2020年9月28日月曜日
2020年9月26日土曜日
2020年9月21日月曜日
2020年9月18日金曜日
ループ処理
C言語を使っていたころはループはforばかりを使っていた。
それがPerlでforeachを知り、これは良い! と思っていたのだけど。
最近、javaでforeachループを(forだけど)使っていて、なんか、今いちだなぁ、と。
CommonLispの loopマクロを知ってしまった今となっては。javaにはどうしてloopマクロがないんだ、と不満がつのってしまう。ストレスを感じる。
なぜだろう。
loopマクロだと感覚的にループ処理を書いていると、あまり思ってないような気がする。普通の処理を書いているような感じ。不思議だ。
たぶんループの中で行なわれる処理と、ループ自体の処理が渾然しているからかもしれない。つながっている。
forループとかだと、ループ自体の処理と、中の処理を頭の中で意識的に無理してつないでいるような感覚があるんだよな。loopマクロだと、それが自然に書き下していけるような感じ。
2020年9月17日木曜日
2020年9月16日水曜日
evince
こまったことにMac標準装備のPDFビューアーであるプレビューでは見開きで右開きにできない。
普通の日本語のマンガだと逆になってしまう。これは以前からそうで、そろそろ対応されたかな、と思ったけれどまだだった。きっとそのつもりがないのだろうなぁ。世の中にはAcrobat Readerもあるしなぁ。
ただなんとなく、Acrobat Readerをインストールするのは負けのような気がする。
ほかにビューアーはないだろうか。
そういえば、昔、FreeBSDを使っていたとき、Evinceというビューアーを使っていた。あれはよかった。調べてみたらbrewにあった。さっそくインストールしてみる。
うん、悪くないんじゃない。
2020年9月14日月曜日
2020年9月8日火曜日
吉田伸夫「時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」」
重力レンズについての説明がショックだった。
天体に近い方が重力は強い。そして、重力の強い方が時間の進み方は遅いので天体を中心に光は屈折するというのだ——重力レンズのこと自体は知っていたけれど、光を重力がひっぱるから屈折するのだとばかり思っていた。実はこのふたつは同じことをいっているのかもしれないけど。
ところで重力がまったくない状態だと時間はどうなるのだろう。
無限に発散してしまうのだろうか。
この本、とてもおもしろかったのだけど、疑似科学に容易にとりこまれてしまいそうで嫌だ。
2020年9月7日月曜日
2020年9月4日金曜日
replot
ほぼ毎日、記録するようになったのは 炭水化物を制限するようになってからだけど、そもそも体重を記録するようになったのは遠州灘で体重計を買ってからだ。データはテキストで管理してグラフ表示には gnuplotを使っている。
で、gnuplotには表示するデータの範囲して表示しなおす機能がある。
いちいち一年分のデータとか、つくりなおして実行する必要がない。
gnuplot> set xrange ["2019-8-30":] gnuplot> replot
gnuplotのバッファ 1にいちいち、それらのコマンドを入力するは面倒なので、Emacsから簡単にできるようにしようとしたらすでに「y-replot」という関数が定義してあった。
まったく記憶にない。
過去の自分がつくったにちがいないのだけれど。
Footnotes:
Emacsから使っているので。
2020年9月3日木曜日
2020年9月2日水曜日
2020年9月1日火曜日
真崎・守「はみだし野郎の伝説」
マイ・フェイバリットなマンガというものがあってたとえば、 永井豪の「デビルマン」とか、諸星大二郎の全作品とか——そんな中に真崎・守「はみだし野郎の伝説」がある。高校生のときに読んだのだが、文庫版だった 1。
何度目かの引っ越しのときに紛失してしまい——今だにどうしてなくしたのか、わからない——、時折、思い出したように古本屋で探していたのだが、見つけることはできなかった。文庫版ではなくてもブロンズ社が出していた真崎・守選集でもかまわなかったのだが、発見できず。ちなみに「共犯幻想」は選集の方で2、3をもっていたのに、実家に置いていたら親に処分されてしまった。恨み骨髄である 2。
Kindle版もなく——「ホモ・ウォラント」はkindle化されていたので即座に購入した——、たまたま、Amazonで中古が売っているのを見つけた。もちろん購入である。
ヒッピー、ベトナム、核、学生運動、四畳半のアパート、集団就職、上京、同棲、工場の煤煙、睡眠薬……。
再読して時代性——68年から72年ぐらいの——というものを痛感した。
道具立て的なものもあるけれど、ある種の鬱屈した感じが時代性を感じさせるというか——SF、ファンタジーで復活前の河野典生を思わせる——「狂熱のデュエット」「陽光の下、若者は死ぬ」とか、あと「群青」とかもそうだ——というか、そもそも「俺の愛した殺意というペット」なんてサブタイトル、「殺意という名の家畜」のもじりだもんな。
「はみだし野郎の伝説」を読んだのは1976年のことなので、たぶんあの時代の雰囲気をいうのがまだ、色濃く残されていたのだろう。たぶんその何年か後なのだけれど、タモリの「今夜は最高!」というテレビ番組で、集団就職を揶揄したコントを見た。「都会さ、怖いだぁ」——みたいなやつなのだが、どこか、ピンとこなかった。すでにそういうもののリアリティがうしなわれつつあったのだ、と思う。
当時の真崎・守は大量のマンガを描いていたと思うのだけれど、ほとんど本になっていないような気がする。たとえば、「はみだし野郎の伝説」の主役三人がでてくる室町時代(?)を舞台にした短編——耳なし芳一をベースにした作品とか、「 港のヨーコ、横浜ヨコスカ」を狂言回しにした作品とか、オイルにとりつく黴が蔓延したために現代文明が停止してしまった話とか、エジソンの伝記とか——当時、読んだ記憶がある。まだ、小中学生だったから、大人ものをいれれば、もっと作品はあったはずなのだ。
ただ、読んでみたいような読みたくないような……。