2012年12月21日金曜日
pha「ニートの歩き方」
おもしろかった。
もっともそれはぼくが現在、無職で今までにも何度か、働いては無職になる、ということをくりかえしているような人間だからかもしれない。「働かざるもの食うべからず」と思っている人間には噴飯ものだろう。
こちとら、子どものころから「遊んで暮らせるならいいとみんな思ってるの!」(でもそれができないのだから働け)と(そんなこと、思ってもいなかったのに)何度となくいわれ、成人してからも無職になって年下の人間に「労働は国民の義務」とか「憲法で決められている」とかいわれ、「なんで働かないの」といわれて「嫌だから」と答えて説教されたことのある人間だ。おもしろく読めて当然かもしれない。別に自分の生き方(そんな大仰なものではないが)を肯定さているからというわけではないのだが。
シェアハウスのくだりではふと押川雲太朗の「BET!」を思い出した。
2012年11月18日日曜日
iPad mini到着
iPad miniを買うことにした。
ほとんど唐突に。
というのも今、持っているiPad2と大きさ以外はまったく同じで、重さが半分だと知ったからだ。同じディスプレイ解像度なのでアプリも同じように使える。iPhoneのアプリをiPadで使うようなみじめな思いとしなくて済む。
ほとんど生活がかわるほど、iPadの影響はあったのだけれど、唯一、不満なのは重いということだった。それが克服できるかもしれない。
よし。買おう。競馬で勝ったら。
そう決意した翌日、ひさしぶりに競馬で勝ってしまった。
神の声を聞いた、といっても過言ではあるまい(笑)。
それに左肩がおかしくなったということもある。いわゆる五十肩だと思うが、原因のひとつはiPad2のせいだとにらんでいる。というのもiPad2を買ってから家にいるときは、以前のようにパソコンを使わずに延々、iPad2でネットサーフィンしていたからだ。そのあいだ、ずっと左手でiPad2を支えているのだ。そりゃ、左肩がおかしくなってもへんじゃない。
切実に軽くしたかった。
今朝、iPad miniが到着した。
実物を見るのもはじめてなら触れるのもはじめてだった。
のけぞるぐらい軽かった――おそろしいことにiPhone4Sよりも軽く感じた。もちろん錯覚にちがいないのだが、iPad miniのあとに持つと、iPad2が信じられないぐらい重い。
これは――。
もうiPad2にもどれない。
そう思わされてしまった。
Appleさん、あんたの勝ちだ……。
2012年11月13日火曜日
アミール・D・アクゼル「天才数学者列伝 数奇な人生を歩んだ数学者たち」
アミール・D・アクゼル「天才数学者列伝 数奇な人生を歩んだ数学者たち」
1÷3の結果はコンピュータで表現できないよなぁ、と思っていた。0.33333...(あと無限につづく)だから。でも分数としてなら表現できるよなぁ。つまり「1/3」である。何でそうしてないのだろう?
浮動小数点という丸めが発生するものをつかっているんだろ?
馬鹿なのはぼくだった。
まぁ、結果はあきらかだったのかもしれないのだが――アミール・D・アクゼル「天才数学者列伝 数奇な人生を歩んだ数学者たち」を読むまでそのことに気づかなかった自分に愕然とした。なんとぼくは無理数は分数で表現できると考えていたのだ。整数の間(たとえば、0と1の間)の小数はすべて分数で表現可能だと。
実はそうでないのだが、それは「神は数である」とするピュタゴラス学派自身がピュタゴラスの定理によって数(整数と分数)で表現できないものがあることを証明してしまったという。ずいぶんと昔の話である。
何が愕然とするってぼくはピュタゴラス学派のこのエピソードについては知っていたのだ。アルトゥーロ・サンガッリ「ピュタゴラスの復讐 数学ミステリー」で読んだし、たしか別の本でも読んで知っていた。
なのにまったく気づいてなかった。
馬鹿である。
ずっと有理数についてかんちがいしてたんだなぁ……。この歳になるまで。歳は関係ないけど。
2012年11月7日水曜日
エラリー・クイーン「フランス白粉の謎」
エラリー・クイーン「フランス白粉の謎」
「ローマ帽子の謎」につづいてあまりのおもしろさにひっくり返ってしまった。再読なのに――どこのどいつだ。ミステリは再読できないなどとしたり顔でいったやつは。まぁ、内容を忘れていたということはあるかもしれないがそれにしても。
あまりのおもしろさになかなか、読み進められなかった。もったいなくて数ページ、読んでは「おもしれー」とか「すげー」とかいって本を閉じていた。おそろしいことに最後のクイーン警視のつぶやきは覚えていて――というか、エラリー・クイーンの名前を聞くと自動的に思い出してしまうほど印象に残っていたのだが、「フランス白粉の謎」だったとは。しかも今回、読んだ新版では旧版とはちがう版をつかっていて最後のクイーン警視の言葉がちがうことすらわかった。旧版には注釈があったのだ。そのことすら思い出した。すっかりエラリー・クイーンのどこかの短編でのシーンだとばかり思っていたのだが。
それにしても自分がいかに松本清張の「本格ミステリはお化け屋敷」説に毒されていたか、わかって慄然とする。松本清張がエラリー・クイーンをどう評価していたのかは知らないけれど、「ローマ帽子の謎」は劇場、「フランス白粉の謎」はデパート、「オランダ靴の謎」は病院を舞台にしている。この現代的ともいえる設定はまるで「高層の死角」でホテルを、「新幹線殺人事件」で新幹線を舞台にした森村誠一みたいじゃないか。社会派ミステリの雄だった森村誠一に。
あー、何てことだ。人生、失敗した。
2012年11月6日火曜日
炭水化物を制限してみた
昼寝したときでも30分ほどで目は醒めていたのだが、それがどうも1時間半ほど寝てしまう。昏睡したように。
糖尿病を疑った。
もしかしたらイニシュリンショックみたいなことを起こしているのではないか、と。食事で血糖値が上がってそれを下げようと過剰にイニシュリンを分泌しているのではないか、と疑った。ただ、空腹のときに砂糖を摂取して(缶コーヒーとかで)低血糖になってふらふらになるのとはずいぶんと感じがちがっていた。
ある日、夕食にコンビニ弁当を食ったところ、ほとんど昏睡するように二、三時間、眠ってしまった。それで身体の変調を確信した。
ググってみた。
キーワードは何にしたか、わすれてしまったが、どうも精白米や精糖、小麦粉など白い精白された炭水化物を摂取していることで、現代人はそういう症状を起こす可能性がある、というサイトを見つけた。人間は血糖値が下がっても眠くなるが、上がっても眠くなることがあるのだという。そのサイトでは一週間ほど精白されたものを食べるのをやめてみるとよい、とアドバイスしていた。
たしかにそのような話は聞いたことがあるな。
