2011年5月28日土曜日

千街晶之「幻視者のリアル (幻想ミステリの世界観)」



 俎上にあげられている作品のほとんど読んでいないことにショックを受けた。どちらかといえば、幻想ミステリは好きだし(そのはずだ)、この間など「ミステリウム」に深い感銘を覚えたというのに。中井英夫の「虚無への供物」だって好きだし、夢野久作だってそうなのに。
 ほとんど読んでいなかった。
 元々、多読なたちではないのだが、それにしても。
 とくに赤江漠と皆川博子を読んでないことはショックだった。そのことを思い知らされた。
 赤江漠と皆川博子は――高校に入った年、毎月、貸本屋で小説現代を月遅れで借りて眺めていた(あまり読んではいなかった)とき、よく見かけていた名前だった。気になっていた名前だった。皆川博子の「水底の祭り」を読んでショックを受けていたというのに――全然、著作は読んでいないのだった。
 せめてこの中の著作のいくつかは読んでみたいのだが、読むことはできるだろうか……。

2011年5月23日月曜日

iPad2、来る!

 ようやく心待ちにしていたiPad2が到着。
 夕方から出かけもせず、夜遅くまでいじってしまう。途中、家の無線LANに接続できずにどうしたらいいか、夜の街を彷徨ってしまったが。どこかフリースポットはないか、と。以前、見つけていた場所にもなく。結局、DELLに「BUFFALO Air Station NFINITI 11n/g/b USB用 無線子機 WLI-UC-GN」をインストールしなおし、無事、ルータ化に成功。というか、ThinkPadでルータ化してiPad2で接続できなかったのはおれの勘違いからだった。パスフレーズが実はあっちの方だったとは。



 まぁ、よい。
 で、AppleStoreでいろいろアプリをダウンロードしようとしてはたっ、と困ってしまう。結局、必要なものはEvernote、Dropbox、iBookぐらいではないか、と。ほかのものはiPhoneで使用できるので何もわざわざ、iPadに落とす必要はない。
 見ると、Skype for iPadもないみたいだし。
 となると、なんでiPadを買ったのか、ということになる。
 そうだ。競馬のためだったんだ、と今日、試しにSafariで馬券を買う。まぁ、悪くない。でも、とはじめてここで気づく。iPhoneでよかったんじゃね?
 いちいちパソコンの前で馬券を買わなければ、いけないことが不便だと感じていたのだが、それで手元に置いておけるiPadと考えていたのだけれど、実はiPhoneでもできんじゃーん。iPadを購入してから今日、気づいた。馬鹿だ。
 でもまぁ、動き自体はiPadは軽快で、もしかしたらうちで一番、軽いマシンかもしれない。ただ、思ったよりも重いんだよねー。これが半分の重さならまちがいなく、OKなのだが。まだ、重い。ノートブックパソコンはこの重さなら確実にOKなのだが。使うとき、手に持たないから。でもiPadは手に持つんだよねー。この差はけっこう、大きい。
 まぁ、一番の問題は何に使うか、という明確なビジョンがない、ということだな。今のところ、馬券の投票用でしかない。それでも十分だけど。それにしては重すぎる。でも最大の問題点はDELLを動かしていなければ、いけないということかもしない(DELLをルータ化しているから)。なんか、無駄と感じてしまう。
 あとはやはり有料アプリを購入する必要がありそうな。
 iPhoneはほとんど、無料アプリでなんとか、なっているのだが。
 有料アプリを使うと負けみたいな感覚があるんだよなー、どうしても。無粋な感覚だが。それにiPadに閉じられるのはやはり嫌だ、というのもある。
 わがままだねー。

2011年5月21日土曜日

フランシス・S・コリンズ「遺伝子医療革命―ゲノム科学がわたしたちを変える」



 エイズは不治の病だ、と思っていた。
 DNAに自分自身の遺伝子を逆転写するというそれだけで治療する方法など存在しないのではないか、と思っていたのだけれど、そうではないらしい。すでに完治している人間がいることをこの本ではじめて知った。
 しかもエイズに感染しない人間というのもごくわずかだが、存在するらしい。

 自分の知識がすでに古く、科学はたゆまなく進歩しているのだな、と痛感した一冊であった。

2011年5月15日日曜日

アガサ・クリスティー「邪悪の家」


 中学生のころ、結構、創元文庫の本格ミステリを読破することを目標に本格ミステリばかり読んでいた。だいたい100冊、読んだのだけれど、そのときのお気に入りはヴァン・ダインで、ファイロ・ヴァンスに痺れた。http://www.blogger.com/img/blank.gif
 後年、笠井潔の「バイバイ・エンジェル」を読んでファイロ・ヴァンスのことが一行、書かれていて無性にうれしかったのだが、それはまた別の話。
 クリスティーはどちらか、というと苦手な作家で――短編はすばらしいのに――「ミス・マープルの13の謎」とか――、なんで長編はつまらんかな、と思っていた。「アクロイド殺害事件」も「オリエント急行の殺人」もあまり、おもしろいとは思わなかった。ただ、これはメイントリックを知っていて読んだということもあるかもしれない。昔、ミステリのトリックをクイズ形式で片っ端からばらした本があってそれを読んでいたのだった。ちなみにその本の中で夢野久作の「ドグラ・マグラ」は読んだら気が狂う、奇書として紹介されていた。
 ただ、最近、「オリエント急行殺人事件」見たとき、当時のぼくはちゃんと、小説を読めていたんだろうか、という疑念が沸いた。というのも「オリエント急行殺人事件」がおもしろかったのだ。
 なのでクスティーをいつか、読み返してみようか、と思っていたのだが、存外、早く読んだ。それが「邪悪の家」だ。初見なのだけれど、非常におもしろかった。
 やはり中学生当時のぼくはちゃんとミステリを読めてなかったのかもしれない。今、読めているという想定も幻想かもしれないが――。
 興味深かったのはエルキュール・ポワロだ。エルキュール・ポワロという装置。
 実はクリスティーはだめと烙印を押してしまった原因のひとつはエルキュール・ポワロだった。「晩餐会の13人」という作品の中で、本の半ばでほとんど真相はあきらかに思えたのに、名探偵であるポワロが右往左往していたのだ。
 で、結果、こちらの想像通りの真相だった。
 そんなこともあり、クリスティーはだめ、と烙印を押してしまったのだが、もしかしたらそれは読者というメタな立場にいる人間の傲慢さだったのかもしれない。
 今回も似たような感じではあった。
 たぶん「邪悪の家」のメインのネタは本を半分ほど読んだところで、気づく人も多いのではないか、と思う。ただ、それは論理的に逹っした結果ではなく、今までの読書経験からの類推なのだ、と思う。すくなくともぼくはそうだった。それを割り引いても作品としてのリーダビリティは高く、読まされた。それはポワロという装置がストーリーをドライブさせていたからだ。
 たぶん「晩餐会の13人」のときのぼくはポワロを名探偵として考え、そうでないことが不満だったのだろう。なんで読者は気づている真相にこの名探偵はかけらも気づかない……。
 実はポワロは名探偵ではない、と今回、ようやく気づいた。どちらかというと事件を語り、ストーリーをドライブさせる装置なのだ、と。今回だけなのかもしれないが――たとえば、冒頭で主要人物が撃たれたことに気づき、いきなりサスペンスのフェーズに放りこんだのはポワロなのだ。事件に気づくという形で――。

 いずれにしてもクリスティーは世間の評価通りおもしろい、とようやく了解できた。これはよろこばしい。さて次は何を読もうか……。