田中光二「オリンポスの黄昏」
奥付を見て驚いた。初版は1992年。今から20年も前だ。出版された当時(つまり1992年ということになる)、何度も本屋で見かけては買おうか、さんざん迷ったのだが、結局、購入まで踏み切れなかった。やはりハードカバーというのは心理的に敷居が高かったのだ。躊躇してしまった。
もともと田中光二はかなりはまった作家だったのだが――。
出会いは中学三年と高校一年のはざまのときだった。
たしか「大いなる逃亡」が直木賞候補にあがったことがきっかけだ。「オール讀物」で見た(受賞したのは佐木隆三の「復讐するするは我にあり」だったかな?)。どうやらSFの人らしく――そのころは後年、筒井康隆が「大いなる助走」に書いたようにSFはそういう文学賞とは無縁のころで――それで平井和正や筒井康隆を愛読していた中学生にとっては非常に興味を引かれた。
そうやって書店の本棚(文庫本コーナーだ!)をながめなおして田中光二を発見した。角川文庫から出版されていた「君は円盤を見たか」だった。すぐに買って読了した。おもしろかった。「キラーカーを追え」(だったかな)というカーアクションの短編はよかった。たしかスポーツカーに脳を移植された人間の話だったと思う。
以来、「わが赴くは蒼き大地」「幻覚の地平線」「爆発の臨界」と読みふけっていった。とくに「幻覚の地平線」に併載されていた「閉ざされた水平線」のラストには痺れた。「わが赴くは蒼き大地」におさめられていた好エッセイ「冒険小説を読めない人生なんて」にはずいぶんと読書嗜好の影響を受けた。ロジャー・ゼラズニイを読み、アリステア・マクリーンを知った。
もっとも「オリンポスの黄昏」が出版されたころにはもう田中光二への熱中はだいぶん醒めてしまっていた。ひとつには田中光二が様々なシリーズを平行していたということがある。アッシュシリーズ、ヘリックシリーズ、エクソシスト探偵シリーズ、と。それで興味が醒めてしまった。
思えば、いろんなSF、伝奇もののシリーズが百花繚乱といったころだった。
ぼくはそれらのシリーズものを田中光二のものだけではなく、ほとんど読んでいない。
実は「オリンポスの黄昏」を読んでいて個人的なことで一ヶ所、軽いショックをうけた。
私は子供のころに家族の団欒の記憶があまりありません。父との触れ合いの肉体的な記憶さえうすいのです。かろうじて、父が党をやめて三津浜にこもっていたときのことだと思うのですが、泳ぎに連れて行ってもらった記憶がある。私を首にしがみつかせて、沖の小島まで泳いで行ったことがありますが、その背中がひどく広かったことだけを覚えている。
まったく同じ記憶がある。いやまったく同じなわけはないのだが、ぼくにも泳ぐ父親の背中にしがみついていたときの記憶があるのだ。そのときの父親の水を掻く力強いストロークも、掻きわけられる水の流れも覚えている。
今でもドキュメンタリー映画などで海亀の背中にのる少年の映像が見ると、そのときの記憶がふいに甦ってしまうほどだ。
そうしてよくよく考えてみると、田中光二が「オリンポスの黄昏」を上梓したときの年齢はまさに今のぼくの歳なのだった。