2010年10月10日日曜日

馬券生活(8)

 そんなぼくにできたのはパチンコへ通うことだった。
 以前、無職になったとき、二ヶ月ほどパチンコで喰っていたことがあるのだ。学生のころにはバイトのかわりにパチンコで稼いで中古のオートバイを買ったこともある。パチンコはカジノ賭博とちがってランダムではないので勝つ方法が存在する。ぼくが知っているその方法が有効なら小銭程度は稼げるだろう……。
 最初の一ヶ月はパチンコで二、三十万、稼いだ。ただし、毎週末、競馬へ通っていたので金はまったく残らなかった。競馬に吸いこまれた。
 二ヶ月目、三ヶ月目になると、店側が出玉を絞りはじめた。
 勝つこと自体がむずかしくなった。
 パチンコで喰うつもりなら新しい店を開拓すべき頃合いだった。それはわかっていた。わかっていたが、パチンコは仮の姿だと考えている自分がいた。馬券で喰うのが正しい姿だと。負けつづけていたにもかかわらず。
 タイミングの悪いことにちょうどそのころ、パチンコで体感器打法という必勝法が問題になりはじめていた。そのためなのだろう。時々、手を休めて打っていたら新人の店員に注意された。
 手を休めるな、打ちつづけろ、と。
 客がどのようなペースで打とうが関係ないだろう、とカチンときて怒り狂い、以降、その店に行くことをやめてしまった。
 それは収入がなくなったということも意味していた。


 馬券はあいかわらず、負けつづけていたが、どういうわけだか、前年と同じ九月の中山競馬場だけはプラスになった。
 その時だったか、次の中山開催のときだったか、前の年に取りそこねた複勝五八八〇円のホッカイマティスの馬券にけじめをつけることができた。去年と同じく最終レースだった。やはり雨しぶりの馬場だったと記憶している。もちろん、複勝五八八〇円ということはなく、複勝一三六〇円だったが、充分だった。一万を突っこんでいたので十万をゲットした。
 不思議なことにずっと馬を見つづけると、そういう出会いが時折、ある。
 馬券をくれる馬という意味ではなく、くるときがパドックではっきりとわかる馬だ。今日は調子が悪いな、とわかる馬だ。どの馬にもそういう記憶をもてれば、馬券でプラス計上も夢ではないのかもしれないのだが――ホッカイマティスはそういう一頭だったし、ターフメビュースもまたそうだった。
 最初の出会いは中山競馬場だったと記憶している。
 パドックで発見し、スピード指数で――このころにはスーパーパドックの指数の見方もかなり堂にいってきていた――ハナにたてそうだ、と踏んだ。たしか前残りぎみの馬場コンディションだったのだ。
 単勝複勝を賭け、見事に一着へきた。
 単勝五六一〇円、複勝七四〇円。
 三十万円コースだった。
 二着の馬も穴馬で馬連は六五二九〇円の万馬券だった。もちろん買ってなかったけれど。
 うれしさあまってパドックからKさんへ電話した。
 よろこびを伝えようとする前に、向こうから先に興奮した声が響いてきた。なんと彼女は馬連を買っていたのだ。二着に着たのはクラサンゼットいう彼女が買いまちがえで万馬券を獲ったときの馬だったのだ!
 おそるべき、ツキの太さである。
 お互いによく馬券を買っていたが、互いに勝負にいった馬券でガツンと獲れたのはこのときぐらいだった。お互いにガツンと外すことはよくあったのだが。
 ターフメビュースとの再会は府中の東京競馬場でだった。
 しかし、このときのターフメビュースはくる気がせず――疲れているように見えた――、馬券は買わなかった。見(ケン)をきめこむ。もともとターフメビュースの競馬はハナに立って逃げるか、二番手追走の形で最後の直線で前に出て粘るタイプだったので無理な気がしたのだ。結果、ターフメビュースは三着にもこなかった。
 三度目の出会いはさらに二、三週間後の東京競馬場の最終レースだった。
 ぼくの目には買い。
 これを買わずして何を買うというのだ、という状態。
 問題はこの日のぼくは負けがこんでいて資金がなかった、ということだった。単勝一万円、複勝二万円いきたいところだったが、財布の中には二万しかなかった。その二万円をターフメビュースの単勝一点に賭けた。
 保険の複勝馬券はなし。
 熱い馬券だった。
 最終コーナーを二番手でまわったターフメビュースがすぐに前の馬をかわし、先頭に立ったときぼくは勝利を確信した。ターフメビュースの勝ちパターンだった――。そのまま、そのまま、とぼくはつぶやきつづけた。ターフメビュースは一着でゴールした。単勝二〇八〇円。ターフメビュースによる二度目の穴馬券だった。
 次の出会いを楽しみにしていたのだが、そのあと一レース走ったあと、引退してしまった。