2012年10月22日月曜日

シャロン モアレム&ジョナサン プリンス「迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか」


シャロン・モアレム&ジョナサン・プリンス「迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか」

 「ワールドサテライトビジネスニュース」で内田春菊が最近のおもしろい本として本書を紹介していて――病気の遺伝子がなぜ、人間に残っているのか、という。
 はあ?
 と思ったのが、この本を読もうとしたきっかけだった。ほんとうはなんて書かれているのだろう、と。だっておかしいじゃないか。それなら盲腸はどうなる。一度、獲得された因子をなくすのはむずかしいだろう……。
 で、読んでみた。
 わかったのは「病気の遺伝子がなぜ、人間に残っているのか」ではなく、「病気の遺伝子がなぜ、人間に獲得されたのか」という話だった。もしかしたらこちらの誤解だったのかもしれない。でも「残っているのか」といってたと思うんだがなぁ。まぁ、おかげで本書を読むきっかけになったのはよかったかもしれない。非常におもしろかったから。

 後半で「獲得形質遺伝」の話になってきたときにはびびった。レトロウィルスの話がでてきたときにも――というのも小松左京が「はみだし生物学」の中で「獲得形質遺伝」についてレトロウィルスをからめて可能性を考察していたからだ。まさか、証拠が見つかったのか、と。どうやらそうではなさそうなのでほっとした。なんでほっとしたのか、わからないが。たぶん生殖細胞と体細胞に分離した段階で、遺伝子レベルでの「獲得形質遺伝」はされなくなった、とぼくは信じているからだろう。だって生殖があるということは進化上、それが有利だったということじゃないか。
 それでも後天的に獲得された形質が子どもに伝えられることは、遺伝子のメチル化として、あるらしいのは驚きだった。

 それにしても「人類はいったん海にもどったサルというあの説は今、どうなっているんだろう」(本書の中ではアクア説として紹介されている)と思っていたが、そのことが書かれていて、いまだサバンナ説が主流だという。
 「まともな議論にもなっていない」と。
 「双方とも相手を言下に否定して話し合いにならないようだ」と。
 笑ってしまった。
 

2012年10月17日水曜日

ダーレン・リン・バウズマン監督「ソウ2」「ソウ3」「ソウ4」



  「ソウ」シリーズが話題になっているとき、おもしろそうだなー、観たいなー、とは思っていたのだけれど、最終的に公開時には観ることはなかった。どうせスプラッター色の強い連続殺人鬼ものか、と。
 やはり人気があるということはあなどれないもので、一応、「ソウ5」まで観たのだが、「ソウ2」「ソウ3」「ソウ4」は傑作だ。それまでの作品に依存している部分があるという欠点はあるけれど――それがゆえに、おもしろい、という。こんなに、うおっ、だまされたっ、こうきたかっ、やられたっ、と喚いたことはない。逢坂剛の「水中眼鏡の女」「百舌の叫ぶ夜」、乾くるみの「イニシエーション・ラブ」並の、驚愕のラストだった。
 つづいて観た「ソウ5」は今までよりも画面がクリアだし、セットも金がかかっているなぁ、と思っていたら最後に監督がかわっていることを知って納得した。おもしろいのだが、否定的。たとえば、ジクソウが「人の心を深く読めば、すべてはわかる」というようなセリフをいうのだが、これにはえーっ、という気分だった。そうであるならもう「ゲーム」ではないからだ。「ゲーム」はプレイヤーにとって不確定要素をふくむからこそ、コントロールできない部分があるからこそ、「ゲーム」なのだ。これでは「私は人殺しはしない」というジクソウの言葉が無意味になる。すべてコントロールできるのならジクソウがおこなっていることは「人殺し」にほかならないからだ。
 そういう意味で「ソウ5」ではジクソウという魅力的な主人公をうすっぺらな連続殺人鬼に堕してしまった。残念だ。もっともそれが監督の差という部分もあるのかもしれないけれど、エスカレートしたシリーズの必然的なほころびだったのかもしれない。
 というのも「ソウ4」にあきらかなほころびがあるからだ。整合性のとれないエピソードがあり、おかしい部分がある。けっこうだれでも気づくことだと思うのだが(わざわざググって確認していないのでわからないけど)、作品構造に関連しているので、おそらく監督は確信犯的にそのエピソードを挿入したのだろう。つまりふくれあがったシリーズが限界点に逹っしていたのではないだろうか。
 「ソウ6」以降も機会があれば、観るつもりだが、さてどうなることか……。

2012年10月7日日曜日

howm+org(日記)

 howmで文書管理していてひとつ、こまったことがあった。
 1メモ1ファイルなのは基本、問題ないのだが、中には1日1ファイルにしたい場合があったのだ。たとえば、日記のような文書。どちらかを選ぶことはできるのだが、混在というのはできないようだった。もしかしたら最新版のバージョンではできるのかもしれないが。
 とりあえず、1日1ファイルのものだけ、Org-modeにしてagendaに登録したい、という思いもあったので、C-c , dのキーを次のようにアサインした。
(require 'howm)
(require 'skk)
(require 'cl)
(require 'org)
(require 'calendar)