そうやって自分の生活をふりかえってみると、朝、食パン2枚、昼、うどん、夜、丼飯――とどう見ても精白された炭水化物ばかり取っている。元々、ロバート・ハースの「食べて勝つ」を読んで炭水化物中心の食事にしていた。
しかし、よくよく考えてみると、あの本はアスリート向けで今や一年間に五回ほどしか、ウィンドサーフィンをしない――それ以外の運動はいっさいしないぼくにとっては適当ではないのではないか。
というわけで食パン、うどん、ごはんの摂取をやめた。たぶん白くないものならだいじょうぶだろうから、とパスタ、じゃがいもなどはOKにした。朝はバナナと牛乳だ。昼はゆで卵、チーズ、牛乳。あるいはドーナツ。夜はスパゲティとか、ごはんなしの野菜炒めとか。当然、小腹が空くのでそこはお菓子を我慢せずに食べた。
三ヶ月ほどがすぎた。
驚いたことに体重が減った。別にダイエット目的ではなかったのだが、摂取カロリーが制限されていたせいだろう。最近では間食が増えてきているが。
食後の眠けについてはたしかに炭水化物系の食事ではなければ、眠くならないことが判明した。ついこのあいだ、菓子パンを食べて眠くなって爆睡してしまったから症状は改善されていないような気がする。それでもだいぶんましにはなっているようだ。
後日談
2012年10月22日月曜日
シャロン モアレム&ジョナサン プリンス「迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか」
シャロン・モアレム&ジョナサン・プリンス「迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか」
「ワールドサテライトビジネスニュース」で内田春菊が最近のおもしろい本として本書を紹介していて――病気の遺伝子がなぜ、人間に残っているのか、という。
はあ?
と思ったのが、この本を読もうとしたきっかけだった。ほんとうはなんて書かれているのだろう、と。だっておかしいじゃないか。それなら盲腸はどうなる。一度、獲得された因子をなくすのはむずかしいだろう……。
で、読んでみた。
わかったのは「病気の遺伝子がなぜ、人間に残っているのか」ではなく、「病気の遺伝子がなぜ、人間に獲得されたのか」という話だった。もしかしたらこちらの誤解だったのかもしれない。でも「残っているのか」といってたと思うんだがなぁ。まぁ、おかげで本書を読むきっかけになったのはよかったかもしれない。非常におもしろかったから。
後半で「獲得形質遺伝」の話になってきたときにはびびった。レトロウィルスの話がでてきたときにも――というのも小松左京が「はみだし生物学」の中で「獲得形質遺伝」についてレトロウィルスをからめて可能性を考察していたからだ。まさか、証拠が見つかったのか、と。どうやらそうではなさそうなのでほっとした。なんでほっとしたのか、わからないが。たぶん生殖細胞と体細胞に分離した段階で、遺伝子レベルでの「獲得形質遺伝」はされなくなった、とぼくは信じているからだろう。だって生殖があるということは進化上、それが有利だったということじゃないか。
それでも後天的に獲得された形質が子どもに伝えられることは、遺伝子のメチル化として、あるらしいのは驚きだった。
それにしても「人類はいったん海にもどったサルというあの説は今、どうなっているんだろう」(本書の中ではアクア説として紹介されている)と思っていたが、そのことが書かれていて、いまだサバンナ説が主流だという。
「まともな議論にもなっていない」と。
「双方とも相手を言下に否定して話し合いにならないようだ」と。
笑ってしまった。
2012年10月17日水曜日
ダーレン・リン・バウズマン監督「ソウ2」「ソウ3」「ソウ4」
「ソウ」シリーズが話題になっているとき、おもしろそうだなー、観たいなー、とは思っていたのだけれど、最終的に公開時には観ることはなかった。どうせスプラッター色の強い連続殺人鬼ものか、と。
やはり人気があるということはあなどれないもので、一応、「ソウ5」まで観たのだが、「ソウ2」「ソウ3」「ソウ4」は傑作だ。それまでの作品に依存している部分があるという欠点はあるけれど――それがゆえに、おもしろい、という。こんなに、うおっ、だまされたっ、こうきたかっ、やられたっ、と喚いたことはない。逢坂剛の「水中眼鏡の女」「百舌の叫ぶ夜」、乾くるみの「イニシエーション・ラブ」並の、驚愕のラストだった。
つづいて観た「ソウ5」は今までよりも画面がクリアだし、セットも金がかかっているなぁ、と思っていたら最後に監督がかわっていることを知って納得した。おもしろいのだが、否定的。たとえば、ジクソウが「人の心を深く読めば、すべてはわかる」というようなセリフをいうのだが、これにはえーっ、という気分だった。そうであるならもう「ゲーム」ではないからだ。「ゲーム」はプレイヤーにとって不確定要素をふくむからこそ、コントロールできない部分があるからこそ、「ゲーム」なのだ。これでは「私は人殺しはしない」というジクソウの言葉が無意味になる。すべてコントロールできるのならジクソウがおこなっていることは「人殺し」にほかならないからだ。
そういう意味で「ソウ5」ではジクソウという魅力的な主人公をうすっぺらな連続殺人鬼に堕してしまった。残念だ。もっともそれが監督の差という部分もあるのかもしれないけれど、エスカレートしたシリーズの必然的なほころびだったのかもしれない。
というのも「ソウ4」にあきらかなほころびがあるからだ。整合性のとれないエピソードがあり、おかしい部分がある。けっこうだれでも気づくことだと思うのだが(わざわざググって確認していないのでわからないけど)、作品構造に関連しているので、おそらく監督は確信犯的にそのエピソードを挿入したのだろう。つまりふくれあがったシリーズが限界点に逹っしていたのではないだろうか。
「ソウ6」以降も機会があれば、観るつもりだが、さてどうなることか……。
2012年10月7日日曜日
howm+org(日記)
1メモ1ファイルなのは基本、問題ないのだが、中には1日1ファイルにしたい場合があったのだ。たとえば、日記のような文書。どちらかを選ぶことはできるのだが、混在というのはできないようだった。もしかしたら最新版のバージョンではできるのかもしれないが。
とりあえず、1日1ファイルのものだけ、Org-modeにしてagendaに登録したい、という思いもあったので、C-c , dのキーを次のようにアサインした。
(require 'howm)これで、C-c , dとすると、その日の日記文書が自動的に開く、というわけ。
(require 'skk)
(require 'cl)
(require 'org)
(require 'calendar)
(global-set-key
"\C-c,d"
