2010年9月29日水曜日

馬券生活(4)

 夏競馬の季節が終わり、ひさしぶりに開催された中山競馬場。無職になってはじめてのパドックは残暑きびしく、とても暑かった。
 二階フロアの、本馬場に背を向けたパドック側のベランダ。そこからぼくは手すりにもたれかかってパドックを見下ろした。ぼくの正面には刻々と変化するオッズの電光掲示板が見え、眼下にはパドックを周回する競走馬たち。右手には馬主専用席が見えた。
 無職になってはじめてのパドックはさすがに緊張した。心の奥底では自分には馬を見る目があると信じていたが、はたしてそれが正しいのか……。
 その日のメインレースは武豊騎乗の馬が一番人気だった。ダンディコマンド。小倉で強い勝ち方をしてきた馬で二番人気は岡部騎乗のクロカミ。
 残暑でひどく暑い日だった。
 ダンディコマンドは馬格もよく、確実に抜けていた。ぼくにはそう見えた。周回する馬を次々にチェックしながらやはり武しかいない。この馬への単複と考えていた。
 馬券で喰うために、やり方として単勝と複勝の一点買いと決めていた。単勝一に複勝二の割合い。複勝が一・五倍つけば、たとえ、二着か、三着でもチャラだ。それを保険として単勝を勝負と考えた。
 枠連、馬連などはあまりにもいろんな買い方が考えられるので、シンプルにいくつもりだった。単勝複勝だけなら一頭の馬のことだけを考えれば、よい。
 もちろん、控除率のちがいも承知していた。
 馬券の控除率は約二五%だが、複勝と単勝は約五%、払い戻し金に加算されることになっている。つまり複勝と単勝の控除率は約八〇%ということだ。このことは長期間、馬券を買いつづければ、ボディブローのように効いてくるだろう。そして、ぼくは長期間、馬券を買いつづけるつもりだった。できるなら一生。
 のちにアンドリュー・ベイヤーが「勝ち馬を探せ」の中で馬券は単勝で行くべきである、とのたまっていて意を強くしたものだった。ちなみにアンドリュー・ベイヤーの馬券作法はスピード指数――言葉はちがっていたが――をつかっての予想だった。スーパーパドックの解説書ではオリジナルような書き方をしていたけれど、考え方自体は昔からあるものらしかった。
 馬券で喰うことを考えはじめたぼくは仕事を辞める前に何冊か、競馬関連の本を読んだ。
 多くはない。古典ともいうべき「勝ち馬を探せ」をふくめて五冊ほどだった。いわゆる必勝本はまったく読まなかった。理由は簡単で必勝法があるならそれを本にする必要はない――そうであるなら必勝本は必勝と謳っているだけだ。
 とくに馬券の払い戻しのシステムは必勝法が一般に知られれば、有効性をうしなうのだからなおのこと、必勝本というものはありえない。
 同じ理由で、よくある馬券の予想サービスにも手を出す気にはなれなかった。
 第一、他人の予想で馬券が的中してもつまらないではないか。


