歩きに違和感があった。
急に足元が柔らかなくなったような違和感。踏み出した足が微妙にずれた場所を踏んでいるような感覚――ふらついているのか?
眩暈?
iPhoneでGorillazを聞きながら帰宅している途中だった。
立ち止まって音楽を止めた瞬間、揺れているのは自分ではなく、地面なのだ、ということがわかった。揺れている。でかい。そして、いつもならこのあたりで弱くなる、と思われるときに、揺れがさらに大きくなった。国道の向かい側では街路樹がわさわさと音をたてながら揺れ、電線がうねり、ビルが揺れている。
前方ではおばさんふたりにおじさんがひとり、固まって騒いでいる。
かたわらのビルを見上げた。
ベランダに植木鉢が置かれたりしてないか、と不安になったのだ。ない。しかし、何か落ちてきたら最悪だ。そのビルの下に入る。一瞬、ビルが崩れたら、とも思ったが、そのときはかたわらに立っていたら確実に落下物でひどい目にあうだろう……。
おばさんたちの喚き声が聞こえる。
なかなか揺れはおさまらなかった。
車に乗っている人は気づいてないのか、目の前を通りすぎていく。
揺れがおさまったときには自分が興奮していることに気づいた。とりあえず、家人に安否をたずねるメールを送り、帰路についた。国道では車が徐行している。ふりかえって交差点を見ると、渋滞していた。事故があったのかもしれない。どこかからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
店の防犯ベルらしい電子音が鳴り響いている。
その音を地震警報とかんちがいしたおばさんが喚いている。
「また、来るんでしょ、またっ。ほらっ、鳴ってるっ」
横を通りすぎ、道端でしゃがみこんでいる女性のかたわらを抜ける。そこでまた、微震を感じた。足元が揺れた感覚があった。
車は通りすぎ、人々は何事もなく、横断歩道を渡っている。
――ここまで大きかったのはひさしぶりだな、と考えながら歩道橋を上った。そこから見下ろす交差点の風景はいつもとかわりなかった。揺れたとき、どんな様子だったんだろう……。マンションに帰りつくと、セコムの警報が鳴りつづけていた。
そこでようやく気づく。エレベーター、停まってるんじゃ、ね?
案の定だった。
停止していた。
セコムに連絡はいっているだろうが、いつ復旧するか、わからんな、と判断して非常階段を上りはじめた。今日はずいぶん、歩かされる日だな……、と思いながら。玄関前のフロアでは自転車がひっくり返っていた。
自宅に入って唖然とした。リビングへつづく廊下に並べてあった本棚が全部、倒れている。自分の部屋の本棚も全滅だった。斜めにぶっ倒れ、本が散乱している。買ったばかりのシュレッダーと、プリンタと、パソコン本体が落下し、転がっていた。とにかくぐしゃぐしゃだ。
正直、ここまでの惨状は予想してなかった。
今までのようにだいじょうぶじゃないか、となんとなく思っていたのだ。
動かしていた洗濯機は停まっていたが、これは地震のせいなのか、どうかはわからなかった。とにかくキッチンまでいかなければ、と思い、本棚をどかし、散乱した本をまたいで廊下を抜けた。途中で鍋にいれた味噌汁のことを思い出した。昨晩、ひさしぶりにつくった味噌汁だ。ひっくり返ってるだろうな、と思ったが、鍋は無事だった。中身は半分ぐらいガスコンロにまきちらされていたが。
シンクのまわりのものはいろいろとひっくり返り、ブリタにいれていた水のせいで床はびしょ濡れだった。植木鉢は転がり、置時計はシンクの丼の中に浸かっていた。さいわいだったのはメダカの水槽が無事だったことだ。
食器棚の中身はさすがに放りだされ、割れたグラスの破片が散っていた。
二匹の飼い猫の名前を呼ぶが、返事はなかった。おびえてどこかで震えているのだろう。落下物に潰されているなら声が何か聞こえるはずだ。それはなかった。
リビングのテレビをつけ、震源が東北の方だ、と知る。数日前の地震と同じ震源だ。被害の程度はわからない。津波警報がでていることを伝えている。
自室にもどり、パソコンをチェックした。動かしっぱなしで出かけていたのだが、再生していたDVDはエラーになっていたが、他は問題なさそうだった。さすがSSD。衝撃に強いな、と感心しながら――台から落下していた――、インターネットの地震情報をチェック。
驚いたことにtwitterは問題なく、タイムラインを流していた。
Googleのリアルタイム検索でサーバールームでラックが倒れ、腹を潰され、だれも気づいていない、血がでている、助けてくれ、というメッセージを見てしばし、固まる。だいじょうぶか、と思ったが自分がどこにいるか、肝心の情報がない。いろいろと見ているうちに、いたずらではないか、と思えてきた。あまりにも冷静な文章の上、状況から考えると、ツイッターではなくメールでだれか知り合いに連絡できるはずだし、twitterのダイレクトメッセージもある。
何かおかしい。いずれにしても、どうすることもできないし、サーバールームのラックが簡単に倒れるとも思えない。いたずらだとしたらこの震災の状況でこういうことをする人間がいるんだ、ということに唖然とした。震災の状況を知らなかっただけかもしれないが。最終的にこの件に関しては住所がわかった段階でデマと判断した。存在しない住所だったのだ。
いずれにしてもテレビ――Ustrem――とネットの情報でかなりの震災だということがわかってきた。マグネチュードも8.8に変更された。そうこうしているうちに津波の様子が伝わってきた。港では漂流しはじめた桟橋が駐車場のビルに衝突し、船が――漁船よりも大きく、タンカーよりも小さな――堤防にただ、押し流されて衝突した。
沖から押し寄せてくる津波も放映された。遠目にはまるでサーフィンに最適なきれいなセットブレイクの波に見えた。正直、まかれたくない、と思えるものだった。死ぬ。
無力を受け入れるしかない状況だった。
何かしなければ、と善意でデマを拡散させてもしかたがない。
できるのは自分のまわりの何人か、の無事を確認することぐらいだろう……。
とりあえず、行方がわからない家人と猫が心配だ。twitterをやらせておけば、よかった、と思ったが後悔してもしかたがなかった。Googleの消息検索サービスと携帯電話の検索サービスをチェックし(いずれも情報なし)、パソコンからメールを送っておく。携帯電話の回線は使用できないだろう。Skypeは使えるということだったが、相手が携帯電話、固定電話では無理のようだった。心配しているだろう実家へ連絡する術もなさそうだった。
――猫は、一匹は布団の下で怯えているところをすぐに発見した。そのあとすぐ、余震ですさまじい勢いで駆け出し、ベッドの隅に逃げ込んでしまったが。
もう一匹がどうしても見つからない。
一番心配していた本棚の下敷、ということはなかった。しかし、他の場所にも姿はない。見当たらない。もしどこかで潰されているなら臭いがするはずだろうからどこかで震えている、と考えるしかなかった。
妹からメールがあり、その返事をだして震災の状況を見つづけた。
濁流となった津波が田畑を飲みこんでいくシーンに息を飲み、車が何台も空箱のように固まって流されていくシーンに唖然とした。ガスタンクが爆発し、そして、福島原発。
余震はつづいている。
夜になって燃え上がる気仙沼の様子が放映された。
JRと地下鉄は運行を停止しているという。
そこへようやく家人からメールが到着した。
銀座線、大江戸線が復旧し、家人が帰宅できたのは夜中近くだった。
※最後まで行方がわからなかった飼い猫はここにはいないだろう、と思っていた棚の上に目を真っ黒にして隠れていた。