'(lambda ()
(interactive)
(let* ((howm-file-name-format "%Y/%Y-%m-%d.org" )
(file-target (concat howm-directory (howm-file-name))))
(if (file-exists-p file-target)
(find-file file-target)
(progn
(howm-create-file-with-title
(concat "Diary:" (skk-current-date)))
(save-excursion
(goto-char (point-min))
(insert-string "-*- mode:org; mode:iimage -*-\n")
(insert-string "#+TAGS: DVD(d) BOOK(b) HOME(h) NET(n) COMPUTER(c) IDEA(i) MEMO(m) SHOP(s)\n")
(insert-string "#+STARTUP: hidestars\n#+STARTUP: showall\n")
(org-mode)
(org-agenda-file-to-front))))
(toggle-truncate-lines)
(goto-char (point-max)))))
予定とか、TODOをちょこちょこいれていくと、自動的にagendaに登録されているので、Org-modeのagendaを開くと参照できる。まぁ、日替わりのremenberファイルみたいなものか。
agendaはorg-export-icalendar-combine-agenda-filesで出力してDropbox->Calendar for iPadで同期しているのでiPadで見ることもできる。もちろんMobileOrgにも同期している。
唯一の問題は1年間に300以上のファイルがagendaに登録されてしまうので重くなってしまう、ということだろう。これについては一応、スィーププログラムをつくって対処している。
(require 'cl)
(require 'org)
(defun y-org-agenda-remove-file ()
"org-agenda-filelistの中でorgが有効になっていないものを除外する"
(interactive)
(loop for filename in (copy-list org-agenda-files)
collect (save-window-excursion
(let ((buf (find-file filename)))
(when (not (y-exits-string-buf buf "^\*"))
(with-current-buffer buf
(org-remove-file)))))))
(defun y-exits-string-buf (buffername string)
"バッファの中にstringが存在するか"
(with-current-buffer buffername
(goto-char (point-min))
(search-forward-regexp string nil t nil)))
2012年10月3日水曜日
田中光二「オリンポスの黄昏」
田中光二「オリンポスの黄昏」
奥付を見て驚いた。初版は1992年。今から20年も前だ。出版された当時(つまり1992年ということになる)、何度も本屋で見かけては買おうか、さんざん迷ったのだが、結局、購入まで踏み切れなかった。やはりハードカバーというのは心理的に敷居が高かったのだ。躊躇してしまった。
もともと田中光二はかなりはまった作家だったのだが――。
出会いは中学三年と高校一年のはざまのときだった。
たしか「大いなる逃亡」が直木賞候補にあがったことがきっかけだ。「オール讀物」で見た(受賞したのは佐木隆三の「復讐するするは我にあり」だったかな?)。どうやらSFの人らしく――そのころは後年、筒井康隆が「大いなる助走」に書いたようにSFはそういう文学賞とは無縁のころで――それで平井和正や筒井康隆を愛読していた中学生にとっては非常に興味を引かれた。
そうやって書店の本棚(文庫本コーナーだ!)をながめなおして田中光二を発見した。角川文庫から出版されていた「君は円盤を見たか」だった。すぐに買って読了した。おもしろかった。「キラーカーを追え」(だったかな)というカーアクションの短編はよかった。たしかスポーツカーに脳を移植された人間の話だったと思う。
以来、「わが赴くは蒼き大地」「幻覚の地平線」「爆発の臨界」と読みふけっていった。とくに「幻覚の地平線」に併載されていた「閉ざされた水平線」のラストには痺れた。「わが赴くは蒼き大地」におさめられていた好エッセイ「冒険小説を読めない人生なんて」にはずいぶんと読書嗜好の影響を受けた。ロジャー・ゼラズニイを読み、アリステア・マクリーンを知った。
もっとも「オリンポスの黄昏」が出版されたころにはもう田中光二への熱中はだいぶん醒めてしまっていた。ひとつには田中光二が様々なシリーズを平行していたということがある。アッシュシリーズ、ヘリックシリーズ、エクソシスト探偵シリーズ、と。それで興味が醒めてしまった。
思えば、いろんなSF、伝奇もののシリーズが百花繚乱といったころだった。
ぼくはそれらのシリーズものを田中光二のものだけではなく、ほとんど読んでいない。
実は「オリンポスの黄昏」を読んでいて個人的なことで一ヶ所、軽いショックをうけた。
私は子供のころに家族の団欒の記憶があまりありません。父との触れ合いの肉体的な記憶さえうすいのです。かろうじて、父が党をやめて三津浜にこもっていたときのことだと思うのですが、泳ぎに連れて行ってもらった記憶がある。私を首にしがみつかせて、沖の小島まで泳いで行ったことがありますが、その背中がひどく広かったことだけを覚えている。
まったく同じ記憶がある。いやまったく同じなわけはないのだが、ぼくにも泳ぐ父親の背中にしがみついていたときの記憶があるのだ。そのときの父親の水を掻く力強いストロークも、掻きわけられる水の流れも覚えている。
今でもドキュメンタリー映画などで海亀の背中にのる少年の映像が見ると、そのときの記憶がふいに甦ってしまうほどだ。
そうしてよくよく考えてみると、田中光二が「オリンポスの黄昏」を上梓したときの年齢はまさに今のぼくの歳なのだった。
2012年9月22日土曜日
笠井潔「8・15と3・11―戦後史の死角」
たぶん著者の今までの評論の中で一番、衝撃を受けた。
