夏競馬の季節が終わり、ひさしぶりに開催された中山競馬場。無職になってはじめてのパドックは残暑きびしく、とても暑かった。
二階フロアの、本馬場に背を向けたパドック側のベランダ。そこからぼくは手すりにもたれかかってパドックを見下ろした。ぼくの正面には刻々と変化するオッズの電光掲示板が見え、眼下にはパドックを周回する競走馬たち。右手には馬主専用席が見えた。
無職になってはじめてのパドックはさすがに緊張した。心の奥底では自分には馬を見る目があると信じていたが、はたしてそれが正しいのか……。
その日のメインレースは武豊騎乗の馬が一番人気だった。ダンディコマンド。小倉で強い勝ち方をしてきた馬で二番人気は岡部騎乗のクロカミ。
残暑でひどく暑い日だった。
ダンディコマンドは馬格もよく、確実に抜けていた。ぼくにはそう見えた。周回する馬を次々にチェックしながらやはり武しかいない。この馬への単複と考えていた。
馬券で喰うために、やり方として単勝と複勝の一点買いと決めていた。単勝一に複勝二の割合い。複勝が一・五倍つけば、たとえ、二着か、三着でもチャラだ。それを保険として単勝を勝負と考えた。
枠連、馬連などはあまりにもいろんな買い方が考えられるので、シンプルにいくつもりだった。単勝複勝だけなら一頭の馬のことだけを考えれば、よい。
もちろん、控除率のちがいも承知していた。
馬券の控除率は約二五%だが、複勝と単勝は約五%、払い戻し金に加算されることになっている。つまり複勝と単勝の控除率は約八〇%ということだ。このことは長期間、馬券を買いつづければ、ボディブローのように効いてくるだろう。そして、ぼくは長期間、馬券を買いつづけるつもりだった。できるなら一生。
のちにアンドリュー・ベイヤーが「勝ち馬を探せ」の中で馬券は単勝で行くべきである、とのたまっていて意を強くしたものだった。ちなみにアンドリュー・ベイヤーの馬券作法はスピード指数――言葉はちがっていたが――をつかっての予想だった。スーパーパドックの解説書ではオリジナルような書き方をしていたけれど、考え方自体は昔からあるものらしかった。
馬券で喰うことを考えはじめたぼくは仕事を辞める前に何冊か、競馬関連の本を読んだ。
多くはない。古典ともいうべき「勝ち馬を探せ」をふくめて五冊ほどだった。いわゆる必勝本はまったく読まなかった。理由は簡単で必勝法があるならそれを本にする必要はない――そうであるなら必勝本は必勝と謳っているだけだ。
とくに馬券の払い戻しのシステムは必勝法が一般に知られれば、有効性をうしなうのだからなおのこと、必勝本というものはありえない。
同じ理由で、よくある馬券の予想サービスにも手を出す気にはなれなかった。
第一、他人の予想で馬券が的中してもつまらないではないか。
ところが馬券の先輩であるKさんは予想サービスにも登録していたし、モンテカルロ式と呼ばれる必勝法にも手を出していた。ぼくには当たり前と思えることも彼女にはそう見えていないのだ、と気づくのにしばらくかかった。
ひとつには彼女にとって馬券は投資のつもりがあったからかもしれない。
銀行に預けても金利がほとんどつかない――そんな時代だ。投資先を探していたのも当然だった。
モンテカルロ式というのはその買い方でカジノの胴元{ハウス}を破産させたという伝説の手法だった。それを馬券の買い方に応用した――というのがその必勝本の謳いだった。
詳細は忘れてしまったが、発想は次のようなものだ。
一番人気の馬が勝つ確率は三分の一である。また、二番人気も三分の一近い勝率である。それなら単勝オッズ三倍以上の一番人気の馬か、二番人気の馬を買えば、いい、という。
ルーレットの必勝法といわれる――もちろん必勝法ではない――赤黒の確率が二分の一であることを基本に、賭け金を倍々に上げていくというやり方がある。外れても賭け金を倍にしてあるので次の的中ですべてを取り戻せる、というものだ。
実はこれにはふたつの大きな誤謬が存在する。
まず取り戻せるから勝てるということではない、ということ。確率二分の一の目に倍々ゲームで賭けたところで勝つということにはならない。せいぜいイーブンというところだ。
そして、ここが重要だが、親の総取りという目が存在する以上、実は赤黒の確率二分の一ではない。賭けつづければ、親の総取りの確率分、負けていく。ちなみに親の総取りがなければ、三十六倍の一点賭けでも確率的にはイーブンになる。一点賭けがくる可能性は三十六分の一なのだから。
