2013年9月27日金曜日

FreeBSD温度管理

 夏も終わり、今さらという感じもあるのだが、ThinkPadの発熱が妙に気になりはじめた。BUFFALO WLI-UC-GNをつねに使うようになってからとくにひどい。何しろ、「インテルはいってる」のシールの接着面が溶けてはがれてしまうほどだ。さすがに異常。それにWindowsXPのころにはこんなに熱をもったことはなかった。
 もしかしたらFreeBSDが対応してなくてCPUファンが回ってないのではないか。
 排気口からはたしかにもわっと熱気がでているのだが、熱膨張で空気があふれているだけじゃないか?

 そこで「Xfce上で温度監視」を参考にしてCPUの温度を表示するようにして驚いた。70度? 目が点になる。CPUがちょっと回っただけだというのに。やはりこれはちょっと熱すぎだろう。
 とりあえず、下記のサイトを参考にsysctl.confに「hw.acpi.thermal.tz0.active=0」を設定してみた。

=>ACPIの現状
=>acpi laptop fan control

 結果、うまくいっているような、いっていないような。
 CPUの温度が70度をこえるなんてことは起きなくなったなぁ、と思っていたら急に発熱したりする。バッテリーの充電をしていたからのような、そうでないような。BIOSの設定もいじったりしたのでわけがわからなくなってしまった。
 まぁ、しばらく様子を見るしかないか。

2013年9月26日木曜日

GnuCashを使いはじめて半年がたった

 GnuCashを使いはじめてから半年ちょっとがたったのだけれど、けっこう気に入っている。いじっているうちに理解が進んだからだろう。かなりなんちゃって運用だけれど。会計についてまともに習ったことはないからこれはまぁ、しかたない。
 数字を追いかけているうちにわかったこともある(わかったと思っているだけ?)。

 元々、貸借対照表を出してみたかった。
 ちょっとかっこいいじゃん。
 それだけではなく、負債を認識するためでもある。お金の管理はこづかい帳のように入出金のフローだけではないからだ。純資産(資産 - 負債)がマイナス(つまり借金まみれ自転車操業ということだ)なんてつらすぎる。GnuCashではサマリーバーにその「純資産」が表示されていて、そのことに気づいてGnuCashがますます気に入った。
 もちろんGnuCashでは貸借対照表を出力することもできるのだが。

 そして、サマリーバーの「利益」は会計期間のフローである(「編集>設定>会計期間」で設定)。つまり今年、いくら稼いだか、という金額。「収益(期間) - 費用(期間)」である。ここは通常、プラスのはずだが、マイナスなら生活はいつか、破綻するということだ。稼ぐより消費が大きいということなのだから。
 ちなみにぼくは現在、ここはマイナス(収入がないのだから当たり前)なのだが、どうなっているか、というと資産(貯金)を食い潰しているということである。だからこそ純資産の把握が必要なのだ。サマリーバーの「純資産」が食い潰せる限界ということになるのだから。
 あれ? もしかしたらけっこうやばい?

 問題は馬券の収支だ。
 馬券ももちろん、お金の出し入れなのでGnuCashで管理すべきだ。そうしないと馬券で生活を破綻させることになりかねない(いや、それ以前の問題か)。
 普通に考えると、費用と収益にそれぞれ、「馬券」という勘定科目を設けるべきだろうな、と思うのだが——馬券の購入金額を費用として計上し、的中馬券の払戻金を収益として計上する、というわけだ。
 差額が競馬にかかった金額である(通常はマイナス)。
 ただ、このやり方だと、パッと目、競馬に勝っているのか、負けているのか、わからない。その上、費用のサマリーが異常に大きくでてしまうことになる。年間の馬券の購入金額はけっこうなものになるからだ。生活を果せなかった「馬券生活」のころには一年間に1千万近く馬券を買っていて驚倒したことがある。
 今もそれなりのはずだ。
 そうすると、やはり収益に「馬券」という項目を作成して費用はマイナス計上すべきなのだろうな。そうすれば、馬券の項目のサマリーが収支ということになる(勘定科目ツリーウィンドウで見ることができる)。

