2011年3月5日土曜日
本多猪四郎監督「ゴジラ」
子どもの頃――たぶん小学生の夏休みに怪獣映画のテレビ放送をよくやっていて「ガメラ対ギャオス」など何度も観たりしていたのだけれど、「ゴジラ」は一度,観ただけだった。しかも途中からで、たぶん、芹沢博士が開発したオキシジェン・デストロイヤーを使用するべきか、どうかでもめているあたりからだった。それでも熱中して観て最後の水中のシーンはかなりもの悲しい気持ちになったのよく覚えている。
どこをどう解釈していたのか、わからないのだが、なぜか、ゴジラは芹沢博士が生み出したのもので――大きな水槽にさまざまな魚が泳いでいたので、その中で生み出されたと勘違いしていたようだ――、その後始末のためにオキシジェン・デストロイヤーを造ったのだ、と思っていた。しかもゴジラはどこかの湖にいる、とまで考えていたのだ。水槽から逃げ出したゴジラが湖で暴れていた、というわけ。
子どもの想像力はおそろしい。
たぶん似たような内容のモンスター映画でも観ていたのだろう。それなりに整合性もとれているし。全然、勘違いだったけれど。
不思議なもので勘違いしているということに、今回、「ゴジラ」を視聴するまで気づいてなかった。いや、「ゴジラ」は水爆が生み出した怪獣だという知識もあったし、東京で暴れるシーンは何度か、テレビで「ゴジラ」を語るとき、流されるので知っていたはずなのだが――それが自分の記憶とリンクしてなかった。まぁ、よく覚えていなかったということもあるが。たぶん、知識と記憶が頭の中で別々のフレームワーク上にでも格納されていたのだろう。
※最近、こういうことはぼくだけに限ったことではない、ということを「え!?絵が下手なのに漫画家に?」で知った。
で、「ゴジラ」だ。
正直に言おう。傑作である。
観る前は斜に構えていたのだが――どうせ世紀の傑作とかいわれていても所詮、日本映画と――、驚嘆してしまった。たしかに俳優の演技がへただとか(さすがに志村喬はすばらしいが)、ガイカーカンウターを船縁から海に向けてゴジラを探すのはおいおい、という感じではあったけれど。
時代が生んだ徒花のような、奇跡的な傑作なのかもしれない。
とくに戦争の記憶が消えつつあった公開当時はその記憶が亡霊のように甦るような恐怖感があったのではないか――。
そして、はじめてきちんと「ゴジラ」を観てはじめてわかったのだけれど、「ガメラ 大怪獣空中決戦」はまちがいなく、「ゴジラ」のフォーマットを参照、取りこんでいる。元々、「ガメラ 大怪獣空中決戦」はガメラシリーズの様々な換骨奪胎が行なわれているけれど――オマージュと呼んでもいいのかもしれないが――、まさか「ゴジラ」までとは思わなかった。
冒頭の夜の海のシーン。船舶への謎の出来事。怪獣の伝説。嵐の夜に起きる暴威。海の中から出現する怪獣。破壊される電車……すべてが終わり、最後に登場人物のつぶやきすらどこか似ているではないか。もちろん平成ガメラでは役割がガメラとギャオスに分担させられているが。
それにしても「ゴジラ」はすばらしい。
戦争経験がないにもかかわらず、息を飲むようなシーンがいくつもあり、戦慄させられた……。その鮮かさだけでもぼくには充分、傑作だ。