モンテカルロ式は結局、その応用編にすぎず、二分の一ではなく、三分の一の確率のものに賭け金を増やしていきながら賭けていくというものだ。最良のケースでイーブン。最悪は上昇した賭け金で一瞬にして破産……。
Kさんのモンテカルロ式は最初のうちは順調だった。
いつだってギャンブルは最初のうちは順調なのだ――しかし、すぐに負けがこんできた。
連敗するとこの手の必勝法はあっという間に賭け金が上昇していく上、当たるまで続けないといけないのが、つらいところだった。逆にいうと、横からその買い方をやめさせるのは難しい。次に的中すれば、今までの負けが一気に取り戻せるからだ。そう考えて賭け金が膨らんでいく。
Kさんは顔をひきつらせながら賭けつづけた。
詳細を知らなかったぼくは彼女のモンテカルロ式必勝本を読んでみた。
本の後半が成功例で埋められているあたり、いかにも典型的な必勝本だった。嘘臭さ一〇〇%の本。さらにぼくはモンテカルロ式の期待値を計算してみた。その結果、期待値が1を下回っていることがわかった。つまり回収率は一〇〇%を下回る――一〇〇%はイーブンだ――つまりモンテカルロ式は必敗法だったのだ。
そのことを伝えると彼女はそのやり方を即座にやめた。
それはぼくの言葉が響いたというだけではなく、膨れあがる賭け金にすでに限界を感じていたのだろう。
ちなみにモンテカルロ式がカジノの胴元{ハウス}を破産させたという伝説は胴元がわざと流布したものではないか、と最近のぼくは疑っている。理由はあきらかだ。胴元にとっては必勝法なのだから。
パドックはあいかわらずの陽射しだった。
周回している競争馬はどの馬も汗をかき、鞍の下から白く泡だった汗が流れている。クロカミも例外ではなかった。その中で汗をかいていない馬が一頭だけいる。武豊騎乗の一番人気の馬――ダンディコマンドだ。
パドックで汗をかいていないというのは基本的に好材料だ。イレこんでいないということなのだから。人でもそうだが、疲れているときの方が発汗は激しくなる。
――しかし、とふと気づいた。
こんなに暑い日にまったく汗をかかないのは逆におかしくないか、と。
その異常さに気づいたぼくは結局、二番人気のクロカミで勝負した。
結果は武の馬はまったくいいところもなく、着外。一着はクロカミだった。レース後、どうして走らなかったか、まったくわからない、と武自身がコメントしていたが、おそらくダンディコマンドは体調を崩していたのだろう、と思う。
この一件はぼくにパドックの重要性を確信させた。
同じ空間にいなければ、暑いのにどうして汗をかかないのか、ということに思い至らなかっただろう。テレビ越しに見ていたのなら汗をかいていないことを好材料ととらえていたにちがいない。
翌週の日曜日、準メインで地方競馬からの転厩馬で勝負した。
人気はなく、スピード指数もデータがないので判断しようがなかった。パドックで見つけての勝負だった。まだ、抑え気味の金額での勝負だったが、それでも単勝と複勝であわせていきなり七万ほど、浮いた。
なんとか、馬券で喰っていけそうだった。
アンドリュー・ベイヤー「勝ち馬を探せ!!」
2010年9月29日水曜日
2010年9月26日日曜日
馬券生活(3)
藤代三郎「外れ馬券に風が吹く」
どういうわけか、「ギャロップ」誌上の藤代三郎のコラム――「馬券の真実」とはシンクロすることが多く、ぼくは毎週、楽しみにしていた。戦友気分だった。たとえば、複勝ころがしのときもそうだったし、ターフジーニアスの単勝万馬券のときもまたそうだった――。
春先の未勝利戦。昼休み前のレース。
なぜか、そのときはいつもの後楽園ウィンズではなく、浅草ウィンズにいた。しかもひとりで――混雑した人ごみにまぎれ、ぼくはじっとパドックの実況を見つめた。
未勝利戦ということもあってどの馬もピンとこなかった。いいのがいないなぁ、と考えていると、その馬が画面にあらわれた。思わず、息を飲むほどだった。これは抜けている。まちがいなく買いだ――同時に表示されていたオッズもまた凄かった。単勝だというのに二万円台の万馬券だった。その人気のなさに恐怖を感じながらもこれはいくしかないだろう、と思っていた矢先、次の馬が画面に映し出された。
「うおっ」
次の馬も負けず劣らず抜けていたのだ。
その馬がターフジーニアスだった。こちらも単勝万馬券。
心の八割は最初の馬へいくことで決まっていた。
その決心をひるがえしたのは返し馬のときだった。最初の馬の本馬場入場したあと、走りをじっと見ていたぼくは失望を禁じえなかった。走りが重い。だめだ。この馬は――その直後にターフジーニアスの走る様子が飛びこんできた。
――エクセレント!
