2010年10月4日月曜日

馬券生活(6)

 馬券生活で問題は地方競馬だった。
 というのもパドック派だったとはいえ、ぼくにはまだまだスーパーパドックの出力したスピード指数が必要だったからだ。ところがスーパーパドックはJRA-VAN(当時)のデータを利用していたため、地方競馬には対応してなかった。
 しかたないので地方競馬用にスピード指数は自前で計算することにした。
 基本的な考え方はアンドリュー・ベイヤーの「勝ち馬を探せ!」でわかっている。
 簡単なプログラムを組み、データは競馬新聞から自分で入力した。
 これで毎日、競馬場へ通うことが可能になった。あっという間にぼくは馬券まみれになり、これまでの人生ではなかったくらい真っ黒に日焼けしてしまった。パドックの陽射しのせいである。勝ちつづけていれば、楽しい毎日だったのだろう。あいにく、十月、十一月、十二月と競馬場に通いつめたぼくは、九月の浮き分などあっさり吐き出してしまい、まさに転がるように負けていっていた。エクセルでつけていた収支はグラフ表示すると急角度で右下へ落ちていった。
 そして、その年の有馬記念はKさんと中山競馬場へ行った。
 彼女は他の競馬仲間と客席で、ぼくはパドックでの競馬だったのだが、想像以上の人ごみにパドックで馬を見ることはおろか、馬券を買うことすらままならないような状態だった。
 それでも九レースだったか、武豊騎乗のスーパーパドックの指数で抜けているにもかかわらず、一番人気ではない馬がいた。パドックを見ることはできなかったので迷ったが、指数的にはかなりその馬は強い。勝負した。
 それで一日のプラス五万円という目標を達成したぼくはKさんを残して帰宅した。有馬記念はグリーンチャンネルで観戦することにした。ところがグリーンチャンネルのパドックであまりにも武豊のマーベラスサンデーが抜けて見えたのでKさんのPAKを借りてがつんと勝負してしまった。
 結局、マーベラスサンデーはゴール寸前でシルクジャスティスに差されてしまい、複勝のみの的中でわずかにマイナス。思わず、悲鳴を上げてしまった。
 Kさんは競馬仲間がシルクジャスティスを応援していたこともあり、そのおいしい馬券を見事にゲットしていた。単勝八一〇円、馬連一二四〇円。
 ぼくが多少、パドックで馬を見れることなど問題でないほど、博才という意味では彼女の方がすぐれていた。なにしろ、ぼくの回収率はせいぜい八割でしかなかったが、彼女のそれは九割をこえていたのだ。その上、ギャンブラーに必要なツキも彼女は持ちあわせていた。
 たとえば、彼女が馬券を買いまちがえたのを二度ほど目撃したことがあるが、その両方とも的中していた。一度などクラサンゼットいう地方競馬からの転厩馬をまちがえて買っての万馬券だ。馬連四五三七〇円であった。
 シルクジャスティスの馬券はまさに彼女のツキの太さゆえだろうし、そして、サニーブライアンもそうだった。
 馬に興味などなく、馬券ばかりに集中していたぼくだが、それでも印象に残っている競走馬の一頭に皐月賞と日本ダービーで二冠を獲ったサニーブライアンがいる。たぶん世間的にはあまり強い馬ではなく、たまたま運良く勝てたという評価なのかもしれないが、ぼくはあの馬は強かった、と思っている。というか、二冠をとって弱いという評価は理解できない。菊花賞に挑戦できなかったのは故障のせいだったことだし。
 ところがぼくは昇級戦のころからサニーブライアンのことは気にしていたにもかかわらず、馬券はすこしも獲っていないのだ。皐月賞もダービーも弱いと評価するマスコミに流されしまって馬券を買わなかった。
 ところがKさんはしっかりと獲っていた――。


 閑話休題。
 いずれにしても有馬記念が終わったころにはぼくの競馬の負けは百万をこえていた。