アンドリュー・ウィテイカー「アインシュタインのパラドックス――EPR問題とベルの定理」
非常におもしろくて熱中して読んだ。でも半分も理解できなかった。バックグラウンドになる知識がなさすぎてさっぱりわからなかったし、数式にいたっては完全にアウトだった。
それでも自分がすっかりかんちがいしていた、ということはわかった。
よく量子力学を説明するために「シュレーディンガーの猫」が使われるけれど、これをテレビなんかで見るたびに、何の冗談だろう、と思っていた。猫は死んでもいるし、生きてもいる重ね合わせの状態にあるなんて。これは単純に、中では猫の状態は決定しているが、観察している側にはわからないだけの話だろう、と。
だから量子力学というのは観測者側の問題なのだ、と思っていた。観測者の限界にすぎない、と。
ところが元々、「シュレーディンガーの猫」は量子力学の奇妙さを指摘するために、提起されたものだという。つまり猫が生死の重ね合わせの状態にあるというのは奇妙だと指摘するためのもの。ということは量子力学において重ね合わせはある、ということが前提なのだ。それを重ね合わせの説明に使ってはいけないだろう……(前提への反論が目的なので)。
この因果が逆転したような、時間が遡行してしまったような感じはにわかに受け入れ難いのだけれど、ジョン・ベルが提起し、それを元に実験された結果からはありうるらしい(量子力学以前の物理学では局在性が破れてしまう結果らしい)。
うーむ。そうなのか……。
すると、量子コンピュータは可能なのか、と思っていたら最後の方に言及されていてどうやら今はまだ、真空管をつくるぐらいのレベルっぽかった。