なにがどうすばらしいか、まったく説明できないが、これがすばらしく良かった。まちがいなく抜けている。
確信した。買うしかない。
単勝、複勝、ターフジーニアスからの総流し馬券を買うべきだ、と考えた。
ところがぼくがいた浅草ウィンズのフロアは千円単位でしか、買えなかった。しかたなく、単勝を千円、複勝を二千円、購入した。JRAの穴馬男、江田照男が騎乗したターフジーニアスはゴール寸前で先頭馬をかわし、見事にトップでゴールした。それがぼくの生まれたはじめて万馬券だった。
一〇、六七〇円の単勝万馬券。
当然、馬連も四六四一〇円の万馬券だった。
ぼくが浅草ウィンズでガッツポーズしていた同じ時刻、藤代三郎氏は中山競馬場でターフジーニアスの単勝万馬券をゲットしていた。「馬券の真実」によると、藤代氏もまた、ぼくと同じく返し馬でターフジーニアスを見いだしていた。
そのころにはスピード指数を元に買っていた自動購入馬券は百レース連続外れ、負け総額が百万に逹っしていた。
予定通りぼくはそのやり方を放棄した。その次のレースで的中がでていたが、おしいとは思わなかった。ぼくはすでにギャンブルの本質――不確定な未来への投機……その悦楽に嵌っていたのだ。プレイヤーとして参加できないからこそ、的中したときの快楽も深い。「騎手なら競馬もやっていいけれど」というのは結局、やったことのない人間のエクスキューズだったのだろう。
バブル後の不景気が煮詰まっていく中、仕事がひとつ、中止になった。
それがきっかけだった。
きっかけにしかすぎなかった。
細々と貯めてきた五百万を元手に馬券で喰えるか、試してみるつもりだった。
二度とプログラマーあるいは、システムエンジニアの職には戻らない。そう決心して仕事を斡旋してくれていた久保田さんと会ったのだった――。
どういうわけか、「ギャロップ」誌上の藤代三郎のコラム――「馬券の真実」とはシンクロすることが多く、ぼくは毎週、楽しみにしていた。戦友気分だった。たとえば、複勝ころがしのときもそうだったし、ターフジーニアスの単勝万馬券のときもまたそうだった――。
春先の未勝利戦。昼休み前のレース。
なぜか、そのときはいつもの後楽園ウィンズではなく、浅草ウィンズにいた。しかもひとりで――混雑した人ごみにまぎれ、ぼくはじっとパドックの実況を見つめた。
未勝利戦ということもあってどの馬もピンとこなかった。いいのがいないなぁ、と考えていると、その馬が画面にあらわれた。思わず、息を飲むほどだった。これは抜けている。まちがいなく買いだ――同時に表示されていたオッズもまた凄かった。単勝だというのに二万円台の万馬券だった。その人気のなさに恐怖を感じながらもこれはいくしかないだろう、と思っていた矢先、次の馬が画面に映し出された。
「うおっ」
次の馬も負けず劣らず抜けていたのだ。
その馬がターフジーニアスだった。こちらも単勝万馬券。
心の八割は最初の馬へいくことで決まっていた。
その決心をひるがえしたのは返し馬のときだった。最初の馬の本馬場入場したあと、走りをじっと見ていたぼくは失望を禁じえなかった。走りが重い。だめだ。この馬は――その直後にターフジーニアスの走る様子が飛びこんできた。
――エクセレント!
