2011年5月15日日曜日

アガサ・クリスティー「邪悪の家」


 中学生のころ、結構、創元文庫の本格ミステリを読破することを目標に本格ミステリばかり読んでいた。だいたい100冊、読んだのだけれど、そのときのお気に入りはヴァン・ダインで、ファイロ・ヴァンスに痺れた。http://www.blogger.com/img/blank.gif
 後年、笠井潔の「バイバイ・エンジェル」を読んでファイロ・ヴァンスのことが一行、書かれていて無性にうれしかったのだが、それはまた別の話。
 クリスティーはどちらか、というと苦手な作家で――短編はすばらしいのに――「ミス・マープルの13の謎」とか――、なんで長編はつまらんかな、と思っていた。「アクロイド殺害事件」も「オリエント急行の殺人」もあまり、おもしろいとは思わなかった。ただ、これはメイントリックを知っていて読んだということもあるかもしれない。昔、ミステリのトリックをクイズ形式で片っ端からばらした本があってそれを読んでいたのだった。ちなみにその本の中で夢野久作の「ドグラ・マグラ」は読んだら気が狂う、奇書として紹介されていた。
 ただ、最近、「オリエント急行殺人事件」見たとき、当時のぼくはちゃんと、小説を読めていたんだろうか、という疑念が沸いた。というのも「オリエント急行殺人事件」がおもしろかったのだ。
 なのでクスティーをいつか、読み返してみようか、と思っていたのだが、存外、早く読んだ。それが「邪悪の家」だ。初見なのだけれど、非常におもしろかった。
 やはり中学生当時のぼくはちゃんとミステリを読めてなかったのかもしれない。今、読めているという想定も幻想かもしれないが――。
 興味深かったのはエルキュール・ポワロだ。エルキュール・ポワロという装置。
 実はクリスティーはだめと烙印を押してしまった原因のひとつはエルキュール・ポワロだった。「晩餐会の13人」という作品の中で、本の半ばでほとんど真相はあきらかに思えたのに、名探偵であるポワロが右往左往していたのだ。
 で、結果、こちらの想像通りの真相だった。
 そんなこともあり、クリスティーはだめ、と烙印を押してしまったのだが、もしかしたらそれは読者というメタな立場にいる人間の傲慢さだったのかもしれない。
 今回も似たような感じではあった。
 たぶん「邪悪の家」のメインのネタは本を半分ほど読んだところで、気づく人も多いのではないか、と思う。ただ、それは論理的に逹っした結果ではなく、今までの読書経験からの類推なのだ、と思う。すくなくともぼくはそうだった。それを割り引いても作品としてのリーダビリティは高く、読まされた。それはポワロという装置がストーリーをドライブさせていたからだ。
 たぶん「晩餐会の13人」のときのぼくはポワロを名探偵として考え、そうでないことが不満だったのだろう。なんで読者は気づている真相にこの名探偵はかけらも気づかない……。
 実はポワロは名探偵ではない、と今回、ようやく気づいた。どちらかというと事件を語り、ストーリーをドライブさせる装置なのだ、と。今回だけなのかもしれないが――たとえば、冒頭で主要人物が撃たれたことに気づき、いきなりサスペンスのフェーズに放りこんだのはポワロなのだ。事件に気づくという形で――。

 いずれにしてもクリスティーは世間の評価通りおもしろい、とようやく了解できた。これはよろこばしい。さて次は何を読もうか……。