2009年5月12日火曜日

ゲアリー・マーカス「脳はあり合わせの材料から生まれた――それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ」


 原題は「KLUGE」
クルージとは技術用語であり、「エレガントにはほど遠く無様であるにもかかわらず、驚くほど効果的な問題解決法」というような意味だ。

 何点か、目から鱗。


 たとえば、文脈依存記憶。
 もちろんそんなこと、知っている。ちょっと自分の経験の照らしあわせて考えてみれば、人の記憶が連想的だということはすぐにわかる。それでもその考え方を適切な時に適用できるというかというとそういうわけではなく、それがすなわち、文脈依存記憶というわけだ。
 記憶した環境に近い方が思い出しやすい。
 これはたとえば、ハウツー本をいくら読んでみたところで実践では役に立たない、学校で習ったことは社会では役に立たない――まったくそうだとは思わないが――、ということでもあろうか……という風な感慨を抱くのもこの本のおかげ。


 個人的には脳の構造からして人がクルージであることは当然のような気はするのだけれど、そうではなく、神がデザインしたかのように完成されていると考える人がけっこう世の中にいるらしいとか。それ自体がバイアスだよなぁ、とか。


 行動ファイナンス方面の知見も多く紹介されているので既知のものもあったけれど――アンカリングとか――、ちょっとショックを受けたのが

心理学者のメルヴィン・ラーナーが、「公正な世界という信念」という価値観とも言うべき価値観を紹介している。

というやつ。
 つまりだ。
 それは自業自得だろうというとき、ぼくたちはこの世の中は公正だという前提で話をしている。「派遣社員が職を失なうのは自業自得だろう」とか。でもその意見を述べるとき、世の中が公正であるか、どうかという検証はされていないのではないか、と。まぁ、検証は無理だろうけど。