なにがどうすばらしいか、まったく説明できないが、これがすばらしく良かった。まちがいなく抜けている。
確信した。買うしかない。
単勝、複勝、ターフジーニアスからの総流し馬券を買うべきだ、と考えた。
ところがぼくがいた浅草ウィンズのフロアは千円単位でしか、買えなかった。しかたなく、単勝を千円、複勝を二千円、購入した。JRAの穴馬男、江田照男が騎乗したターフジーニアスはゴール寸前で先頭馬をかわし、見事にトップでゴールした。それがぼくの生まれたはじめて万馬券だった。
一〇、六七〇円の単勝万馬券。
当然、馬連も四六四一〇円の万馬券だった。
ぼくが浅草ウィンズでガッツポーズしていた同じ時刻、藤代三郎氏は中山競馬場でターフジーニアスの単勝万馬券をゲットしていた。「馬券の真実」によると、藤代氏もまた、ぼくと同じく返し馬でターフジーニアスを見いだしていた。
そのころにはスピード指数を元に買っていた自動購入馬券は百レース連続外れ、負け総額が百万に逹っしていた。
予定通りぼくはそのやり方を放棄した。その次のレースで的中がでていたが、おしいとは思わなかった。ぼくはすでにギャンブルの本質――不確定な未来への投機……その悦楽に嵌っていたのだ。プレイヤーとして参加できないからこそ、的中したときの快楽も深い。「騎手なら競馬もやっていいけれど」というのは結局、やったことのない人間のエクスキューズだったのだろう。
バブル後の不景気が煮詰まっていく中、仕事がひとつ、中止になった。
それがきっかけだった。
きっかけにしかすぎなかった。
細々と貯めてきた五百万を元手に馬券で喰えるか、試してみるつもりだった。
二度とプログラマーあるいは、システムエンジニアの職には戻らない。そう決心して仕事を斡旋してくれていた久保田さんと会ったのだった――。
2010年9月25日土曜日
長沼毅「「地球外生命体の謎」を楽しむ本」
「地球外生命体の謎」を楽しむ本
タイトルとは逆説的に、地球の生命体に関する本なのだけれど、非常に興味深くいろいろと考えさせられた。たとえば、深海に住む生物の話だ――熱水噴出孔にいるチューブワームの話など、太陽の光が届かないにもかかわらず、火山ガス(硫化水素)を吸収して代謝を維持しているのだ、という。
実は人類なども、とても遠くから望遠鏡で見てみれば、そんな風に見えるのかもしれない。過去に蓄積された石油などのエネルギーを食って繁栄している生物。そうであるなら熱水噴出孔が絶えれば、チューブワームも死に絶えるように、石油が絶えれば、人もまた――。
うーむ。
タイトルとは逆説的に、地球の生命体に関する本なのだけれど、非常に興味深くいろいろと考えさせられた。たとえば、深海に住む生物の話だ――熱水噴出孔にいるチューブワームの話など、太陽の光が届かないにもかかわらず、火山ガス(硫化水素)を吸収して代謝を維持しているのだ、という。
実は人類なども、とても遠くから望遠鏡で見てみれば、そんな風に見えるのかもしれない。過去に蓄積された石油などのエネルギーを食って繁栄している生物。そうであるなら熱水噴出孔が絶えれば、チューブワームも死に絶えるように、石油が絶えれば、人もまた――。
うーむ。
2010年9月24日金曜日
馬券生活(2)
――何か方法はないものか?
