めずらしく、ナシーム・ニコラス・タレブの「まぐれ—投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」を再読した。「めずらしく」は本のタイトルにではなく、「再読」にかかっている。ぼくはほとんど読んだ本を読み返さないからだ。
理由はなんとなくで、世の中には本がたくさんあるからかもしれない。
ただでさえ、読書スピードはおそいのに。
いや、本を読まなれば、いけない、ということはないのだからそんなこと、気にしなくてもいいのだけど。
初読は2009年9月30日のことだった。
この本が端緒になって「確率」や「偶然」をモチーフにした本を読むようになった記憶がある。「まぐれ」のあとにレナード・ムロディナウの「たまたま」や、マイケル・カプラン/ エレン・カプランの「確率の科学史」を読んでいるのだからたぶん、そうなのだろう。
元々は行動ファイナンス関係の本が先駆けだったかもしれないけれど。
そもそも——。
再読しようと考えたのは年始に同じ著者の「反脆弱性」を読んだからだ。「まぐれ」のころから考え方は一貫している、というような記述があって1、たしかにベストセラーになった「ブラック・スワン」は「反脆弱性」と通底しているけれど、「まぐれ」はそうだったっけ、と思ったのだ。
ところがそうだった。
というか、「まぐれ」にも「黒い白鳥問題」がでてきているじゃないか。
そして、ポパーを読むきっかけにもなったことを思い出した。Rに触れるようになったのもそうだ。
内容はすっかり思い出せなくなっていたのだけれど、「癌の告知」と「偽陽性」のことはどういうわけか、覚えていた。ところがそのふたつをつなげてひとつのエピソードとして覚えていて、それは偽の記憶だった。
本の中ではたしかに「癌の告知」を受けた***がその確率を調べて安心する、というシーンがある。けれど、その確率は生存率のことで、偽陽性の確率ではなかったのだ。偽陽性の確率を知って医者のいっていることをまちがいだと***が思ったという風に話がすりかえられてしまっていた。
なんとまぁ。
なんというポンコツな頭なことか。
Footnotes:
ほんとうにあったのかな?