2014年9月4日木曜日

藤子・F・不二雄「ドラえもん」

 昔、劇場版ドラえもんの宣伝のためか、iPhoneのアプリに原作マンガがいくつか、アップされていたことがある。その中のひとつは雑誌でたまたま読んだドラえもんの話だった——第1話である。なんと、ぼくは連載開始を読んでいたのだ。
 当然、第1話ということもあってドラえもんがどうしてのび太のところにやってきたのか、という説明があった。ジャイ子ではなく、シズカちゃんと結婚させるために(そのためにはのび太をしっかりさせる)未来から来た、と。
 そのあとタイムパラドックスに関して言及していた。
 のび太の子孫の説明はこうだった。

たとえば、きみが大阪へ行くとする。いろんなのり物や道すじがある。だけど、どれを選んでも、方角さえ正しければ大阪へつけるんだ。

 つまり東京から大阪へ引っ越しをするとき、いろんなルートがあるだろうが、途中の経過がいろいろあっても結果はかわらないよ、と。

 子どものころのぼくはそれをすっかり、誤読していた。
 実はのび太がこうたずねた、と思っていたのだ。
 未来からの干渉の影響でぼくんちが大阪に引っ越したらどうなるの?

 答えはそれで子孫がいろんな方法でいっしょに引っ越していくからだいじょうぶだよ、となぜか、そう読みとっていた(未来でも引っ越しするからだいじょうぶみたいなニュアンスに受けとっていた)。
 よくよく考えると、意味がわからない。
 子供心にも意味、わかんねーなー、とは思っていて、ずっとわかんねーなー、と思っていた。第1話を読みなおすまで。アホだ。まったく気づかなかった。

 で、改めて気づいた。
 あれ、この説明だと未来(結果)はかえられない、ということにならないか?
 つまりどんなルートをたどってもジャイ子と結婚する未来はかえられない。

 なんてことだ。
 ドラえもんの努力は徒労というわけだ。
 おそろしい……。