スピード指数の発想を理解し、払い戻しのシステムを知ったぼくはそう考えはじめた。ランダムで勝てるわけはないのだ。
そこでぼくはレース結果とスピード指数の関係を三ヶ月分、過去に遡って調べてみた。すると、ある組合せで一点買いでつづけると、最終的にはプラスになることがわかった。
三ヶ月分では検証データとしては短すぎるかもしれない。
でもこのあと、一年、データを収集しているあいだにプラスになったら大損だ。
やってみるか。
毎レース一万円の一点買い。資金の上限は百万円と考えた。そこまでつづけてみよう、と。百レース、やれば、一度は的中がでるだろうからたぶんだいじょうぶだろう。
弊害は思わぬところからやってきた。
競馬がつまらなくなってしまったのである。
それはそうだ。機械的に馬券を買うだけなのだから。
あまりにもつまらないのでぼくは遊びをはじめた。
複勝ころがしである。
当時、ぼくとKさんは毎週、朝一番で後楽園ウィンズへ行って馬券を購入した。ぼくの購入馬券ははじめから決まっていたので買ったあとは暇でしかたがない。そこで競馬場の中継を眺めて無聊を慰めていたのだが、そのうち、パドックと返し馬で馬の様子がわかるような気がしてきた。結構、選んだ馬が好走しているような気がする。
そこで思いついてしまったのだ。
パドックの訓練も兼て複勝ころがしというのはどうだろう、と。パドックと返し馬で選んだ馬の複勝を購入。的中した場合は払い戻しをそのまま、次の良さげな馬へ突っこむ。連勝すれば、複勝とはいえ、複利効果で払戻金はあっという間に膨れ上がることだろう。失敗したとしても最初の分だけだ。
それに複勝ならころがる可能性が高いのではないか?
千円からはじめて百万円を目標にした。
毎週、1レースか、2レース、ぽつぽつと、ころがしていった。
百万としたのには理由がある。
百万円の払い戻しは自動払い戻し機ではできないのだ。それ専用の、高額払い戻し窓口へ行く必要があり、その上、その百万円はJRAの帯封つきだ、という話だった。
つまり百万円の払い戻しというのは馬券を買う人間にとって一種のステータスなのである。
百万円コースといえば、思い出すのはホッカイマティスの複勝馬券だ。
たしか不良馬場の第5回中山三日目の最終、九〇〇万円下。冬だった。
二万円分の複勝を購入するところまでいきながらぼくはホッカイマティスのあまりの人気のなさに日和ってしまった。寸前で購入馬券を人気馬に切りかえてしまったのである。結果は購入した人気馬はどこかへ飛び、ホッカイマティス三着の、複勝五八八〇円の超穴馬券だった。
すぐそばを百万円コースがかすめていったのにぼくはそれをつかめなかった。
最初の複勝ころがしは二、三回で失敗してしまったが、二度目はうまくはまった。ころがりつづけた。四、五回ころがったところで十万をこえた。
まったくの偶然なのだが、その頃、藤代三郎氏が競馬専門誌「ギャロップ」誌上のコラムで複勝ころがしをやっていた。そちらも百万が目標で毎週、ぼくと歩調を合わせるように地道にころがりつづけ、それにつれてころがす金額も膨れあがっていった。
たしか新潟か、福島――いずれにしても裏開催だったことだけは覚えている。昼休み直後のレースで穴目の複勝を購入した。
ゴール寸前、かたまった馬群の最内を買った馬がつっこんできた。
――きた!
