2010年10月12日火曜日

馬券生活(9)

 ホッカイマティスやターフメビュースのような思い出深い馬との出会いはG1クラスではほとんど、なかった。
 ひとつにはそういうレースを好まなかったということもあるが――G1レースのパドックは混みすぎだ――、まったくいないわけではなかった。アブクマポーロはそういう一頭だった。今だに彼が最強の馬だとぼくは思っているが、ちなみにアブクマポーロを負かしたメイセイオペラは速い馬――このちがいをわかってもらえるだろうか。
 二頭とも中央競馬ではなく、地方競馬の馬だが、まちがいなく、強い馬であり、速い馬だった。
 中央でも通用する馬だと思えたし、ターフでも通用するように思えた。メイセイオペラの方が芝向きだとは思っていたけれど。
 そう嬉々とKさんに話したところ、彼女にいわれた。
「アブクマポーロが中央で走ったとき、あなたはだめだって切ったじゃない」
 そういわれるまでまったく認識してなかったのだが、ぼくは中山で行なれた地方交流戦のときのアブクマポーロを見ていたのだった。
 第四十三回産経賞オールカマー。
 地方競馬から強い馬がきている、と妙にパドックがざわついていたことは覚えている。しかし、ぼくの目にはアブクマポーロはまったく映ってなかった。Kさんからどうか、という問い合わせの電話があり、それではじめてまじめに見たのだった。そして、ぼくははっきりと「切り」と答えた――。
 結果はアブクマポーロにとっても不本意なものとなった。八着。
 ぼくがアブクマポーロを意識したのは東京大賞典で中央の馬――トーヨーシアトルに敗れ、復帰第一戦だったと思う。川崎競馬でおこなわれた川崎記念レースだった。そのときのぼくはパチンコの収入も途絶え、資金も充分でなく、Kさんに借金して競馬場へ通っていた。
 トーヨーシアトルが参戦していたためだろう。
 アブクマポーロの一番人気だったが、オッズは一・七倍ほどだった。そのオッズはアブクマポーロにしては高いものだとは知らなかったが、ぼくはそのときの財布の中身全部をアブクマポーロの単勝に賭けた。全財産勝負してもいいと思うほど、オーラを放っていたのだ。すばらしい存在感だった。財布の中身は七千円しか残ってなかったけれど。
 その馬券以来、アブクマポーロの馬券をぼくが買うことはなかった。
 あまりにも人気するため、買う気になれなかったのだ。それでもそれなりにレースはフォローしていた。マイルチャンピオンシップ南部杯参戦で水沢競馬場へ遠征したときも最初から買えない馬券だとはっきりしていたので、あとでKさんが録画したビデオを見せてもらった。彼女は勝負にいっていたのだろうと思う。
 録画のパドックを見ながらぼくは思わず、つぶやいた。
「――やばいかも……」
 そのつぶやきにKさんが黙りこんだ。
 輸送の影響なのかもしれないが、ぼくの目にはアブクマポーロがかかりすぎているように見えた。もともとパドックでは気合いを表に出す馬なのだが、それにしてもすぎているようだった。
 それでもアブクマポーロは強く、圧倒的な足でゴール前の直線で先行していたメイセイオペラへと迫ったが、届かず三着。あと百メートル直線が長ければ、という競馬だった。
 次のアブクマポーロとメイセイオペラの直接対決は大井で、こちらはアブクマポーロの圧勝。まぁ、勝つでしょう、という状態だった。しかし、そのレースを見てはじめてぼくはメイセイオペラが強い――速いことを認識した。だてにアブクマポーロに土をつけたわけわけじゃない、と。
 それなのに中央競馬のダートのG1にでたメイセイオペラを買えなかったのだけは痛恨だ。さらに痛恨なのは一年後の同じダートG1でメイセイオペラの単勝馬券で勝負してしまったことだ。メイセイオペラは二着で破れたのだが、パドックですでに不安材料ばりばりだったのだ。嫌な予感のする状態だった。それなのに、前の年に買えなかった痛恨さが馬券を購入させてしまった……。
 一着にきたとき、馬券を買ってない痛恨よりも買って外れた馬券の方がよい。そう考えてしまったのだ。
 この一件を見てもぼくがギャンブラーとして三流以下であることはあきらかだ……。