とくに「第四章 潜在的核保有国ニッポン」の「「平和利用」の論理破綻」だ。自分で意識すらしてなかった欺瞞を射貫かれてしまった。しばらく動けなくなったぐらい。ぼくはずっと何の根拠もなく原子力は「兵器」と「平和利用」に分離することができる、と思っていた。
そして、それゆえ潜在的核保有国ニッポンに無意識のうちに加担していたことも。
実は衝撃があまりにも強すぎてこの本のことは忘却、あるいは自己欺瞞的に隠蔽してしまいたいほどだ。
2012年8月29日水曜日
2012年8月29日(水):本栖湖FUNビーチ:晴れ
* Sail:CORE 5.7(NEIL PRYDE) Board:NG ACP 260
最近はすっかり「風なしくん」なのでここはおとなしく、ツイている人に乗ろうと、midaさんの行く日にあわせたのにすっかり寝坊してしまった。起きたら正午をすぎていた。
何、やってんだーっ、おれ。
あきらめて翌日に本栖湖へ。到着したときは風向きは悪く、東の風だった。
これで今日、吹かなかったらほんとうに「風なしくんパーフェクト」だ。
11時半ぐらいに南が入ってきた。まだまだ、弱かったが、目の錯覚なのか(錯覚だった)、時々、白波が立っているようにも見える。セッティングして出艇。このとき、フィンをまちがって小さいのをつけてしまった。
2012年8月29日 本栖湖 1R(11:51-12:07)
2012年8月29日 本栖湖 2R(12:13-12:34)
だめだめくん。まったくプレーニングせず。2012年8月の初プレーニングはいつなのか。このまま、「ない」のか。
2012年8月29日 本栖湖 3R(12:42-13:39)
フィンをかえ、セイルのセッティングをかえる。ダウンとゆるめ、アウトをゆるめる。セイルが重くなるので嫌なのだが、他に道はない。なぜか、ぼくが出艇すると風がなくなっているように見える。ほんとうに「風なしくん」だな。
ついに2012年8月、最初のプレーニングを記録。
驚いたことにスタボーではなく、ポートでだった。もっともブローがくるまでアウトで水の中にいたのだけど。
Jナンバーの人がやたらと速い。他に同じニールプライドのセイルを張った人も。やはり本栖湖はスラロームがいい――古いウェイブなんて変態の極みだ。
二、三度、前に飛ばされそうになってフラミンゴ状態になる。
2012年8月29日 本栖湖 4R(13:57-15:03)
他のセイラーはけっこう走っている。ぼくは時々のブローで時々、プレーニング。一度、走り出したのがもったいなくて必死に身体をよじってフットストラップから両足を抜かずにいたらアウトにかなり突っこんでしまって無風に殺される。
今日は平日というのに人が多くてパンピングで下らせると、度々、下に人がいて往生する。いや、走らない道具をつかっているぼくが悪いのだが。
2012年8月29日 本栖湖 5R(15:12-16:14)
ふとJ-25のセイルに気づく。本物か、と思っていたら半端なく速い。本物の浅野プロらしい。そういえば、さっきドラゴンの方からかっ飛んできていたような気する。思わず、呆然とビーチスタートもせずに見惚れてしまった。ファンビーチの上側から山の裏側をすさまじい勢いで下る。他のJナンバーよりもワンランク速い。道具のせいもあるのか、だれもプレーニングしていないときにもひとり、走っている。
ボードは遠目にはフォーミュラレーシングに見えるのだが、スピードがちがいすぎる。ワイド幅のスラロームだろうか。ほんとうにあきれるほど速く、水上ですれちがうときに注視していたら、ジョイント部分のボトムが完全にリフトしていた。なんと水面とボトムのあいだに空間が見えたのだ。どんだけ接水してないんだよ。
アウトにつっこみすぎたぼくが前方にあるブローのかたまりが消えないように、と祈りながら進んでいると、すさまじい勢いで浅野プロがブローの中を下ってきた。ちょうど正面でビビる。接触するとは思わなかったが、あまりの迫力に目が飛び出る。
向こうは笑っていた。
2012年8月29日 本栖湖 6R(16:30-17:17)
気温が下がってきたこともあってライフジャケットを着用。
今日は夕方のひと吹きまで乗り倒すんだ、と思っていたけれど、ふと不安になる。今日はひと吹きするのか?
セイルを緩めていることもあってプレーニングすると下り気味になる。そうやってアウトに突っこんでいたら水面にブローラインがまったく見えないのに、ブローがはいった。油断していた。フラミンゴ。ほとんど左足を地面に平行にのばした状態になる。死ぬ、と思った。激沈してきっと道具を壊してしまうんだ、と。幸い板が走ってくれてぎりぎり沈は回避できた。
まだまだ、吹くなら乗りたかったが、掌が限界だった。限界だったのは掌だけではなかったらしく、着替えているときに足がつりそうになった。
2012年8月19日日曜日
Sailing RS:X Women
Sailing RS:X Women Opening Series - Race 7 - Full Replay -- London 2012 Olympic Games
Sailing RS:X Women Opening Series (Race 8) - Full Replay -- London 2012 Olympic Games
Sailing RS:X Women Medal Race Replay - London 2012 Olympic Games
それにしても最終レースでトップを走っていたUKRの選手はいつESPの選手に抜かれちゃったんだろう。それがなければ、たぶん銅は確実、もしかしたら銀だったかもしれないのに。
2012年8月18日土曜日
トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」
トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」
いったい人間は愚かなのか、偉大なのか――。
医者のあいだで手洗いの習慣がなかなか根付かなかったのは有名な話だけど、最近では胃潰瘍の原因がピロリ菌だとわかってその治療法が受け入れられるまで13年もかかった、という話には唖然となってしまった。
時計の夜光塗料の工場の話もしかり。暗闇で身体が光るなんてどれだけラジウムを知らないうちに摂取しまっていたというのか。
いやはや――それにしても「壊血病に罹る危険があるのはほとんど人類だけ」であるとは。「大半のサルを含めてほとんどの動物がビタミンCを体内で合成することができる」とは。これって人類はサルと近縁ではないってことじゃないのか? やはりデズモンド・モリスの「裸のサル」は正しかったのか、とか、考えていたら後半にクジラもやはり、ビタミンCを合成できない、という。
人類はいったん海にもどったサルというあの説は今、どうなっているんだろう。
ぼくはけっこう真面目に信じているのだが。
2012年8月9日木曜日
内枠有利?