三着。
払い戻しが確定した瞬間、横に立っていたKさんがささやいた。
「……五十万、こえた……」
「そんなことないだろ」
ぼくは笑ったが、よくよく計算すると彼女が正しかった。
その複勝馬券は四倍近く、ぼくが突っこんだ金額は十四万円、近かった。ぎりぎり五十万円をこえていた。
驚いた。
もっとも並行してやっていたスピード指数まかせの自動購入馬券は五十万以上の赤字をだしていたので――五十レース以上、的中しなかったのだ――、トータルではまったくの赤字だった。それでもその五十万で負け額がかなり減る。
「確定することにするよ」
そういってぼくは払い戻しに向かった。
自動払い戻し機はしばらく札を数えてから五十万を吐き出した。
上機嫌になったぼくは試しに、と次のレースで一頭を選んだ。ころがしたとしたらこの馬だな、と――。
的中した。
「うそっ」
二着。複勝二・三倍。
ころがしていれば、百万円コースだった……。
ちなみ藤代三郎氏はぼくよりも二回、多くころがして百万円近くまでいった――最後の最後で失敗してしまったが。
藤代三郎「外れ馬券に風が吹く」
スピード指数の発想を理解し、払い戻しのシステムを知ったぼくはそう考えはじめた。ランダムで勝てるわけはないのだ。
そこでぼくはレース結果とスピード指数の関係を三ヶ月分、過去に遡って調べてみた。すると、ある組合せで一点買いでつづけると、最終的にはプラスになることがわかった。
三ヶ月分では検証データとしては短すぎるかもしれない。
でもこのあと、一年、データを収集しているあいだにプラスになったら大損だ。
やってみるか。
毎レース一万円の一点買い。資金の上限は百万円と考えた。そこまでつづけてみよう、と。百レース、やれば、一度は的中がでるだろうからたぶんだいじょうぶだろう。
弊害は思わぬところからやってきた。
競馬がつまらなくなってしまったのである。
それはそうだ。機械的に馬券を買うだけなのだから。
あまりにもつまらないのでぼくは遊びをはじめた。
複勝ころがしである。
当時、ぼくとKさんは毎週、朝一番で後楽園ウィンズへ行って馬券を購入した。ぼくの購入馬券ははじめから決まっていたので買ったあとは暇でしかたがない。そこで競馬場の中継を眺めて無聊を慰めていたのだが、そのうち、パドックと返し馬で馬の様子がわかるような気がしてきた。結構、選んだ馬が好走しているような気がする。
そこで思いついてしまったのだ。
パドックの訓練も兼て複勝ころがしというのはどうだろう、と。パドックと返し馬で選んだ馬の複勝を購入。的中した場合は払い戻しをそのまま、次の良さげな馬へ突っこむ。連勝すれば、複勝とはいえ、複利効果で払戻金はあっという間に膨れ上がることだろう。失敗したとしても最初の分だけだ。
それに複勝ならころがる可能性が高いのではないか?
千円からはじめて百万円を目標にした。
毎週、1レースか、2レース、ぽつぽつと、ころがしていった。
百万としたのには理由がある。
百万円の払い戻しは自動払い戻し機ではできないのだ。それ専用の、高額払い戻し窓口へ行く必要があり、その上、その百万円はJRAの帯封つきだ、という話だった。
つまり百万円の払い戻しというのは馬券を買う人間にとって一種のステータスなのである。
百万円コースといえば、思い出すのはホッカイマティスの複勝馬券だ。
たしか不良馬場の第5回中山三日目の最終、九〇〇万円下。冬だった。
二万円分の複勝を購入するところまでいきながらぼくはホッカイマティスのあまりの人気のなさに日和ってしまった。寸前で購入馬券を人気馬に切りかえてしまったのである。結果は購入した人気馬はどこかへ飛び、ホッカイマティス三着の、複勝五八八〇円の超穴馬券だった。
すぐそばを百万円コースがかすめていったのにぼくはそれをつかめなかった。
最初の複勝ころがしは二、三回で失敗してしまったが、二度目はうまくはまった。ころがりつづけた。四、五回ころがったところで十万をこえた。
まったくの偶然なのだが、その頃、藤代三郎氏が競馬専門誌「ギャロップ」誌上のコラムで複勝ころがしをやっていた。そちらも百万が目標で毎週、ぼくと歩調を合わせるように地道にころがりつづけ、それにつれてころがす金額も膨れあがっていった。
たしか新潟か、福島――いずれにしても裏開催だったことだけは覚えている。昼休み直後のレースで穴目の複勝を購入した。
ゴール寸前、かたまった馬群の最内を買った馬がつっこんできた。
――きた!
