2010年9月24日金曜日

馬券生活(2)

 ――何か方法はないものか?
 スピード指数の発想を理解し、払い戻しのシステムを知ったぼくはそう考えはじめた。ランダムで勝てるわけはないのだ。
 そこでぼくはレース結果とスピード指数の関係を三ヶ月分、過去に遡って調べてみた。すると、ある組合せで一点買いでつづけると、最終的にはプラスになることがわかった。
 三ヶ月分では検証データとしては短すぎるかもしれない。
 でもこのあと、一年、データを収集しているあいだにプラスになったら大損だ。
 やってみるか。
 毎レース一万円の一点買い。資金の上限は百万円と考えた。そこまでつづけてみよう、と。百レース、やれば、一度は的中がでるだろうからたぶんだいじょうぶだろう。
 弊害は思わぬところからやってきた。
 競馬がつまらなくなってしまったのである。
 それはそうだ。機械的に馬券を買うだけなのだから。
 あまりにもつまらないのでぼくは遊びをはじめた。
 複勝ころがしである。
 当時、ぼくとKさんは毎週、朝一番で後楽園ウィンズへ行って馬券を購入した。ぼくの購入馬券ははじめから決まっていたので買ったあとは暇でしかたがない。そこで競馬場の中継を眺めて無聊を慰めていたのだが、そのうち、パドックと返し馬で馬の様子がわかるような気がしてきた。結構、選んだ馬が好走しているような気がする。
 そこで思いついてしまったのだ。
 パドックの訓練も兼て複勝ころがしというのはどうだろう、と。パドックと返し馬で選んだ馬の複勝を購入。的中した場合は払い戻しをそのまま、次の良さげな馬へ突っこむ。連勝すれば、複勝とはいえ、複利効果で払戻金はあっという間に膨れ上がることだろう。失敗したとしても最初の分だけだ。
 それに複勝ならころがる可能性が高いのではないか?
 千円からはじめて百万円を目標にした。
 毎週、1レースか、2レース、ぽつぽつと、ころがしていった。
 百万としたのには理由がある。
 百万円の払い戻しは自動払い戻し機ではできないのだ。それ専用の、高額払い戻し窓口へ行く必要があり、その上、その百万円はJRAの帯封つきだ、という話だった。
 つまり百万円の払い戻しというのは馬券を買う人間にとって一種のステータスなのである。
 百万円コースといえば、思い出すのはホッカイマティスの複勝馬券だ。
 たしか不良馬場の第5回中山三日目の最終、九〇〇万円下。冬だった。
 二万円分の複勝を購入するところまでいきながらぼくはホッカイマティスのあまりの人気のなさに日和ってしまった。寸前で購入馬券を人気馬に切りかえてしまったのである。結果は購入した人気馬はどこかへ飛び、ホッカイマティス三着の、複勝五八八〇円の超穴馬券だった。
 すぐそばを百万円コースがかすめていったのにぼくはそれをつかめなかった。


 最初の複勝ころがしは二、三回で失敗してしまったが、二度目はうまくはまった。ころがりつづけた。四、五回ころがったところで十万をこえた。
 まったくの偶然なのだが、その頃、藤代三郎氏が競馬専門誌「ギャロップ」誌上のコラムで複勝ころがしをやっていた。そちらも百万が目標で毎週、ぼくと歩調を合わせるように地道にころがりつづけ、それにつれてころがす金額も膨れあがっていった。
 たしか新潟か、福島――いずれにしても裏開催だったことだけは覚えている。昼休み直後のレースで穴目の複勝を購入した。
 ゴール寸前、かたまった馬群の最内を買った馬がつっこんできた。
 ――きた!
 三着。
 払い戻しが確定した瞬間、横に立っていたKさんがささやいた。
「……五十万、こえた……」
「そんなことないだろ」
 ぼくは笑ったが、よくよく計算すると彼女が正しかった。
 その複勝馬券は四倍近く、ぼくが突っこんだ金額は十四万円、近かった。ぎりぎり五十万円をこえていた。
 驚いた。
 もっとも並行してやっていたスピード指数まかせの自動購入馬券は五十万以上の赤字をだしていたので――五十レース以上、的中しなかったのだ――、トータルではまったくの赤字だった。それでもその五十万で負け額がかなり減る。
「確定することにするよ」
 そういってぼくは払い戻しに向かった。
 自動払い戻し機はしばらく札を数えてから五十万を吐き出した。
 上機嫌になったぼくは試しに、と次のレースで一頭を選んだ。ころがしたとしたらこの馬だな、と――。
 的中した。
「うそっ」
 二着。複勝二・三倍。
 ころがしていれば、百万円コースだった……。
 ちなみ藤代三郎氏はぼくよりも二回、多くころがして百万円近くまでいった――最後の最後で失敗してしまったが。
藤代三郎「外れ馬券に風が吹く」