[1] 0.1051096
「Rによる統計入門」のよると、
0.8 <= |r|: 強い相関あり
0.6 <= |r| < 0.8: 相関あり
0.4 <= |r| < 0.6: 弱い相関あり
|r| < 0.4: 相関なし
ということなのでだめじゃん。相関してないじゃーん。全体ではそういうものか。
ちなみに人気と着順だと
[1] 0.5900914
で弱い相関あり
オッズと着順では
[1] 0.4593602
で弱い相関。ふむ。
ちなみに乱数で生成したデータ同士では相関は
[1] 0.0006800863
であった。
2012年7月24日火曜日
2012年7月24日(火):本栖湖FUNビーチ:晴れ
* Sail:CORE 5.7(NEIL PRYDE) Board:NG ACP 260
一往復して終了。しかもノンプレ。鬱屈がたまる。
2012年7月24日 本栖湖 at EveryTrail
本栖湖近辺に一泊して再チャレンジの25日。
はずし。セッティングすらしなかった。
人がすくないときを見計らっての平日なのに、昨日今日とフリートのスクールをやっていて人が多かった。
くわがたが遊びにきた。
2012年7月22日日曜日
「SHERLOCK / シャーロック」
「SHERLOCK / シャーロック」
アフガニスタンで負傷した軍医、という設定に思わず感心してしまった。原作でももちろん、ワトソンはアフガニスタンで負傷した軍医なのだが、向こうは19世紀。こちらは21世紀だ。それが成立することに軽い驚きを覚えた。しかもロンドンを戦場だと比喩するあたり、製作者は笠井潔の「探偵小説論」を読んでいるのか、と突っこんでしまったほどだ。
たぶんそんなことはなく、偶然だろうが(ある意味必然?)。
それにしてもおもしろい。ちょーおすすめだ。
「第1話 ピンク色の研究」など、シャーロック・ホームズを読んだことがある人には三割増しのおもしろさだ。よく原作のエピソードの換骨奪胎している。うまい。しかもさらにひとひねりしてあったりして楽しい。
「――姉かっ」
大笑いしてしまったよ。
第2シーズンも楽しみだ。
2012年7月20日金曜日
ダンカン・ワッツ「偶然の科学」
ダンカン・ワッツ「偶然の科学」
タイトルはほんとうにこれでいいのか?
どこにも偶然について書かれていないようだし、原題も直訳すると「すべてはあきらか」のようだが――これはなるほどな、と思った。そうではない、という本だからだ。
昔のことだ。
「バブルが弾けることはわかっていた」とのたまう人がいた。何かでいいあらそいをしてそういうセリフがでてきたのだが、ぼくはそのセリフを聞いて思わず、唖然としてしまった。
というのもその人は競馬などの本を出したことがあるライターだったからだ(たしか)。ぼくが唖然としたのはギャンブルをやっていて未来が予測可能だと、考えることが理解できなかった。ギャンブルをやっていれば、未来は予測不能であることは身に染みてわかっているはずではないか――。
まぁ、今なら、未来は予測可能だと思うから人はギャンブルにはまるものだ、ということはわかるが――タレブがいうようにギャンブルは予測不能なものではない、ということも承知しているが。
結局、「わかっていた」と思っている人間を説得することはできなかった。今になって思うのはこういってやれば、よかったのだ。
皮肉そうに唇を歪めて「大金持ちになるチャンスを逃しましたね、**さん」。
中でタレブの「ブラック・スワン」にも言及しているが、この本はタレブとはちがった形で、未来が予測不能であることを書いたものだ。たぶんこういうことをいっているのだろう。ストーリーの形でしか、物事を認識できない我々は関連性があきらかになる事後にしか、物事を理解できない。と。
ちがうだろうか。
よくよく考えてみると、本を読むという行為がまさにそうだ。
本を最後まで読んでみない、と何について書かれていたか、わからない。主語の次に述語がくるという法則がわかっていてもその内容は最後まで読み通さないとわからない――。
2012年7月16日月曜日
P.W. シンガー「子ども兵の戦争」
P.W. シンガー「子ども兵の戦争」
読んでいるうちにどんどん、憂鬱になってしまった。
日常生活でイライラしてしまうほど。行動ファイナンスでいう「アンカリング」の効果だろうか。子ども兵というものが存在するということはニュースなどで聞き知ってはいたが、その規模が想像を超えていた。たとえば、伊藤計劃「The Indifference Engine」の中に子ども兵をモチーフにした中編があるのだけれど――たぶん、本書を参照していると思うのだけれど、現実の方がはるかに想像を超えている。ラストで裏返しのハッピーエンドになっていることもあるのだろうが。
それにしても資源がない国というのはある意味、幸運なことなのかもしれないな、と思う。
2012年7月9日月曜日
2012年7月9日(月):本栖湖FUNビーチ:晴れ
* Sail:CORE 5.7(NEIL PRYDE) Board:NG ACP 260
予定では火曜に本栖湖へ行くつもりだった。
ところが日曜の夜に24時間後の予想天気図を見ると、すっかり様変わりしてしまっていた。変化が一日、早くなったらしく高気圧が日本列島の中部にのるのは月曜――つまり、明日である。
あわてて荷物をまとめて本栖湖へ旅立つ。
道の駅で一泊して10時ぐらいに本栖湖へ到着すると、南のレギュラーの風がすでに入っていた。湖面が銀色に輝いていたが、白波は見えない。道路脇の木々も風でわさわさいっているのだが、風は足りなかった。ボードとセイルをセッティングして風を待つ。思ったより吹き上がらない――これは夏のパターンだな。そんな感じだった。正午近くにブローが入りはじめたように思えたので出艇したけれど、風は足りなかった。
詐欺ブローに何度も苦渋を飲まされながら湖面をふらふらしていたら何かの拍子に、左肩――正確には背中側の首と肩の間――の筋を痛める。鎖骨につながる筋らしく、肩を回して鎖骨を動かすと違和感がある。寝違えたような感じだ。
