実は2011年3月12日の段階で、東京から逃げ出すつもりだった。
福島第1原発第1号機の建屋が水素爆発でふっ飛び、原子力研究資料室のUstrem放送などを見たあとだ。状況は芳しくない――しかし、それが原因ではない。
この状況はサンクトペテルブルクのパラドックスの裏ではないか、と思えたからだ。あるいはパスカルの神をどうして信じるか、という問い。
パスカルのように合理的に行動するなら東京から避難するのが正しい――と。
つまりこういうことだ。
状況は次のマトリックスにまとめることができる。
格納容器が無事 | 格納容器が破損 | |
---|---|---|
とどまる | a1.被害なし | a2.被害無限大(たぶん死亡) |
避難する | b1.失職、人間関係の破綻 | b2.日本経済大打撃 |
この状況でぼくに選択できる道はふたつ。とどまるか、避難するか。このそれぞれの被害の期待値は次のように計算できる。
(無事の確率×a1)+(破損の確率×a2)=とどまる被害
(無事の確率×b1)+(破損の確率×b2)=避難する被害
この結果、「とどまる被害>避難する被害」になる。a2の被害が無限大である以上。そうであるなら合理的な判断は「避難」なのだ。
しかも原発は複数個、存在する。
だから判断は「逃げる」だ。
が、今だ、東京にいる。
――家人が仕事があるから、というのだ。それを説得するだけの材料がぼくにはなかった。サンクトペテルブルクのパラドックスは、行動経済学の実験結果では人は通常――このケースだと「とどまる」ことを選択することがわかっている。ぼくの方が異常なのだ。その判断は経済的合理性にもどづいたものではなく、人の感情的なものだが、だからこそそれを説得するのはむずかしい。
腹をくくるしかないのだけれど、そう思ってはいても、次々にでてくる福島原発の状況に肩がぱんぱんになり、おろおろと吐きそうな気分……。
これはきつい。
そこで自己正当化を試みた。
上記の考えはあやまっているのではないか。
たとえば、b2は日本経済大打撃としているが、これはa2と同じで被害無限大ではないか――。次のようになる。
格納容器が無事 | 格納容器が破損 | |
---|---|---|
とどまる | a1.被害なし | a2.被害無限大(死亡) |
避難する | b1.失職、人間関係の破綻 | b2.被害無限大(生存) |
そうすると、話はちがってくる。a2-b2の被害の大きさは単純にぼく個人の価値しかないからだ。どのくらいかわからないが。つまり問題は|(a2-b2)*破損の確率|>|(a1-b1)*無事の確率|であるか、どうかということになる。(a2-b2)=(a1-b1)ではないが、仮にそうであっても、破損の確率が無事の確率と同じでなければ、「避難する」に賭ける意味はない、ということになる。
あー、ほっとした。どうやら最初の判断がまちがっていたようだ。