2010年11月29日月曜日

森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」

森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」

 もしかしたらマイフェバリットな一冊ということになるのかもしれない。
 どうしてぼくはこんなに感銘を受けてしまったのだろう。そんな気分だ。はでなアクションやトリックがあるわけでもないし、殺人が起きるわけでもない。そもそもこれはミステリーではないだろう……。もちろんツイストはあるし、ぼくは逆に最後のツイストは不要だろう、とも思っている。あの一行がなければ、なぁ、と。おしい、と。
 もともと森博嗣の小説のファンというわけではなかった。「すべてはFになる」はさすがに読んでいたけれど、あれはまぁ、プログラマーにとってはまんまな「F」だったからなぁ。逆にまさかなぁ、と思いつつ、読み進めたものだった。今なら64ビットが一般的だから老衰ですな。
 それでもこの作品は深く感銘を受けた。
 どうしてだろう。
 何が起きるというわけではないのだけれど、読まされてしまった。本を置くことができなかった。淡々としているにもかかわらず、何かに満たされた気分を味わいつつ、読み進んだ。まさに憧れすら感じる日常だからだろうか。仙人の生活に憧れる俗人という感じ――言葉にすると、どこかちがうような気がするが。
 そして、主人公が自分は凄くないんだよ……、と独白するシーンなど、泣きそうになってしまった。

2010年11月13日土曜日

SSD換装

 Mac Air、欲しいなぁ。手持ちのThinkPad X60もそろそろ、へたってきたことだし。ディスクはいつも99%使用の状態だし。調べてみると、ThinkPadが我が家にきたのは2006年11月24日(金)のことだった。5年目かぁ。バッテリーも二代目だ。
 そんなこんだでつらつらあっちこっちのサイトを見ていたらMac AirはハードディスクのかわりにSSDを使用している、とのこと。それで気が迷ってしまった。気づいてしまったのだ。ThinkPadのハードディスクをSSDに換装すれば、いいじゃね? と。単純にコストを比較すると、圧倒的にSSD換装の方が低コストだ。手間はかかるが、Mac Airも購入したらいろいろと設定をしなければ、ならないから結局はいっしょだ。それに元々、動いているノートブックパソコンがあるのにあらたに新しいノートブックを買うというのも好きじゃない。なんか、無駄な気がするんだよねー。事実、無駄だし。
 で、Amazonで購入した。IDEインターフェースのSSD、64Gというしろもろを。これなら32Gパンパンの容量が楽になる、というもの。
 が、ところがである。
 なんとまぁ、ThinkPad X60のインターフェースはSATAであったのだよ。最初にちゃんと調べておけよ、という話だ。返品と再購入してようやくSATAインターフェースのSSD、64Gが届いたのは昨日のことだった。はー。
 換装のやり方についてはさすがに当たりはつけておいた。
 ThinkVantageでUSBハードディスク(うちにはお立ち台があるのだ)にリカバリー・メディアを作成してそこからバックアップを戻せば、よいだろう……。
シー・エフ・デー販売 WJ3シリーズ2.5インチSATA接続SSD DRAM搭載(DDR2-128MB) JM612コントローラー Trimコマンド&NCQ 対応CSSD-SM64WJ3

 できなかった。

 まず、リカバリーメディアがUSBハードディスクにつくれなかった。そして、バックアップもThinkVantageではUSBハードディスクにはつくれず、しかたなくWindowsのバックアップ機能でバックアップしたのだけれど、こいつがThinkVantageのレスキュー機能から認識されない。
 すっかりはまってしまった。
 Cygwinからddコマンドをつかって強引にHDDからSSDへコピーしようとしたが、果たせず。しかたねー、外付けのCD/DVDドライブを買うか、と思ったが、結局、ハードディスクをコピーできれば、いいはずなのでそういうソフトがないか、とググってみた。そうしたらあったのだよ、明智くん。「EASEUS Todo Backup」というのがそれだ。パンパンのハードディスクにインストールし、ハードディスクを丸ごとSSDへコピー。なんとあっさりSSD換装が終了してしまった。コピーには時間がかかってしまったけれど。64GのSSDのパーティションが32Gにぶった切られているのはこちらもググって「EASEUS Partition Master 6.5.1 Home Edition」というソフトで55Gに拡張した。
 64Gといいつつ、実際には64Gにはならないというのはまぁ、世の常だ。
 あと、ThinkVantageのアクティブプロテクションとDiskkeeperは無効にした。SSDはデフラグなんざ不要だからである。