ようやく風が入りだしたのはおそらく二時ぐらいだった。つまり夏の本栖湖のパターン。ブローでパンピングしてどうにか、プレーニングさせることができる。スタボーはそれでいいのだが、ポートが全然、だめで苦しむ。へたくそすぎで泣けてきた。とくにセイリングエリアのポジションを確保できず、プレーニングできるたびに風下へと落ちていく。いいブローがはいっているのにそれを無視して必死で上りをとらなくてはならないこともしばしば。基本はビーチを風上へ移動していたが――どうもセイルのドラフトが深すぎたような気もしたが、タイトにしたらプレーニングしなくなりそうでそのまま、乗りつづけた。
陽が翳りはじめると、サーフパンツにラッシュガードだったので(姿はボンレスハム)さすがに寒くなるか、と思ったが――ビーチで休憩しているときは肌寒かったが、セイリングしているときは平気だった。身体を動かしているということもあったが、ブローが生温かったのだ。下界で暖められた空気がここまでやってきていたのだろう。ドライヤーの温風ブローみたいだった。四時にはそれも冷風になってしまったが。
それにしても今日、一日ずっとセイリングがしっくりこなかった。何が原因だったのだろう。
風は入りつづけ、上下をくりかえしながらも四時半にあがったときにも吹きつづけ、五時にもまだ、残っていた。
12:26-13:02
2012年7月9日 本栖湖 1R at EveryTrail
13:04-13:43
2012年7月9日 本栖湖 2R at EveryTrail
13:50-14:59
2012年7月9日 本栖湖 3R at EveryTrail
15:09-16:12
2012年7月9日 本栖湖 4R at EveryTrail
16:21-16:41
2012年7月9日 本栖湖 5R at EveryTrail
2012年7月6日金曜日
ドナ・ジャクソン・ナカザワ「免疫の反逆」
ドナ・ジャクソン・ナカザワ「免疫の反逆」
ビビった。
思わず過激なエコロジストになりかねないほどビビらされた。
蔓延する様々な化学物質。廃棄物。食品から摂取される添加物。それらと相関があると考えられる自己免疫疾患。それにしてもバセドー病、関節リウマチ、乾癬などが自己免疫疾患だとは知らなかった。すこしもうしわけない気持ちになったのは知り合いにそれらの病気にかかった人間がいるからだが、そんな(現在のところ)不治のものだったのか、と。
自分自身、あとちょっとの刺激で発症するのではないか、という怯えもある。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読んだときのような怖気ぶりだった。
2012年7月3日火曜日
Hulu
というのも会員登録後、2週間の無料視聴が可能だからだ。梅雨で家にこもって映画三昧というのが目論見だった。一日3本視聴して2週間で42本。なかなか、すごい、と思ったのだけれど、実際にやってみると、そんなに視聴できなかった。
以上、13本。
まぁ、ひとつだけ残念だったのはうちだけかもしれないが、iPad->AppleTVのAirPlayでコマ落ちしてしまったこと。
塚本晋也監督「悪夢探偵」
クリス・ナオン監督「ラスト・ブラッド」
スティーブン・リズバーガー 監督「トロン」
井口昇監督「片腕マシンガール」
カート・ウィマー監督「ウルトラヴァイオレット」
ブライアン・デ・パルマ監督「スネーク・アイズ」
ウォシャウスキー兄弟監督「スピード・レーサー」
ウォシャウスキー兄弟監督「マトリックス レボリューションズ」
ブライアン・シンガー監督「ワルキューレ」
マイケル・ベイ監督「アイランド」
紀里谷和明監督「GOEMON」
ザック・スナイダー監督「ドーン・オブ・ザ・デッド」
ジェームズ・ワン監督「ソウ」
2012年6月28日木曜日
2012年6月28日(木):本栖湖FUNビーチ:薄曇り
2012年6月27日水曜日
2012年6月27日(水):本栖湖FUNビーチ:晴れ
* Sail:CORE 5.7(NEIL PRYDE) Board:NG ACP 260
さすがに今日は吹くだろう。
本栖湖FUNビーチに着いたときにはまだ、東の微風だったけれど。あまりいいパターンではないが、天候は晴れ。これはいい兆候だ。案の定、車内に積んでいる寝袋や布団を外にだして干していると、レギュラーの風向きになった。
ただ、なかなか吹き上がらない。
正午近くになって上がりそうな雰囲気になったので道具をセッティングした。平日だというのに本栖湖に集まったセイラーは十人、近かった。髪が白い人が多いのはたぶん定年退職した人たちだからだろう。
風は上がり切ったとはいえなかったが、とりあえず出艇した。
ブローはあるのだが、なかなかプレーニングできない。出艇した直後ぐらいに一本、スタボーでプレーニングしたきり、延々とボードをずるずるとひきずりながら湖面を右往左往した。
ビーチにもどるたびにダウンを緩めたり、ハーネスのポジションをかえたり、とセイルのセッティングをいじる。しかし、風が足りないから、とダウンとアウトを緩めたのは失敗だったようだ。ダウンを緩めると、たしかにリーチがしまり、風は溜まるようになったのだが、結果としてセイルが重くなってしまっただけだった。風が流れないためか、むしろ走らなくなった。現代のセイルはサーファー艇やコースレースボードとはちがうのだろう。
セッティングをいじりすぎて何が良いのか、わからなくなる。
それでも何本か、プレーニングし、ジャイブもした。
ジャイブはあきらかに6.7のときよりも成功している。身体がなれてきたのもあるのだろうが、6.7のときはセイルに振り回されていただけのようだ。一度――スタボーからのジャイブで前足のフットストップが抜けなくて、逆サイドのフットポジションでセイル返しに成功したぐらいだから、セイルは5.7の方があつかいやすかった。
休憩中にビーチで置いた道具を見ていて、かつて本栖湖に来ていたころにはこんなところに道具は置けなかったことを思い出した。
昔は競艇練習場があってFUNビーチのごく一部しか、使用できなかったのだ。湖面も競艇のボードが走り回るため、風下のエリアはつかえなかった。
進入禁止といわんばかりにビーチにフロートの分離帯も設置されていた。
考えてみると、そのころはもっと風上の狭いエリアでセーリングするしかなかったが、しかし、そのせいで風はあったような気がする。
