永井豪「デビルマン」(1)
永井豪「デビルマン」(2)
永井豪「デビルマン」(3)
永井豪「デビルマン」(4)
永井豪「デビルマン」(5)
ひさかたぶりに再読した。
所有しているオリジナル版を、である。この5冊だけはどうしても自炊する気になれない。浪人生のときに購入したのだけれど、買っておいてよかった。現在、入手できないようだから。愛蔵版や文庫版や新装版や改訂版があるようだが、内容にすこしばかり手が入っているらしい。
元々は小学校のころに週刊少年マガジンに連載されていて、ドキドキしながら読んだ記憶がある。といっても毎週かかさず、読んでいたわけではなく——週刊誌を買うなんてこづかい的にできなかった——、それでもだいたい読んでいる。
最終回について同級生に教えてもらってあわてて貸本屋で少年マガジンのバックナンバーを読みあさったのだ。
ラストの一コマには子どもながらに感動した。
もっとも空に天使があらわれるそのシーンは少女マンガの花の背景のように比喩的なものだとばかりずっと思っていた。
シーンの意味に気づいたのは単行本を購入して読み返してからだ。あっ、と声をあげてしまいましたよ。そういう意味だったのか、と。あれは苦いラストなんだ、と。
もっとも小学生のころはほかにもあきらかに誤読していて、冒頭の飛鳥了が不良にからまれている不動明を救うシーンで「ピストルは手にはいりにくくてね」「猟銃を改造したものです」というセリフを、拳銃の引き金に指を入れづらいので猟銃を改造した、という意味にとっていた。なんでそんなことをよく覚えているのか、というと、最初、読んだとき、何をいっているのか、わからず、必死に考えた結果、前記のように解釈したのだった。
「手にはいる」という言葉が「入手する」を意味するとは知らない無知だったのだ、当時のぼくは。今もそうかもしれないが。