2010年11月10日水曜日

ヨイチサウス

 最初はダメだと思っていた。
 2008年2月9日東京競馬メイン。白富士ステークスのパドックだ。このレースに去年から追いかけていた――意識していた馬がでていたのだ。ヨイチサウス。パドックの最初の方の周回ではどうもいまいちだった。気合乗りが足りない。いつもならもっと気合が入った歩き方をするのだが。
 今日は買えないかもしれないな。
 今までにも、そう思いながらの買い続けてきた馬だった。
 ほんとうに買えそうもない――というのも、今年になってから東京競馬の馬券の買い方を変えてしまったからだ。単勝オンリー。ヨイチサウスはオープンで勝つにはちょっと力不足と考えていた。1000万クラスを勝ち上がるとき、現場にいれなかったので馬券を買えなかったのが、つくづく残念だ。
 そこまでヨイチサウスに執着するのはぼくにとって確信の馬だったからだ。

 はじめてヨイチサウスの馬券を買ったのは去年の1月28日第10レースでのことだった。ちょうど一年前だ。
 その頃、年初からの馬券が絶不調で、パドックで見つける馬はことごとく外しまくっていた。その日もとことんダメだったのだが、第10レースのパドックで、一頭の馬に心魅かれた。それがヨイチサウスだった。確信。この馬はくる、と。一頭だけが抜けて見えた。
 オッズは単勝8000円の超穴馬。
 単複の馬券を買った。ほんとうにその一頭だけの馬券だった。
 レースはヨイチサウスの逃げではじまり、ゴール直前まで逃げ粘り――直線の坂では後続を突き離すほど――、最後の最後、坂を上り切ったあとの直線で一番人気の馬にかわされてしまった。
 それでも複勝1280円。
 得たのは金ではなかった。また、馬券を買っていくために必要な確信というやつだ。
 負け続けの馬券人生だが、それでも時折、くる、という確信を持つことができた馬がいる。ワイルドバッハ、ターフメビュース、リトルガリバー……。そういう馬とのほとんど偶然に等しい出会いがなければ、馬券を買い続けることなど、できなかった。
 そして、そういう一頭がヨイチサウスというわけだった。

 パドックに雪が舞いはじめた。
 白富士ステークスのパドックはヨイチサウス以外の馬でもほとんどよさそうな馬は見当らなかった。かろうじてぼくのアンテナにひっかかったのはメテオバーストぐらいだった。それでも普段なら疑問符のつく馬だった。
 藤沢厩舎ということで期待していたピサノパテックはかかりすぎていて買う対象にはなり得なかった。
 くりかえしくりかし目の前を通りすぎていく馬をひたすら見つ続ける。
 ふと気づく。
 ヨイチサウスの雰囲気がかわっていた。歩容に力強さがでてきた。そうやって全体を比較すると、ヨイチサウスが抜けているように思えた――買いだ。
 そして、トーホウアランも悪くないことに気づいた。
 パドックの周回が終わった。
 騎乗合図。
 ピサノパテックはその間、小さくその場で回されていた。その一瞬、落ち着いた歩容を見せた。ぎょっとなる。むちゃくちゃ、いい馬格だったのだ。さすが藤沢厩舎。油断も隙もあったもんじゃない。きっちりと仕上げてきていた。

 買い目はピサイノパテック、ヨイチサウス、トーホウアランの三頭の単勝。
 去年のヨイチサウスのことが頭をよぎる。やはりヨイチサウスの一着はむずかしいか――と。複勝なら獲れるかもしれないが、単勝は難しいか、と。
 前走、16着だったが(当然、その馬券も買っている)、あれは中山だった。ぼくの見立てではヨイチサウスは中山よりも東京の方が合っている。複勝圏は充分、ありうる。だが、単勝はなぁ。くるとしたらやはりピサノパテックか。
 レースは案の定、ヨイチサウスの逃げではじまった。
 下り坂になる向正面では五馬身ほど離したが、コーナーにはいるころには後続との差はなくなった。最終コーナー。ヨイチサウスが先頭。いい感じだ。手応えは充分、残っている。右後ろに続く二番手が気になるのか、やや苛立った感じが見えるが。直線。坂。ヨイチサウスは後続を突き離せない。
 後続の足色がいい。
 やはりだめか。
 レース実況も後ろの馬に焦点を合てている。カメラの映像もそちらにふられた。ピサノパテックが間を抜けてくる。カメラが先頭に戻ってきた。
 その先頭を走っている馬がヨイチサウスだとは思ってなかった。
 画面から消えている間に二番手に抜かれてしまったとばかり思っていた。
 ヨイチサウスだった。粘っている。抜かれそうで抜かれない。実況も驚いている。
 ピサノパテックが二番手集団の中にいた。
 そっちがきてくれても馬券は的中だ。
 しかし――。
「残せっ残せっ残せっ、江田っ」
 去年の悪夢が一瞬、頭をよぎる。坂を上り切った瞬間、どっと抜かれてしまうんじゃないか。坂を上り切った。二番手集団が固まってヨイチサウスに追いつく。
「江田、頼むっ」
 あっ、と思った瞬間が、ゴールだった。
 ぎりぎり、頭ひとつ、ヨイチサウスが先着していた。