それで後半戦は風上のエリアでウィンドすることにした。GPSロガーがわりにしているiPhoneの電池が切れてしまったが――風上のエリアでブローをつかみながら何度か、プレーニングした。スタボーばかりだったけれど。
そろそろ疲れたのであがろうか、と思ったとき、うまく乗れてなかったポート側でいきなりプレーニングした。オーバーブローだった。前の飛ばされそうなるところを耐えたまではよかったが、すぐにフィンが抜け、風下へ爆走。そのまま、FUNビーチへ到着して浜にあがった。まるで計算通りという顔をして。
湖をふりかえると、ブローが連続ではいり、他のセイラーたちが音を響かせてプレーニングして走り回りはじめていた。
夕方のひと吹きタイムだった。
しかし、こちらは気持ちはすっかり切れてしまっていたので二本ほど乗ってあがった。明日も吹くだろう、と考えて。
12:03-13:07
2012年6月27日 本栖湖 1R at EveryTrail
13:19-14:25
2012年6月27日 本栖湖 2R at EveryTrail
14:34-14:50
2012年6月27日 本栖湖 3R at EveryTrail
2012年6月25日月曜日
2012年6月25日(月):本栖湖FUNビーチ:曇り
* Sail:CORE 5.7(NEIL PRYDE) Board:NG ACP 260
SoftBankの3G回線のデータ通信に制限がかけられてしまったらしい。メールの送受信ができなくなった上、サファリで天気図のチェックをできなくなってしまった。こまった。なんのためのiPhoneか。
というわけで今日は厄日だったらしい。
わざわざ本栖湖まで行ったのに、ものの見事にはずしてしまった。レギュラーの風向きに一応、ふれたのだが、最終的に風は上がらず。ああ、ちょーストレス。
2012625本栖湖 at EveryTrail
2012年6月14日木曜日
2012年6月14日(木):本栖湖FUNビーチ:晴れ part2
* Sail:CORE 5.7(NEIL PRYDE) Board:NG ACP 260
13:44-16:57
本栖湖へ本格的に風がはいりはじめたらしい。
セイルのパネル一枚、完全に破れてしまったにもかかわらず、ウォータースタートに成功した。だいぶんなすがままに湖面を流されてしまったが。
ようやくビーチへもどると、井田さんも休憩しているところだった。
「セイル、破っちゃいましたー」
ふりかえると、湖面はブローで真っ白だった。
破れた6.7を車の近くへ運んで5.7に張りかえる。なんだかんだと時間がかかってしまった。5.7を湖岸のボードへ運んだときはだいぶん、ブローはおさまってしまっていた。それでも出艇してみる。しかし、オーバーセイルセッティングになっていたらしい。風がスカる。アウトを緩めて二本ほど往復してダウンも緩める。それで多少はましになったけれど、全然、プレーニングしない。
風もいまいちだったし、とくにアウトでブローが途切れると、風向きが東っぽくなって微風というよろしくないパターン。おかげで何度かセイルアップする羽目になる。しかもセイルアップできてないし。
ポートのハーネスの位置を調整したが、風そのものが足りなくてプレーニングできず。ブローがはいっても薄すぎて走りだせなかった。
結局、後半戦――5.7にしてからスタボーで二度、ポートで一度、かろうじてプレーニングしただけだった。それでもプレーニングした瞬間は6.7のセットよりも軽い感じだった。やはり6.7とのセットはミスマッチの組み合わせだったのだろう。昔から気づいていたけれど。
夕方のひと吹きに期待したけれど、ぼくには足りず、5時にあがる。
湖面では井田さんはじめ、何人ものセイラーがブローをつかんでは走り回っていた。
しかも5.7のセイルトップがきちんとセッティングできてなかった。あぶなかった。
2012年6月14日 本栖湖 2R以降 at EveryTrail
2012年6月14日(木):本栖湖FUNビーチ:晴れ part1
* Sail:NEIL PRYDE Expression 6.7 Board:NG ACP 260
* Sail:CORE 5.7(NEIL PRYDE) Board:NG ACP 260
No | 時刻 | 時間 | 帆走距離 | 最高速 | 平均時速 | P% |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 12:25-13:11 | 45分 | 7.0km | 45.34km/h | 9.26km/h | 28.14 |
2 | 13:44-14:38 | 53分 | 3.6km | 41.14km/h | 4.05km/h | 8.26 |
3 | 14:45-15:00 | 15分 | 1.1km | 15.63km/h | 4.43km/h | 1.64 |
4 | 15:20-15:52 | 31分 | 2.6km | 45.56km/h | 4.95km/h | 10.08 |
5 | 15:57-16:05 | 7分 | 0.6km | 13.00km/h | 4.63km/h | 0.00 |
6 | 16:28-16:29 | 0分 | 0.0km | 3.23km/h | 3.07km/h | 0.00 |
7 | 16:31-16:57 | 25分 | 1.4km | 39.42km/h | 3.29km/h | 8.45 |
total 179分 16.4km 5.5km/h
事故を起こしたわけじゃないのだけど、短期記憶がいくつか、ぶっ飛んでいるようで。本栖湖へ到着したことは覚えている。midaさんと会ったことも。道路の水たまりに乱舞していたチョウのことをmidaさんと話したことも覚えている。
よく晴れた、まるで初夏のような日だった。
生命が狂ったように活動をはじめ、虫が飛びまわっていた。蜂、虻、ブヨ、蝶……。昨日の夜、こちらへ来る途中、小鹿も見たし、猫や鼬らしい小動物も見た。何なのか、わからない——まるで子犬の皮をはいだような小動物も見た。そして、今日の帰りには車に轢かれた青大将らしい蛇も見た。
到着したときにはまだ、本栖湖に風ははいってなかった。
