2021年7月30日金曜日

健康志向

 ブログを読み返してみると、自分がものすごく健康志向のような気がしてくる。
 酒も煙草もやらないし。
 健康食品や健康器具はまず詐欺案件と考える人間なんだが。
 まあ、自分の身体が一番身近ということなんだろう。

2021年7月29日木曜日

Emacsとリマインダー

 Emacs引きこもりである。
 何度か、そこから出ようとしたけれど、結局、果たせなかった。今ではあきらめている。死ぬまでつきあうことになるだろう。
 なのでTODO管理、スケジュール管理もEmacsの Org-modeでやっていた。
 管理するほどのものはあまりないのだけれど。

 そこへ黒船がやってきた。
 Apple Watchだ。
 Apple WatchのSiriでリマインダーへ登録が簡単にできる。
 しかもiPhone、MacBook Air、iPadのリマインダーへ同期される。
 今でこそ、コロナ禍のせいでMacBook Airを持ち歩くことはないけれど、たとえそうでなくてもApple Watchなみの手軽さはEmacsにはない。歩いている最中にふと登録などということは。

 Macにリマンダーが登場したとき、一度、Emacsから環境を移そうか、とは考えた。
 あきらめたのはリマインダーとカレンダーが分離していたからだ。
 これはGoogleカレンダーも同じで、Emacsなら——Org-modeなら混在できる。

 ところがApple Watchの利点はあまりにも大きい。でかすぎる。
 単純にいえば、メモとして使えるということなのだから。

2021年7月28日水曜日

日記など

 日記は中学のころからはじめた。
 何を読んだか、読書の記録をするのが目的で、それ自体はいつだったか、日記から読んだ本の一覧を抽出したので無意味になっているのだけれど。たぶんその一覧をつくったあたりからほとんど、日々のことを記録しなくなった。時々、**読了。と書いているだけ。
 別段、それで問題はないし、そもそも昔の日記など読み返したくもない。七転八倒してしまうのは目に見えている。恥かしさのあまり「エウレカ!」と叫んで街を走り回ってしまうにちがいない。
 ——何を発見したんだか。

 食事の記録、体重、入出金は別口で記録している。

 結局、ただの習慣でしかない——日記をはじめるとき、決めたのだ。読んだ本のことだけは記録する、と。なのでつづいているようなものだ。それなら書かない日があっても問題はないので。

 だけれども一日の終わりに今日あったことを思い出すことは脳が衰えてきている人間にとってよいことではないかろうか、と思い直した。 佐藤雅彦「認知症になった私が伝えたいこと」を読んだ影響かもしれない。
 もうひとつ、書くということの利点に、忘れることができる、というものがある。
 嫌なことというのはアウトプットしてないと、いつまもでくりかえし、頭の中にもどってくるのだ。どういうわけか脳に貼りつく。アウトプットは人に話す——愚痴とかはだめで、これは逆にくりかえし、思い出す羽目になる。
 ところが文章だと、不思議なことに脳からなくなる。思い出さなくなる。
 思い出しても他人事のようになっている。
 別に悪口を書いて溜飲を下げているわけではないのだが。

 というわけでしばらく日記を書いてみようか、と思っている。
 半分、備忘録がわり。

2021年7月27日火曜日

2021年7月22日木曜日

リストレスト

 掌の小指側の手首あたりの骨が出っぱっているけれど、そこが急に痛くなった。

 ちょっと触るだけでもかなり痛い。
 ——なんぞ?
 どうやらトラックパッドを使うとき、この出っぱりを支点にしているらしい。
 そこでマウス用のリストレストなるものを購入した。

 ところが、マウスのときに 1使用したら右小指が激痛を発して突っ張ってしまった。曲げられない。
 なので本来、マウス用にもかかわらず、トラックパッド専用である。

Footnotes:

1

Windowsを使うときはマウス。

2021年7月21日水曜日

マスク

 コロナ禍の影響でだれもがマスクをつけている。
 ほとんど部屋から出かける用事がないので、あまりやっかいにならないのだけれど、食材の買い出しとか、行ったとき、なぜか、喉がいがらっぽくなる。マスクをつけているにもかかわらず。よくわからない。外気の埃とかが喉にきているんだろうか。
 ——マスクをしているのに?
 待て。
 あるとき、気づいた。
 マスクで雑菌が繁殖しているのではないか。ほとんど使っていないので、一週間ぐらい前におろしたマスクをつけている。当然、そのあいだに雑菌が繁殖していることだろう。それを吸い込んでいるから喉がいがらっぽくなっているんじゃないか。そういえば、寒いころは起きてなかった。

 マスクを変えたらいがらっぽくなくなった。

2021年7月20日火曜日

Apple Watch Series 3(GPSモデル)

 リモートワークになってからほんとうに動かなくなってしまった。
 ずっと椅子に座りっぱなし。
 さすがにこれはまずい、と1時間に1回、アラームを仕掛けて立ち上がるようにしようか、と思ってはいたのだが、なかなか実行にうつせずにいたら。

 Apple Watchにはスタンド機能 1というものがあるのだった。
 1時間に1回、立ち上がるようにうながしてくれる。これだけでも買った価値があるというものだ。あと、深呼吸しましょうとか、消費カロリーも(たぶん推計値)記録してくれている。
 おそらく歩数などの記録はiPhoneを持っていなくても記録してくれていることだろう。

 問題はずっと腕時計をつけているのでベルトと接触している皮膚が痒くなってくることだ。
 なので、適宜、右腕と左腕につけかえている。

Footnotes:

1

スタンド能力ではない。

2021年7月16日金曜日

Siri

 iPhoneとMacBook AirのSiriはOFFにしてある。
 iPad Proをラジカセがわりにしているからだ。ラジカセという言葉はもう死語かもしれないが。操作するためにいちいち立ち上がるのも面倒臭い。そこでSiriだ。
 スタートするのも、次の曲にするのも、ラジオにするのもできる。

 最近、そこへApple Watchがくわわった。
 これがやっかいで、Apple WatchのSiriが反応してしまう。こいつのSiriはOFFにしたくない。というのもリマインダーの登録とか、Apple WatchのSiriからできるのだ。重宝する。
 一計を案じた。
 iPad Proに命令するときはApple Watchを手で覆ってやるのだ。これで音楽を操作できる。けっこう効果的だった。
「Hey、Siri!」
「にゃあ」
 うちのやんちゃ娘が部屋に入ってきた。

2021年7月15日木曜日

ホワイトボード

 ホワイトボートを買った。

 別に佐藤雅彦「認知症になった私が伝えたいこと」の影響ではないのだが——まってくないとはいえないかもしれない——、以前から突然死したら仕事の現場にどうやって連絡すれば、いいだろう、とは思っていたのだ。だって死んでいるんだぜ。
 発見してくれた人が人伝てにたどっていけば、いつか連絡はつくかもしれないけれど。

 というわけでホワイトボードにそのあたりの電話番号を書いておくことにした。

2021年7月14日水曜日

佐藤雅彦「認知症になった私が伝えたいこと」

 二度ほど記憶を失くしたことがある。
 一度目は交通事故なので、これはあきらかに外因性なのだが、もう一度はウィンドの帰りに記憶を失くした。
 いろいろあったのだが——断片的な記憶は残っている——、ぎょっとしたのはLINEのやりとりだった。どこにいるのか、わからない、と何度もメッセージを送り、今打ったメッセージの記憶がない、とパニックになっていた。
 そのパニックになったときの記憶は翌日の自分にまったくなかった。
 よく自力で家にもどれたものだ。

 なので認知症になるということはそういう感じなのだろう。
 以下は著者が認知症にそなえて、という一覧。

[ ] 将来、どこに住みたいか、どんな暮らしがしたいかをまとめておく。
[ ] 自分史を書いておく。
[ ] 財産目録を作成しておく。
[ ] 生命保険の書類をまとめておく。
[ ] 家の登記簿をまとめておく。
[ ] 遺言書を作成しておく。
[ ] 終末期医療の治療の希望をまとめておく。
[ ] 自分が死亡したときの連絡先をまとめておく。
[ ] パソコンやタブレット端末の操作を覚える。
[ ] 不必要なものは早めに捨てて、シンプルな生活を心がける。

 メメントを思い出す。

2021年7月13日火曜日

2021年7月12日月曜日

2021年 第27週

 80kgを切ったのだけれど、またリバウンド気味に

2021年7月6日火曜日

素材の味

 ドグマにとらわれていた。
 「素材の味」というドグマである。
 「包丁人味平」や「美味しんぼ」などで「素材の味」というコンセプトがくりかえされる。素材の味を生かすのがすばらしい、というやつ。調味料は邪道 1
 で、最近、豚肉の炒め物をつくってどうも生臭い。豚肉の脂が不快をさそう。
 そこでふと、生姜チューブで、生姜焼きにした。
 臭いが消え、おいしかった。
 それでドグマに気づいた。
 料理が調味料の味になったとして、それで何が問題なのか。
 スパイスも醤油もソースも料理をおいしくするための人類の工夫じゃないか。

Footnotes:

1

正確には化学調味料だろうけど。

2021年7月2日金曜日

BeelinkS1でmicroSDカードを(6)

 反省である。

 最大の原因は作成したインストールメディアがFreeBSD13だったことだ。移行予定のHDのFreeBSDは12だったのである。安易にだいじょうぶだろう、と考えたのがまちがいだった。インストールメディアから作成したmicroSDのFreeBSDにHDの中身をいれると、bootしなくなるのである。
 ZFSのバージョンとか、色々、あるらしい。

 などと いっているけれど、これは単純にオペミスだったかも。
 というのも

gpart bootcode -b /boot/pmbr -p /boot/gptzfsboot -i 2 da0

 みたいな感じでブートコードをupdateしたのだけれど、これってよくよく考えたらMBR用じゃね?
 実際のbootにはUEFIを使っているから、 それ用のブートコードをupdateをしなければ、いけなかったはず。今さら試してみる気にはなれないけれど。FreeBSD13にupdateするとき、否が応にも試すことになるだろうけど。

2021年7月1日木曜日

借金玉「発達障害サバイバルガイド――「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47」

 実は目次をざっと見たとき、心惹かれたのは

「過集中で脱水症状」は小型冷蔵庫で防ごう

 だった。
 いつもリモートワークで集中しすぎてへろへろになっているので。
 ところがおもしろい、と思ったのは

「いつも何かを探す人生」を断ち切る神ツール

 だった。
 神ツールというのはキーファインダーという道具なのだけど、いわゆるAppleのAirTagだ(Appleが後発)。財布やキーにつけておいて、すぐに探し出せるというもの。思わず、買おうか、と思ったほどだった。
 なのだけど、よくよく考えたらいらないか、と。
 財布やキーが見つからない、と右往左往することがほとんどない。
 理由は簡単でいつも同じ場所に置くようにしているから。
 これは野口悠紀雄の「「超」整理法」にあったライフハックで、押し出しファイル方式が有名だし、そもそもタイトルはそこから来ているのだけど、ほんすこしだけちらっとだけ、超整理法できないものとしてキーなどは固定の場所に置くようにするとよい、みたいなことが書かれていた。
 元々、近いことはやっていたと思うのだけど、それで意図的に同じ場所に置くになった。