三着。
払い戻しが確定した瞬間、横に立っていたKさんがささやいた。
「……五十万、こえた……」
「そんなことないだろ」
ぼくは笑ったが、よくよく計算すると彼女が正しかった。
その複勝馬券は四倍近く、ぼくが突っこんだ金額は十四万円、近かった。ぎりぎり五十万円をこえていた。
驚いた。
もっとも並行してやっていたスピード指数まかせの自動購入馬券は五十万以上の赤字をだしていたので――五十レース以上、的中しなかったのだ――、トータルではまったくの赤字だった。それでもその五十万で負け額がかなり減る。
「確定することにするよ」
そういってぼくは払い戻しに向かった。
自動払い戻し機はしばらく札を数えてから五十万を吐き出した。
上機嫌になったぼくは試しに、と次のレースで一頭を選んだ。ころがしたとしたらこの馬だな、と――。
的中した。
「うそっ」
二着。複勝二・三倍。
ころがしていれば、百万円コースだった……。
ちなみ藤代三郎氏はぼくよりも二回、多くころがして百万円近くまでいった――最後の最後で失敗してしまったが。
藤代三郎「外れ馬券に風が吹く」
2010年9月23日木曜日
馬券生活(1)
「あの……」
もうしわけなさそうな声でおずおずとぼくはいった。
「今度の仕事が終ったら田舎に帰ろうか、と思ってまして」
ぼくの向かいの席に座っていた久保田さんは目を丸くした。
「そうなの」
「ええ、両親の体調がよくなくて。面倒みないとまずいかなと」
「そうかあ。残念だな。きみならすぐに次の仕事は見つかると思うんだけど」
今、やっている仕事が終了したあと、どうするかについて話していたのである。
ぼくは深々と頭を下げていった。
「もうしわけありません」
いつも吹きでる汗で眼鏡を曇らせている久保田さんはしかたない、という表情を浮かべた。
ぼくはもう一度、頭を下げた。
しかし、ぼくのいっていることはすべてでたらめだった。
三十五歳のころまでぼくははいわゆるレース系のギャンブルをやったことがない。競馬、競輪、競艇など、何かがゴールまで競いあい、それを予想しあうギャンブル――。
麻雀やパチンコはやっていたのに、レース系のギャンブルに手をつけてなかったのは田舎に住んでいたからというわけでもなかった。大学生活を送った佐世保には競輪場があったし、すこし足をのばせば、大村には競艇場があった。
にもかかわらず、手を出さなかったのは単純に興味がなかったからだ。
ひとつにはルールがわからない。
ふたつ、中島梓氏が何かのエッセイでいっていたように「騎手なら競馬もやってもいいけれど」という気分――プレイヤーとして参加できないために興味が持てなかった。
それが人生の折り返し地点をすぎたところで競馬に手をだしたのは当時、つきあっていた女性――Kさんの影響だった。
はじめての馬券のことはよく覚えている。
菊花賞に出場するダンスインザダークを応援するため、京都競馬場へ行ったKさんに馬券を買ってもらったのだ――予想も何もないスポーツ新聞の馬柱を眺めて適当に買った馬券だった。さすがに名前だけは知っていた岡部幸雄と武豊の名前から三点ほど選んだ。
結果はすさまじい足で最後方からダンスインザダークがすっ飛んできて、武豊のダンスインザダークの一着。二着には岡部のロイヤルタッチがはいった。馬連一七六〇円で三万円ほどのプラスになった。
それで簡単だと思ったわけではないのだが、毎週、後楽園ウィンズへ馬券を買いにいくKさんにつきあううち、ぼくも馬券を買うようになってしまった。暇だったのだ。そして、彼女がつかっているスーパーパドックというスピード指数をベースにした予想ソフトの出力結果を参考に買ったところ、これがまた、よく当たった。
そうすると、自然に興味を持ってくるもので、あるとき、ぼくはKさんにたずねた。
「馬券の払い戻しってどうやって決まるの?」
彼女は知らなかったのだが、ぼくはそういうことが気になるたちなのだった。
そして、それは子どものころからの疑問でもあった……。
単勝とか、馬連があることは子供心に知っていたが、払い戻しがどうやって決まっているのかがわからなかった。宝くじのようにあらかじめ公示されているわけではないのだから何か決めるやり方があるのだろうとは思っていた。しかし、さすがに子どもの想像力ではそれがわからなかったのだ。知識も足りなかった。
結局、こういうことらしい。
