金の管理なんてこづかい帳で充分だろう、という意見もあるかもしれない。しかし、それだと損益計算書――PLしか把握できない。定期的な収入があって財布の出し入れを管理するだけならたしかにそれで充分なのだが、現在、貯金を取り崩して生活している立場上、それだけでは不十分だろう。各銀行口座の状態を把握し、負債を管理するにはやはり、BSが必要だ。
 収入のない立場で負債――借金なんてもってのほかだ、と罵しられるかもしれないが、世の中にはローンとか、クレジットという形でどうしようもなく、発生する負債が存在する。それにBSで見ると、借金――負債が即それだけで問題とはいえないことがわかる。問題はそれをコントロールできないことなのだ。
 というわけで負債の管理をするためにBSは必須で、こづかい帳のようなPLだけでは力不足という結論に逹っする。

 実はHP200LXにはクイッケンというすぐれたソフトが同梱されていてそれがたぶん、理想に近いはずなのだが、以前、データの入力している途中でふっ飛んでしまったので使うのをあきらめてしまっていた。
 そうした中でiPhone上で動作するiBearMoneyを見つけたわけだ。
 最初は無料版で試していたのだが、ほぼ、望みは果せるようなので有償版に切りかえることにした。というのも無料版は機能制限版というよりも操作の邪魔をするようにできているため、非常に不愉快だったのだ――そのこと自体は勘弁ならん、と思っているのだが、日本語化された同等の機能を持つものが見当たらないので購入した。
 そして、iPhone上で動作するというところはかなりポイントが高い。
 というのも支出が発生した段階――スタバでコーヒーを飲んだ――そのタイミングでさっさとデータを入力してしまうことができるからだ。この、都度入力ができるというのがなんといっても助かる。レシートを見ながらその日の夜に入力なんて絶対、やらなくなってしまう。
 そういう意味でもiPhoneは携帯端末として便利だな、とも思う。

 ところで自分の手持ちのBSを管理したところ、やばい、という危機感がふつふつと沸いてきているところだ。
 やはりおれの人生に収入は必要だ。

2010年2月22日月曜日

デビッド・アレン「はじめてのGTD ストレスフリーの整理術」

はじめてのGTD ストレスフリーの整理術

 インターネットにはいろいろな情報があるもので。
 GTD(Get Thing Done)という手法がある、ということを知ったのもインターネットでだったが、なんとなくわかったつもりになっていたのもインターネットのせいだった。ところが提唱者の本を実際に読んでみたところ、思った以上にちがっていた。つまりぼくはGTDはtodoリストのちょっと進んだものと思っていたのだが、そうではなかったのだ。
 もしかしたらかんちがいしていたのは世の中でぼくだけかもしれないが、GTDのポイントはプロジェクトとか、next actionではなく、実は次の三つではないか。

・頭の中にある「気になること」をすべて外にだす。
・「気になること」を行動までブレイクダウンする。
・週次レビューを行なう。

 「気になること」をすべて、というのがとてもポイントが高いように思う。
 これはビジネス、プライベートの区別なく、すべて、という意味だ。何もかも、リストとして吐き出す。自分の全作業を把握するためでもある。そのため、週次レビューはかかせない。そうしないと、全作業が把握できなくなるからだ。
 そして、行動までブレイクダウンというのは――next action――、todoではなく、実際の行動を考えるということだ。たとえば、「求職活動」、というtodoリストではGTDではない。next actionとして「ハローワークへ行く」という風に行動までブレイクダウンしてこそ、GTDらしい。
 行動までブレイクダウンされていれば、たとえば、ネットで行なうことがビジネス、プライベートであったとき、パソコンの前でその行動リストをこなしていくだけで、いい。そうするためにも「気になること」はすべてなのだ。
 そうやって今までの自分のtodoリストを見返してみると、具体的な行動にブレイクダウンしていないせいで、いつまでも残留しているtodoの多いことよ。

2010年2月16日火曜日

iPhoneについてなど


 先月――1月末にauからsoftbankに乗りかえた。
 理由は簡単、iPhoneが欲しかったからだ。元々、iPhoneがアメリカで販売されたときから欲しいと思っていたのだが、残念ながら日本でのキャリアはsoftbankであきらめていた。別にNMPがあったのだからその必要はなかったのだけれど――踏ん切りがつかなかった。
 その踏ん切りをつけてくれたのが、twitterだった。まだ、twitterははじめたばかりではまっているというわけでもなかったのだが、おもしろそうな感じはうけていたので――iPhoneからtwitterをするのがいいという風評もあり、これはiPhoneにするしかないかな、と。御前崎へウィンドに行って「御前崎なう」とつぶやいてみたいなどと考えたわけだ

 で、iPhoneのキャンペーンをやっていたこともあり、softbankへ切り替えた。最後の最後まで金がないので躊躇していたことも事実だが。長いこと使用していたiPodの電池の保ちが悪くなっていることも背中を押してくれた。
 はっきりいって以前のauは携帯端末として所有していただけだった。
 どの機能もそれほど魅力を感じず、どのサービスを利用するにもユーザから金を絞りとるものとしか、見えなかった。今だに使い方もほとんど把握していないほどだ。マナーモード切り替えすら知らないし、着信音すらかえていない。
 それほど、いじる魅力がなかった――。
 ところがiPhoneである。
 タッチパネルがこれほど、快楽とは知らなかった。


