日記は中学のころからはじめた。
何を読んだか、読書の記録をするのが目的で、それ自体はいつだったか、日記から読んだ本の一覧を抽出したので無意味になっているのだけれど。たぶんその一覧をつくったあたりからほとんど、日々のことを記録しなくなった。時々、**読了。と書いているだけ。
別段、それで問題はないし、そもそも昔の日記など読み返したくもない。七転八倒してしまうのは目に見えている。恥かしさのあまり「エウレカ!」と叫んで街を走り回ってしまうにちがいない。
——何を発見したんだか。
食事の記録、体重、入出金は別口で記録している。
結局、ただの習慣でしかない——日記をはじめるとき、決めたのだ。読んだ本のことだけは記録する、と。なのでつづいているようなものだ。それなら書かない日があっても問題はないので。
だけれども一日の終わりに今日あったことを思い出すことは脳が衰えてきている人間にとってよいことではないかろうか、と思い直した。 佐藤雅彦「認知症になった私が伝えたいこと」を読んだ影響かもしれない。
もうひとつ、書くということの利点に、忘れることができる、というものがある。
嫌なことというのはアウトプットしてないと、いつまもでくりかえし、頭の中にもどってくるのだ。どういうわけか脳に貼りつく。アウトプットは人に話す——愚痴とかはだめで、これは逆にくりかえし、思い出す羽目になる。
ところが文章だと、不思議なことに脳からなくなる。思い出さなくなる。
思い出しても他人事のようになっている。
別に悪口を書いて溜飲を下げているわけではないのだが。
というわけでしばらく日記を書いてみようか、と思っている。
半分、備忘録がわり。