 ヨイチサウス一着、単勝3970円。二着ピサノパテック。トーホウアランは五着だった。馬連3万7630円、馬単8万480円。
 獲ったのはヨイチサウスの単勝だけだったが――。

2010年11月4日木曜日

鳥居みゆき「ハッピーマンデー」



 鳥居みゆきの「結婚してました」宣言にはひっくり返ってしまった。
 元々、雑誌のR25だったと思うけれど、そこで鳥居みゆきが紹介されていてその日か、その翌日にテレビで観たのが、はじめてだった。ネタは「まさこ」――紙芝居ネタで、まだ、モノを動かしたり、前に戻ったりという演出がつけくわえられる前だった。実は――はっきりとしないのだが、一枚だけ絵が描かれているバージョンも観ている。
 それからすぐに「社交辞令でハイタッチ」がはじまり、それを視聴しているくらいだった。
 そのころはまだ、鳥居みゆきを甘く見ていた、といえるだろう。
 メディアから流れてくるのは「まさこ」だったからだ。

 ところがあるとき――日記によると、2008年4月25日のことだった。
 ふと思いつき、YouTubeにアップされている鳥居みゆきの映像を片っ端から観た。
 メディアにでているせいもあって「まさこ」が大部分だったけれど、中にライブのものがあり、そのいくつかのネタに――「こっくりさん」「妄想結婚式」にひっくり返った。
 ただ者じゃない。半分くらい天才かも、と。
 DVDがでるということは「社交辞令でハイタッチ」で既知だったので、さっそく「ハッピーマンデー」を購入する気になったのはそういうわけだった。YouTubeを観てなかったらおそらく見過ごしてしまっていたことだろう。
 そして、「ハッピーマンデー」を見終ったその日の夜に、鳥居みゆきの「結婚してました」宣言を知った。時間的にはちょうど、観ているまさにそのときに、発表していたらしい。「ハッピーマンデー」の宣伝ライブで。

 「結婚してました」宣言を知ったとき、まず思ったのは「まさこ」をやめるつもりだな、ということだった。YouTubeで観た様々なテレビの番組での映像や、「社交辞令でハイタッチ」などを観ていて感じていたのは「まさこ」をやりつづけるのはかなり辛いだろうな、ということだったし、まさにかなり辛くなってきているように思えた。
 「ハッピーマンデー」のバックボーンには「まさこ」がいる。
 「まさこ」が生まれるまでの物語として構成されているからだ。
 だから「まさこ」が鳥居みゆきから「ヒットエンドラーン」と産声を上げるシーンにはある種の感動がある。それはそれまでの鳥居みゆきをYouTubeで垣間見ていたせいもあるかもしれないが。
 だから「ハッピーマンデー」の構成をしたのはだれなのか、強く興味を覚えていて――最後に、流れるテロップで鳥居みゆきの名前を見たとき、確信したのだ。
 こいつ、天才だ、と。

 そして、「ハッピーマンデー」の中では「まさこ」の死まで描かれている。

 「結婚してました」宣言を知る前に「ハッピーマンデー」を観ることができたのは幸運なことだったかもしれない。聞いたあとでは印象がずいぶん変わっていたことだろう。
 中に収録されているネタ――完成度は高いと思う――は鳥居みゆきの才能や、作家性を示すものだが、「結婚してました」宣言は作家の限界を示すものかもしれない。まちがわないで欲しい。作家としての限界ではなく、作家というものの限界だ。ある意味、人間というものの限界かもしれない。
 人は生み出したものを制御できると幻想を持っている存在だ。
 「まさこ」は鳥居みゆきが生み出したものだが、その存在はすでに自走しはじめていた。だからこそ、鳥居みゆきは「まさこ」に食い潰されはじめていた自分を取り戻すために、「まさこ」の死を選んだのかもしれない。それとも、そのことについてすら鳥居みゆきは自覚的なんだろうか。

 なぜなら死んだ「まさこ」の履いていた靴には「鳥居みゆき」の名前が……。

2010年11月1日月曜日

びっくりした

いきなり10年ぐらいやっていたホームページが消えていた。infoseekのサービスが停止になっていたのである。まったく更新してなかったわけじゃないので、ちょいとふざけんな、という気分だ。いくら無料だったとはいえ。
これでWindSurfの記録はなくなってしまったのだなぁ(まる)