MOTOKOのブログをチェックすると、御前崎では北東の風らしい。気圧配置的には南系でおかしくないのだが、梅雨前線に風が吹きこむため、北系なのだろう。まったいらだった湖面に南系の風がはいりはじめたのはおそらく11時半ぐらいのことだ。かなり渋りながらのブローでなかなか吹き上がらなかった。
ボードはすでにセッティングしておいた。
6.7のセイルをセッティングし——記憶が曖昧なのはここだ。同じタイミングで準備していたmidaさんと、ぼくのどちらが先に出艇したのか。記憶が飛んでしまっている。
風は足りず、すぐにセイルのセッティングを変更した。アウトを1センチほど、緩める。何本か、プレーニングした記憶はある。ポート、スタボーそれぞれで一度、ジャイブして弧の内側を流れていく水面をうっとりと眺めた。
中途半端な風に、吹き出し口の風上を目指して何度か、タックをくりかえした。
スタボーでアウトへ向かいだした時だ。
ブローがはいってきた。
マストに荷重し、前方へ体重を移した。ぐいっとセイルが前へ引っぱられる。前ストラップに右足をいれる。走りはじめる。プレーニングしはじめた。しかし、体勢がよろしくない。ハーネスがかかっているため、膝、腰が伸び、前に持っていかれはじめている。ボードが加速すれば、問題なかった。あるいはブローが強まらなければ。
ブローが強まった。
まぁ、いいや、と思ったのがまちがいだった。セイルの上に落ちないように身体をひねりながら前に飛ばされ、沈。水面から苦笑しながら顔をあげて異変に気づいた。何、これ? セイルのメインパネルのひとつ上が破れてバサバサバサバサッと音をたてている。
やっちまった。今日はまだ、はじまったばかりだというのに。
しかもジョイントも逝っちまってるじゃないか。
本栖湖へ本格的に風がはいりはじめたらしい。
セイルのパネル一枚、完全に破れてしまったにもかかわらず、ウォータースタートに成功した。だいぶんなすがままに湖面を流されてしまったが。
ようやくビーチへもどると、midaさんも休憩しているところだった。
「セイル、破っちゃいましたー」
ふりかえると、湖面はブローで真っ白だった。
破れた6.7を車の近くへ運んで5.7に張りかえる。なんだかんだと時間がかかってしまった。5.7を湖岸のボードへ運んだときはだいぶん、ブローはおさまってしまっていた。それでも出艇してみる。しかし、オーバーセイルセッティングになっていたらしい。風がスカる。アウトを緩めて二本ほど往復してダウンも緩める。それで多少はましになったけれど、全然、プレーニングしない。
風もいまいちだったし、とくにアウトでブローが途切れると、風向きが東っぽくなって微風というよろしくないパターン。おかげで何度かセイルアップする羽目になる。しかもセイルアップできてないし。
ポートのハーネスの位置を調整したが、風そのものが足りなくてプレーニングできず。ブローがはいっても薄すぎて走りだせなかった。
結局、後半戦——5.7にしてからスタボーで二度、ポートで一度、かろうじてプレーニングしただけだった。それでもプレーニングした瞬間は6.7のセットよりも軽い感じだった。やはり6.7とのセットはミスマッチの組み合わせだったのだろう。昔から気づいていたけれど。
夕方のひと吹きに期待したけれど、ぼくには足りず、5時にあがる。
湖面ではmidaさんはじめ、何人ものセイラーがブローをつかんでは走り回っていた。
2012年6月7日木曜日
Apple TV
買い替えたTV――東芝REGZA――でもインターネットに接続することはできたのだが、問題はLANケーブルだった。ルーターからの距離は十メートルではすまないだろう。どうして無線LAN対応じゃないんだ?
で、Apple TVを買おうと考えた。
TVをまた、買い替えるということではない。Apple TVはREGZAに接続して使用する。
元々、アーリーアダプタという性向ではないのだけれど、以前からApple TVは気になっていた。もっとも何度、Appleのサイトで説明を読んでも機能についてはピンとはこなかったのだが。おもしろそうなんだけど、必要かなぁ、と。魅力をあまり感じなかった。
映画を観るにしてもiPadで十分じゃないか。
そう考えていたわけだ。
ところが。
ところがである。YouTubeの動画――「RAIL TO RAIL - The Movie - HD 720 & 1080」――をTVで表示したとたん、感動した。すげえ。以前、Mac miniでテレビに表示したときはいまいち、という感じだったのだが、今回はまったく別種の体験だった。驚いた。もちろんハイビジョン、ということもあるのだろうが、動画はやはり大画面の方が映える、という当たり前のことに気づかされた。とくにiPhoneとの組み合わせは感動ものだった。
YouTubeを流すには二種類の方法がある。
1. Apple TV内蔵のアプリを使用する
2. iPhone(iPad)のYouTubeアプリからAirPlay機能を使用してApple TVへ流す
どちらで観ても問題はないのだが、2.が凄いのはほかのiPadの動画アプリからもApple TVへ流すことができるということだ。たとえば、Gyaoからでも可能だ。さっそく「ヨルムンガンド 第7話 African Golden Butterfiles phase.2」を観た。いやぁ、バルメ、かっこいいねぇ。
つまりだ。iPadでインターネットをがしがしやって気にいった動画をひょいと大画面で鑑賞したりできるのだ。
それだけのことなのだが、この体験の落差はけっこう大きい。
実際には使用していないので想像なのだが、REGZAでのインターネット接続はリモコンでの操作なのでけっこうストレスを感じると思うのだ。実際、Apple TVでもリモコンだけの操作はストレスだ。とくに文字入力。しかし、ホームシェアリング機能を使えば、iPhone(iPad)がApple TVのリモコンとして使用できる。Apple TV内蔵のYouTubeを使うと検索文字列の入力もiPhone(iPad)をリモコンにすれば、楽勝だ。
無線LANの速度がネックになるかもしれない、と思っていたが、それも問題なかった。すばらしい。
今、不満を感じるのはスピーカのパワー不足だ。
外付けのスピーカをつけたら音楽を聞くのにもApple TVを使ってしまうだろう。