 もちろんタッチパネルがすべてではない。
 携帯端末好きには工夫しだいで様々なことができるということはたまらなく魅力的だ。いじれる、工夫できる、というのは快楽なのだ。それが以前の携帯電話では何もできなかった。根本的には単なるコンピュータだというのにだ。それでマーケットを創出できると思っているところにメーカー側の傲慢さがある。
 たとえば、GPS機能だ。
 以前の携帯でもGPS機能はついていたが、ほとんど利用できなかった。今、いる場所を相手にメールで送信できますって? は? 何、それ、である。機能があるのにそれを利用する手段が御仕着せのものしかない。げんなりしたね。興味すらなくしたよ。
 iPhoneはGPSロガーとして使用することができる。もちろん、デフォルトの機能ではないが――デフォルトの機能のマップぐらいしかないが、それすら以前の携帯にはなかった――、ネットと連携したEveryTrailというようなアプリがある。それをダウンロードしてくれば、GPSロガーとして使用できる。
 そして、何がよいか――以前の携帯とちがうか、というと、たとえ、そのようなアプリがあったとしてもそれを御仕着せのものでしか、なく、こちら側に選択肢がなかった。iPhoneのアプリはいろいろとあるため、GPSロガーにしても何種類か、あるうちから選択することができる。
 ちなみにGPSロガーについてはウィンドの航跡を記録したいと思い、一度、GPSロガーを購入し、その直後に壊してしまった、という苦い思い出がある。今のところ、いろいろとアプリを見た感じだとEveryTrailがよさげだ。あとは海に行く機会と、iPhoneを身につけて海にでる勇気だけだ。


 iPhoneの魅力のひとつはネットとの接続を前提に考えられていることだろう。
 とくに素のiPhoneでもおそろしいことに、Googleのクラウド環境へSafariで接続できるのだ。これでたいがいのことはできてしまう。それだけでも充分なくらいで、それだけで携帯電話より使用価値はまちがいなく高い。しかもWi-Fi接続が可能なのだ。
 ちなみに昔、auの携帯のOperaからインターネット接続して天気図を見ていたのだが、画像データのドットを――おそらくデータ量を減らすために――抜かしていてなんのために天気図を見ているのか、わからなくてげんなりした。風向の矢印がどっち向きなのか、わからなかったりしたのだ。きわめて許し難かった。この件に関しては一生、auを恨みつづけるつもりだ。


 今のところ、iPhoneのアプリのお気に入りは次の二つ。いずれもまだ、無料版を使用中だが。

・iBearMoney
・Evernote

 Evernoteはほとんど携帯端末としてはキラーアプリケーションといえるのではないだろうか。

2010年2月2日火曜日

ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質


 まちがいなく衝撃的な一冊だ。
 「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」につづく、不確実性に関する話なのだが――自分の不明を恥じるしかないのだが、すっかりぼくは誤解していた。「まぐれ」のあとに読んだ「数学的にありえない」「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」「確率の科学史―「パスカルの賭け」から気象予報まで」といった不確実性の本と同じだと思っていたのだが、タレブはそれらにたいしても批判的だということに「ブラック・スワン」でようやく気づいた。
 タレブはギャンブルの不確実性を「遊びのあやまり」として切って捨てているのだ。そんなもの、確率がわかるじゃないか、と。それは最近、競馬をやっていて考えていたことシンクロしている部分があってので驚く。といってもこれはぼくの考えがシンクロニシティを起こしていた、というよりも因果を逆に考えているだけだ。
 たまたま、最近、ギャンブルについて考えていたことと、タレブの考えに一致している部分があった、というだけだ。ぼくが気づいていたからタレブの考えと一致したわけではない(つまりぼくの脳みそがタレブなみにいい、ということではない)。
 それはギャンブルは不確実か、ということだ。
 サイコロの次の目はけしてわからない――そのこと自体は不確実だし、それがギャンブルなのだが、それは飼いならすことができる。そして、飼いならしているのはカジノ側であるというだけだ。プレイヤーは不確実性に踊らされるが、カジノ(主催者)側は確率によってその不確実性を制御している(だからこそ、あんなに大儲けしている)。
 しかし、現実は――たとえば、株式市場は何が起きるか、わからない。その予測不能性、不確実性においてギャンブルなど、凌駕している。
 ということは――と考えたのがぼくの考えだ――株式市場に必勝法はないかもしないが、ギャンブル、競馬には必勝法があるのではないか、と――。まぁ、ぼくがたんに愚かなだけなのは承知しているが(競馬をはじめたのでバイアスがかかっているのは認める)、いずれにしても考え方はたぶん「遊びのあやまり」と同じだ。
 つまり、人生はギャンブルなんかよりもはるかに不確実に満ちている、ということなのだが、問題はぼくらはギャンブルほどにそのことに不確実性を感じることができない、ということだ。

ついろぐ(読んでたときのつぶやき)