たとえば、馬連の場合。馬連の馬券の売り上げから主催者が二五%を天引きして取り、残金を的中した馬券へ均等に分配するのだ。そういうシステム。それを知ったとき、勝つのがきわめてむずかしいギャンブルに手をだしていることに気づいた。ランダムに馬券を買いつづければ、回収率は七五%に収束するからだ。つまり馬券で浮くには二五%以上、底上げする何かが必要だということになる。二五%は四分の一だ。それだけたとえ底上げできたとしてもイーブンでしか、ない。
閑話休題。
適当に買っていた馬券が的中していたのはどうやらビギナーズラックだったらしい。一ヶ月もすぎると、負けがこんできた。
もうしわけなさそうな声でおずおずとぼくはいった。
「今度の仕事が終ったら田舎に帰ろうか、と思ってまして」
ぼくの向かいの席に座っていた久保田さんは目を丸くした。
「そうなの」
「ええ、両親の体調がよくなくて。面倒みないとまずいかなと」
「そうかあ。残念だな。きみならすぐに次の仕事は見つかると思うんだけど」
今、やっている仕事が終了したあと、どうするかについて話していたのである。
ぼくは深々と頭を下げていった。
「もうしわけありません」
いつも吹きでる汗で眼鏡を曇らせている久保田さんはしかたない、という表情を浮かべた。
ぼくはもう一度、頭を下げた。
しかし、ぼくのいっていることはすべてでたらめだった。
三十五歳のころまでぼくははいわゆるレース系のギャンブルをやったことがない。競馬、競輪、競艇など、何かがゴールまで競いあい、それを予想しあうギャンブル――。
麻雀やパチンコはやっていたのに、レース系のギャンブルに手をつけてなかったのは田舎に住んでいたからというわけでもなかった。大学生活を送った佐世保には競輪場があったし、すこし足をのばせば、大村には競艇場があった。
にもかかわらず、手を出さなかったのは単純に興味がなかったからだ。
ひとつにはルールがわからない。
ふたつ、中島梓氏が何かのエッセイでいっていたように「騎手なら競馬もやってもいいけれど」という気分――プレイヤーとして参加できないために興味が持てなかった。
それが人生の折り返し地点をすぎたところで競馬に手をだしたのは当時、つきあっていた女性――Kさんの影響だった。
はじめての馬券のことはよく覚えている。
菊花賞に出場するダンスインザダークを応援するため、京都競馬場へ行ったKさんに馬券を買ってもらったのだ――予想も何もないスポーツ新聞の馬柱を眺めて適当に買った馬券だった。さすがに名前だけは知っていた岡部幸雄と武豊の名前から三点ほど選んだ。
結果はすさまじい足で最後方からダンスインザダークがすっ飛んできて、武豊のダンスインザダークの一着。二着には岡部のロイヤルタッチがはいった。馬連一七六〇円で三万円ほどのプラスになった。
それで簡単だと思ったわけではないのだが、毎週、後楽園ウィンズへ馬券を買いにいくKさんにつきあううち、ぼくも馬券を買うようになってしまった。暇だったのだ。そして、彼女がつかっているスーパーパドックというスピード指数をベースにした予想ソフトの出力結果を参考に買ったところ、これがまた、よく当たった。
そうすると、自然に興味を持ってくるもので、あるとき、ぼくはKさんにたずねた。
「馬券の払い戻しってどうやって決まるの?」
彼女は知らなかったのだが、ぼくはそういうことが気になるたちなのだった。
そして、それは子どものころからの疑問でもあった……。
単勝とか、馬連があることは子供心に知っていたが、払い戻しがどうやって決まっているのかがわからなかった。宝くじのようにあらかじめ公示されているわけではないのだから何か決めるやり方があるのだろうとは思っていた。しかし、さすがに子どもの想像力ではそれがわからなかったのだ。知識も足りなかった。
結局、こういうことらしい。
たとえば、馬連の場合。馬連の馬券の売り上げから主催者が二五%を天引きして取り、残金を的中した馬券へ均等に分配するのだ。そういうシステム。それを知ったとき、勝つのがきわめてむずかしいギャンブルに手をだしていることに気づいた。ランダムに馬券を買いつづければ、回収率は七五%に収束するからだ。つまり馬券で浮くには二五%以上、底上げする何かが必要だということになる。二五%は四分の一だ。それだけたとえ底上げできたとしてもイーブンでしか、ない。
閑話休題。
適当に買っていた馬券が的中していたのはどうやらビギナーズラックだったらしい。一ヶ月もすぎると、負けがこんできた。
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