2010年11月4日木曜日
鳥居みゆき「ハッピーマンデー」
鳥居みゆきの「結婚してました」宣言にはひっくり返ってしまった。
元々、雑誌のR25だったと思うけれど、そこで鳥居みゆきが紹介されていてその日か、その翌日にテレビで観たのが、はじめてだった。ネタは「まさこ」――紙芝居ネタで、まだ、モノを動かしたり、前に戻ったりという演出がつけくわえられる前だった。実は――はっきりとしないのだが、一枚だけ絵が描かれているバージョンも観ている。
それからすぐに「社交辞令でハイタッチ」がはじまり、それを視聴しているくらいだった。
そのころはまだ、鳥居みゆきを甘く見ていた、といえるだろう。
メディアから流れてくるのは「まさこ」だったからだ。
ところがあるとき――日記によると、2008年4月25日のことだった。
ふと思いつき、YouTubeにアップされている鳥居みゆきの映像を片っ端から観た。
メディアにでているせいもあって「まさこ」が大部分だったけれど、中にライブのものがあり、そのいくつかのネタに――「こっくりさん」「妄想結婚式」にひっくり返った。
ただ者じゃない。半分くらい天才かも、と。
DVDがでるということは「社交辞令でハイタッチ」で既知だったので、さっそく「ハッピーマンデー」を購入する気になったのはそういうわけだった。YouTubeを観てなかったらおそらく見過ごしてしまっていたことだろう。
そして、「ハッピーマンデー」を見終ったその日の夜に、鳥居みゆきの「結婚してました」宣言を知った。時間的にはちょうど、観ているまさにそのときに、発表していたらしい。「ハッピーマンデー」の宣伝ライブで。
「結婚してました」宣言を知ったとき、まず思ったのは「まさこ」をやめるつもりだな、ということだった。YouTubeで観た様々なテレビの番組での映像や、「社交辞令でハイタッチ」などを観ていて感じていたのは「まさこ」をやりつづけるのはかなり辛いだろうな、ということだったし、まさにかなり辛くなってきているように思えた。
「ハッピーマンデー」のバックボーンには「まさこ」がいる。
「まさこ」が生まれるまでの物語として構成されているからだ。
だから「まさこ」が鳥居みゆきから「ヒットエンドラーン」と産声を上げるシーンにはある種の感動がある。それはそれまでの鳥居みゆきをYouTubeで垣間見ていたせいもあるかもしれないが。
だから「ハッピーマンデー」の構成をしたのはだれなのか、強く興味を覚えていて――最後に、流れるテロップで鳥居みゆきの名前を見たとき、確信したのだ。
こいつ、天才だ、と。
そして、「ハッピーマンデー」の中では「まさこ」の死まで描かれている。
「結婚してました」宣言を知る前に「ハッピーマンデー」を観ることができたのは幸運なことだったかもしれない。聞いたあとでは印象がずいぶん変わっていたことだろう。
中に収録されているネタ――完成度は高いと思う――は鳥居みゆきの才能や、作家性を示すものだが、「結婚してました」宣言は作家の限界を示すものかもしれない。まちがわないで欲しい。作家としての限界ではなく、作家というものの限界だ。ある意味、人間というものの限界かもしれない。
人は生み出したものを制御できると幻想を持っている存在だ。
「まさこ」は鳥居みゆきが生み出したものだが、その存在はすでに自走しはじめていた。だからこそ、鳥居みゆきは「まさこ」に食い潰されはじめていた自分を取り戻すために、「まさこ」の死を選んだのかもしれない。それとも、そのことについてすら鳥居みゆきは自覚的なんだろうか。
なぜなら死んだ「まさこ」の履いていた靴には「鳥居みゆき」の名前が……。