(global-set-key
 "\C-c,d"
 '(lambda ()
    (interactive)
    (let* ((howm-file-name-format "%Y/%Y-%m-%d.org" )
       (file-target (concat howm-directory (howm-file-name))))
      (if (file-exists-p file-target)
      (find-file file-target)
    (progn
      (howm-create-file-with-title
       (concat "Diary:" (skk-current-date)))
      (save-excursion
        (goto-char (point-min))
        (insert-string "-*- mode:org; mode:iimage -*-\n")
        (insert-string "#+TAGS: DVD(d) BOOK(b) HOME(h) NET(n) COMPUTER(c) IDEA(i) MEMO(m) SHOP(s)\n")
        (insert-string "#+STARTUP: hidestars\n#+STARTUP: showall\n")
        (org-mode)
        (org-agenda-file-to-front))))
      (toggle-truncate-lines)
      (goto-char (point-max)))))
  これで、C-c , dとすると、その日の日記文書が自動的に開く、というわけ。
 予定とか、TODOをちょこちょこいれていくと、自動的にagendaに登録されているので、Org-modeのagendaを開くと参照できる。まぁ、日替わりのremenberファイルみたいなものか。
 agendaはorg-export-icalendar-combine-agenda-filesで出力してDropbox->Calendar for iPadで同期しているのでiPadで見ることもできる。もちろんMobileOrgにも同期している。
 唯一の問題は1年間に300以上のファイルがagendaに登録されてしまうので重くなってしまう、ということだろう。これについては一応、スィーププログラムをつくって対処している。

(require 'cl)
(require 'org)

(defun y-org-agenda-remove-file ()
  "org-agenda-filelistの中でorgが有効になっていないものを除外する"
  (interactive)
  (loop for filename in (copy-list org-agenda-files)
    collect (save-window-excursion
          (let ((buf (find-file filename)))
            (when (not (y-exits-string-buf buf "^\*"))
              (with-current-buffer buf
            (org-remove-file)))))))

(defun y-exits-string-buf (buffername string)
  "バッファの中にstringが存在するか"
  (with-current-buffer buffername
    (goto-char (point-min))
    (search-forward-regexp string nil t nil)))

2012年10月3日水曜日

田中光二「オリンポスの黄昏」


田中光二「オリンポスの黄昏」

 奥付を見て驚いた。初版は1992年。今から20年も前だ。出版された当時(つまり1992年ということになる)、何度も本屋で見かけては買おうか、さんざん迷ったのだが、結局、購入まで踏み切れなかった。やはりハードカバーというのは心理的に敷居が高かったのだ。躊躇してしまった。
 もともと田中光二はかなりはまった作家だったのだが――。
 出会いは中学三年と高校一年のはざまのときだった。
 たしか「大いなる逃亡」が直木賞候補にあがったことがきっかけだ。「オール讀物」で見た(受賞したのは佐木隆三の「復讐するするは我にあり」だったかな?)。どうやらSFの人らしく――そのころは後年、筒井康隆が「大いなる助走」に書いたようにSFはそういう文学賞とは無縁のころで――それで平井和正や筒井康隆を愛読していた中学生にとっては非常に興味を引かれた。
 そうやって書店の本棚(文庫本コーナーだ!)をながめなおして田中光二を発見した。角川文庫から出版されていた「君は円盤を見たか」だった。すぐに買って読了した。おもしろかった。「キラーカーを追え」(だったかな)というカーアクションの短編はよかった。たしかスポーツカーに脳を移植された人間の話だったと思う。
 以来、「わが赴くは蒼き大地」「幻覚の地平線」「爆発の臨界」と読みふけっていった。とくに「幻覚の地平線」に併載されていた「閉ざされた水平線」のラストには痺れた。「わが赴くは蒼き大地」におさめられていた好エッセイ「冒険小説を読めない人生なんて」にはずいぶんと読書嗜好の影響を受けた。ロジャー・ゼラズニイを読み、アリステア・マクリーンを知った。
 もっとも「オリンポスの黄昏」が出版されたころにはもう田中光二への熱中はだいぶん醒めてしまっていた。ひとつには田中光二が様々なシリーズを平行していたということがある。アッシュシリーズ、ヘリックシリーズ、エクソシスト探偵シリーズ、と。それで興味が醒めてしまった。
 思えば、いろんなSF、伝奇もののシリーズが百花繚乱といったころだった。
 ぼくはそれらのシリーズものを田中光二のものだけではなく、ほとんど読んでいない。

 実は「オリンポスの黄昏」を読んでいて個人的なことで一ヶ所、軽いショックをうけた。
 私は子供のころに家族の団欒の記憶があまりありません。父との触れ合いの肉体的な記憶さえうすいのです。かろうじて、父が党をやめて三津浜にこもっていたときのことだと思うのですが、泳ぎに連れて行ってもらった記憶がある。私を首にしがみつかせて、沖の小島まで泳いで行ったことがありますが、その背中がひどく広かったことだけを覚えている。

 まったく同じ記憶がある。いやまったく同じなわけはないのだが、ぼくにも泳ぐ父親の背中にしがみついていたときの記憶があるのだ。そのときの父親の水を掻く力強いストロークも、掻きわけられる水の流れも覚えている。
 今でもドキュメンタリー映画などで海亀の背中にのる少年の映像が見ると、そのときの記憶がふいに甦ってしまうほどだ。
 そうしてよくよく考えてみると、田中光二が「オリンポスの黄昏」を上梓したときの年齢はまさに今のぼくの歳なのだった。