藤代三郎「外れ馬券に風が吹く」
どういうわけか、「ギャロップ」誌上の藤代三郎のコラム――「馬券の真実」とはシンクロすることが多く、ぼくは毎週、楽しみにしていた。戦友気分だった。たとえば、複勝ころがしのときもそうだったし、ターフジーニアスの単勝万馬券のときもまたそうだった――。
春先の未勝利戦。昼休み前のレース。
なぜか、そのときはいつもの後楽園ウィンズではなく、浅草ウィンズにいた。しかもひとりで――混雑した人ごみにまぎれ、ぼくはじっとパドックの実況を見つめた。
未勝利戦ということもあってどの馬もピンとこなかった。いいのがいないなぁ、と考えていると、その馬が画面にあらわれた。思わず、息を飲むほどだった。これは抜けている。まちがいなく買いだ――同時に表示されていたオッズもまた凄かった。単勝だというのに二万円台の万馬券だった。その人気のなさに恐怖を感じながらもこれはいくしかないだろう、と思っていた矢先、次の馬が画面に映し出された。
「うおっ」
次の馬も負けず劣らず抜けていたのだ。
その馬がターフジーニアスだった。こちらも単勝万馬券。
心の八割は最初の馬へいくことで決まっていた。
その決心をひるがえしたのは返し馬のときだった。最初の馬の本馬場入場したあと、走りをじっと見ていたぼくは失望を禁じえなかった。走りが重い。だめだ。この馬は――その直後にターフジーニアスの走る様子が飛びこんできた。
――エクセレント!
なにがどうすばらしいか、まったく説明できないが、これがすばらしく良かった。まちがいなく抜けている。
確信した。買うしかない。
単勝、複勝、ターフジーニアスからの総流し馬券を買うべきだ、と考えた。
ところがぼくがいた浅草ウィンズのフロアは千円単位でしか、買えなかった。しかたなく、単勝を千円、複勝を二千円、購入した。JRAの穴馬男、江田照男が騎乗したターフジーニアスはゴール寸前で先頭馬をかわし、見事にトップでゴールした。それがぼくの生まれたはじめて万馬券だった。
一〇、六七〇円の単勝万馬券。
当然、馬連も四六四一〇円の万馬券だった。
ぼくが浅草ウィンズでガッツポーズしていた同じ時刻、藤代三郎氏は中山競馬場でターフジーニアスの単勝万馬券をゲットしていた。「馬券の真実」によると、藤代氏もまた、ぼくと同じく返し馬でターフジーニアスを見いだしていた。
そのころにはスピード指数を元に買っていた自動購入馬券は百レース連続外れ、負け総額が百万に逹っしていた。
予定通りぼくはそのやり方を放棄した。その次のレースで的中がでていたが、おしいとは思わなかった。ぼくはすでにギャンブルの本質――不確定な未来への投機……その悦楽に嵌っていたのだ。プレイヤーとして参加できないからこそ、的中したときの快楽も深い。「騎手なら競馬もやっていいけれど」というのは結局、やったことのない人間のエクスキューズだったのだろう。
バブル後の不景気が煮詰まっていく中、仕事がひとつ、中止になった。
それがきっかけだった。
きっかけにしかすぎなかった。
細々と貯めてきた五百万を元手に馬券で喰えるか、試してみるつもりだった。
二度とプログラマーあるいは、システムエンジニアの職には戻らない。そう決心して仕事を斡旋してくれていた久保田さんと会ったのだった――。