「あの……」
もうしわけなさそうな声でおずおずとぼくはいった。
「今度の仕事が終ったら田舎に帰ろうか、と思ってまして」
ぼくの向かいの席に座っていた久保田さんは目を丸くした。
「そうなの」
「ええ、両親の体調がよくなくて。面倒みないとまずいかなと」
「そうかあ。残念だな。きみならすぐに次の仕事は見つかると思うんだけど」
今、やっている仕事が終了したあと、どうするかについて話していたのである。
ぼくは深々と頭を下げていった。
「もうしわけありません」
いつも吹きでる汗で眼鏡を曇らせている久保田さんはしかたない、という表情を浮かべた。
ぼくはもう一度、頭を下げた。
しかし、ぼくのいっていることはすべてでたらめだった。
三十五歳のころまでぼくははいわゆるレース系のギャンブルをやったことがない。競馬、競輪、競艇など、何かがゴールまで競いあい、それを予想しあうギャンブル――。
麻雀やパチンコはやっていたのに、レース系のギャンブルに手をつけてなかったのは田舎に住んでいたからというわけでもなかった。大学生活を送った佐世保には競輪場があったし、すこし足をのばせば、大村には競艇場があった。
にもかかわらず、手を出さなかったのは単純に興味がなかったからだ。
ひとつにはルールがわからない。
ふたつ、中島梓氏が何かのエッセイでいっていたように「騎手なら競馬もやってもいいけれど」という気分――プレイヤーとして参加できないために興味が持てなかった。
それが人生の折り返し地点をすぎたところで競馬に手をだしたのは当時、つきあっていた女性――Kさんの影響だった。
はじめての馬券のことはよく覚えている。
菊花賞に出場するダンスインザダークを応援するため、京都競馬場へ行ったKさんに馬券を買ってもらったのだ――予想も何もないスポーツ新聞の馬柱を眺めて適当に買った馬券だった。さすがに名前だけは知っていた岡部幸雄と武豊の名前から三点ほど選んだ。
結果はすさまじい足で最後方からダンスインザダークがすっ飛んできて、武豊のダンスインザダークの一着。二着には岡部のロイヤルタッチがはいった。馬連一七六〇円で三万円ほどのプラスになった。
それで簡単だと思ったわけではないのだが、毎週、後楽園ウィンズへ馬券を買いにいくKさんにつきあううち、ぼくも馬券を買うようになってしまった。暇だったのだ。そして、彼女がつかっているスーパーパドックというスピード指数をベースにした予想ソフトの出力結果を参考に買ったところ、これがまた、よく当たった。
そうすると、自然に興味を持ってくるもので、あるとき、ぼくはKさんにたずねた。
「馬券の払い戻しってどうやって決まるの?」
彼女は知らなかったのだが、ぼくはそういうことが気になるたちなのだった。
そして、それは子どものころからの疑問でもあった……。
単勝とか、馬連があることは子供心に知っていたが、払い戻しがどうやって決まっているのかがわからなかった。宝くじのようにあらかじめ公示されているわけではないのだから何か決めるやり方があるのだろうとは思っていた。しかし、さすがに子どもの想像力ではそれがわからなかったのだ。知識も足りなかった。
結局、こういうことらしい。
たとえば、馬連の場合。馬連の馬券の売り上げから主催者が二五%を天引きして取り、残金を的中した馬券へ均等に分配するのだ。そういうシステム。それを知ったとき、勝つのがきわめてむずかしいギャンブルに手をだしていることに気づいた。ランダムに馬券を買いつづければ、回収率は七五%に収束するからだ。つまり馬券で浮くには二五%以上、底上げする何かが必要だということになる。二五%は四分の一だ。それだけたとえ底上げできたとしてもイーブンでしか、ない。
閑話休題。
適当に買っていた馬券が的中していたのはどうやらビギナーズラックだったらしい。一ヶ月もすぎると、負けがこんできた。