 ところが馬券の先輩であるKさんは予想サービスにも登録していたし、モンテカルロ式と呼ばれる必勝法にも手を出していた。ぼくには当たり前と思えることも彼女にはそう見えていないのだ、と気づくのにしばらくかかった。
 ひとつには彼女にとって馬券は投資のつもりがあったからかもしれない。
 銀行に預けても金利がほとんどつかない――そんな時代だ。投資先を探していたのも当然だった。
 モンテカルロ式というのはその買い方でカジノの胴元{ハウス}を破産させたという伝説の手法だった。それを馬券の買い方に応用した――というのがその必勝本の謳いだった。
 詳細は忘れてしまったが、発想は次のようなものだ。
 一番人気の馬が勝つ確率は三分の一である。また、二番人気も三分の一近い勝率である。それなら単勝オッズ三倍以上の一番人気の馬か、二番人気の馬を買えば、いい、という。
 ルーレットの必勝法といわれる――もちろん必勝法ではない――赤黒の確率が二分の一であることを基本に、賭け金を倍々に上げていくというやり方がある。外れても賭け金を倍にしてあるので次の的中ですべてを取り戻せる、というものだ。
 実はこれにはふたつの大きな誤謬が存在する。
 まず取り戻せるから勝てるということではない、ということ。確率二分の一の目に倍々ゲームで賭けたところで勝つということにはならない。せいぜいイーブンというところだ。
 そして、ここが重要だが、親の総取りという目が存在する以上、実は赤黒の確率二分の一ではない。賭けつづければ、親の総取りの確率分、負けていく。ちなみに親の総取りがなければ、三十六倍の一点賭けでも確率的にはイーブンになる。一点賭けがくる可能性は三十六分の一なのだから。
 モンテカルロ式は結局、その応用編にすぎず、二分の一ではなく、三分の一の確率のものに賭け金を増やしていきながら賭けていくというものだ。最良のケースでイーブン。最悪は上昇した賭け金で一瞬にして破産……。
 Kさんのモンテカルロ式は最初のうちは順調だった。
 いつだってギャンブルは最初のうちは順調なのだ――しかし、すぐに負けがこんできた。
 連敗するとこの手の必勝法はあっという間に賭け金が上昇していく上、当たるまで続けないといけないのが、つらいところだった。逆にいうと、横からその買い方をやめさせるのは難しい。次に的中すれば、今までの負けが一気に取り戻せるからだ。そう考えて賭け金が膨らんでいく。
 Kさんは顔をひきつらせながら賭けつづけた。
 詳細を知らなかったぼくは彼女のモンテカルロ式必勝本を読んでみた。
 本の後半が成功例で埋められているあたり、いかにも典型的な必勝本だった。嘘臭さ一〇〇%の本。さらにぼくはモンテカルロ式の期待値を計算してみた。その結果、期待値が1を下回っていることがわかった。つまり回収率は一〇〇%を下回る――一〇〇%はイーブンだ――つまりモンテカルロ式は必敗法だったのだ。
 そのことを伝えると彼女はそのやり方を即座にやめた。
 それはぼくの言葉が響いたというだけではなく、膨れあがる賭け金にすでに限界を感じていたのだろう。
 ちなみにモンテカルロ式がカジノの胴元{ハウス}を破産させたという伝説は胴元がわざと流布したものではないか、と最近のぼくは疑っている。理由はあきらかだ。胴元にとっては必勝法なのだから。


 パドックはあいかわらずの陽射しだった。
 周回している競争馬はどの馬も汗をかき、鞍の下から白く泡だった汗が流れている。クロカミも例外ではなかった。その中で汗をかいていない馬が一頭だけいる。武豊騎乗の一番人気の馬――ダンディコマンドだ。
 パドックで汗をかいていないというのは基本的に好材料だ。イレこんでいないということなのだから。人でもそうだが、疲れているときの方が発汗は激しくなる。
 ――しかし、とふと気づいた。
 こんなに暑い日にまったく汗をかかないのは逆におかしくないか、と。
 その異常さに気づいたぼくは結局、二番人気のクロカミで勝負した。
 結果は武の馬はまったくいいところもなく、着外。一着はクロカミだった。レース後、どうして走らなかったか、まったくわからない、と武自身がコメントしていたが、おそらくダンディコマンドは体調を崩していたのだろう、と思う。
 この一件はぼくにパドックの重要性を確信させた。
 同じ空間にいなければ、暑いのにどうして汗をかかないのか、ということに思い至らなかっただろう。テレビ越しに見ていたのなら汗をかいていないことを好材料ととらえていたにちがいない。
 翌週の日曜日、準メインで地方競馬からの転厩馬で勝負した。
 人気はなく、スピード指数もデータがないので判断しようがなかった。パドックで見つけての勝負だった。まだ、抑え気味の金額での勝負だったが、それでも単勝と複勝であわせていきなり七万ほど、浮いた。
 なんとか、馬券で喰っていけそうだった。

アンドリュー・ベイヤー「勝ち馬を探せ!!」