 ちなみに費用に「馬券」という項目を作成して収益をマイナス計上しても話は同じなのだが、それだと、最初から負けを認めているようなので却下だ。

2013年9月25日水曜日

眉村卓「自殺卵」

 眉村卓「自殺卵」

 はじめて読んだのは「あの真珠色の朝を…」だった。
 1976年6月7日——もう30年以上も前のことだ。
 いわゆる日常の中に起きる不思議な出来事、という奇妙な味系列なのだけれど——とくに表題作のラストが強く印象に残っている——、「自殺卵」の作品群もその系列なのだろう。
 けれど。
 おかしなことに不思議な出来事よりも、日常の方に強く心魅かれてぼくにはめずらしく、二日で読み終えてしまった。老い、幸せでも不幸せでもなく、ただぼんやりと日々がすぎていく……。そんな日常。
 奇妙な味ともまたちがう不思議な一群だった。

2013年9月23日月曜日

カイザー・ファング「ヤバい統計学」

 カイザー・ファング「ヤバい統計学」

 リーマンショックのころだったか、アメリカ人はクレジットカードを何枚ももっていてそれで借金まみれだ、と何かの特集番組で見たことがある。それはアメリカ人が享楽的な生活をのぞみ、先のことを考えないからだ、というような話だった。何でもクレジットで払うので借金をしている意識が希薄だ、と。また、どこかのブログではそれはアメリカ人はアニマルスピリットが旺盛だからだ、とも。
 ふーん、そんなもんかねぇ、と思っていたのだが、どうやらアメリカにはクレジットスコアというものがあるらしいことをこの本で知った。クレジット会社が社内で顧客の信用リスクを計っているものではなく、横断的に様々な情報を元に信用リスクを評価する会社があり、それをクレジット会社は利用していて簡単にクレジットカードがつくることができる、という。
 目からウロコ。
 そんなものがあるならクレジット会社はコストを削減できるだろうし、利便性も増すだろう。家のローンでも使用されている、というし。なんだ。アメリカ人はクレジットカードを何枚ももったりして借金まみれになっているのは文化的な話でもなく、ましてアメリカ人の性格でもなく、たんに社会的な仕組みが原因ってだけの話じゃないんだろうか。実際、クレジットスコアが導入されてからクレジット利用者は増加しているという。
 ほかにもいくつか、目からウロコが落ちたことがあった。
 アメリカでもやはり自白は物証より重要視されてしまう、とか。なんとなく、アメリカでは自白強要による冤罪はすくない、と思っていたんだよねぇ。訊問の透明性が担保されていて。
 でもちがうんだ。そうか。そうなんだ。

2013年9月6日金曜日

J・J・エイブラムス監督「スタートレック イントゥ・ダークネス」

 非常におもしろかった。
 ストーリーの展開が早く、次々におとずれる山場に息をつぐこともできないほど。おかげで何ヶ所か、セリフを見落としてしまい、思わず、指がぴくりと動いてしまった。
 リモコンのリバースボタンを押そうとしてしまったのだ。
 最近はどうもリアルタイムでテレビを観るときにも録画しながら——録画している方を観ているので。スポーツ番組などとくにそうで、あれ、今のは、というとき、すぐに巻き戻して観ている。CMもスキップできるし。厳密にはリアルタイムというより五分前の世界を観ているのだけど。
 実はミスター・スポックは何といったんだろう、という疑問が一カ所、残っている。見落としたのではなく、演出として隠していたような気がするのだが、展開が早すぎてそこが判然としない。あとでストーリーを思い返してたぶん、こんなことをいったのだろう、というのはあるのだが……。
 すると。
 予告編はまったく逆の意味になる……。
 とくに日本版の予告編は。うーむ。別によいのだけど、最近、予告編が予告になってないよなぁ。まったく油断ならない。

2013年9月5日木曜日

米澤穂信「折れた竜骨」

 米澤穂信「折れた竜骨」(上)
 米澤穂信「折れた竜骨」(下)

 読みはじめてすぐにウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を思い出したのだけれど、これは単純に舞台が中世だということと、探偵役が師匠とその弟子というコンビだからだろう。あまりにもおもしろくて読むのをやめれなかった。とくに下巻は一気読み。無駄がなく、そのくせ、広く深く芳醇。そんな作品だった。
 読み終えて——さあ、寝ようか、と布団にはいったときにふと、タイトルの意味に気づく。そういう意味かっ。あまりの衝撃に愕然とした。こんな経験、はじめてだ。

 今までの人生で読んできた本の中でもベストの一本。
 すばらしい。