2010年2月2日火曜日

ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質


 まちがいなく衝撃的な一冊だ。
 「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」につづく、不確実性に関する話なのだが――自分の不明を恥じるしかないのだが、すっかりぼくは誤解していた。「まぐれ」のあとに読んだ「数学的にありえない」「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」「確率の科学史―「パスカルの賭け」から気象予報まで」といった不確実性の本と同じだと思っていたのだが、タレブはそれらにたいしても批判的だということに「ブラック・スワン」でようやく気づいた。
 タレブはギャンブルの不確実性を「遊びのあやまり」として切って捨てているのだ。そんなもの、確率がわかるじゃないか、と。それは最近、競馬をやっていて考えていたことシンクロしている部分があってので驚く。といってもこれはぼくの考えがシンクロニシティを起こしていた、というよりも因果を逆に考えているだけだ。
 たまたま、最近、ギャンブルについて考えていたことと、タレブの考えに一致している部分があった、というだけだ。ぼくが気づいていたからタレブの考えと一致したわけではない(つまりぼくの脳みそがタレブなみにいい、ということではない)。
 それはギャンブルは不確実か、ということだ。
 サイコロの次の目はけしてわからない――そのこと自体は不確実だし、それがギャンブルなのだが、それは飼いならすことができる。そして、飼いならしているのはカジノ側であるというだけだ。プレイヤーは不確実性に踊らされるが、カジノ(主催者)側は確率によってその不確実性を制御している(だからこそ、あんなに大儲けしている)。
 しかし、現実は――たとえば、株式市場は何が起きるか、わからない。その予測不能性、不確実性においてギャンブルなど、凌駕している。
 ということは――と考えたのがぼくの考えだ――株式市場に必勝法はないかもしないが、ギャンブル、競馬には必勝法があるのではないか、と――。まぁ、ぼくがたんに愚かなだけなのは承知しているが(競馬をはじめたのでバイアスがかかっているのは認める)、いずれにしても考え方はたぶん「遊びのあやまり」と同じだ。
 つまり、人生はギャンブルなんかよりもはるかに不確実に満ちている、ということなのだが、問題はぼくらはギャンブルほどにそのことに不確実性を感じることができない、ということだ。

ついろぐ(読んでたときのつぶやき)