2009年5月6日水曜日

赤木智弘「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」


 突っ込みや反論を山ほどいれながら読み進めているうちに読みたいと思っていた著者の出世作である「『丸山眞男』をひっぱたきたい――三十一歳、フリーター。希望は、戦争」にたどりついた。
 それ以降は思わず居ずまいを正して読みふけってしまう。
 とくに「けっきょく、『自己責任』ですか――続『「丸山眞男」をひっぱたきたい』『応答』を読んだ」は考えこまされてしまった。
 もちろん

この一般的な家族がいま望む平和とは、自身の身のまわりの安全・安心を守ることなのです。

(中略)

自分の生活や自分の家族を守るために、バブル崩壊の責任をとることを拒否し、いまだ生活基盤や家族を持たないポストバブル世代を排除し、もしくは冷遇し、そのあがり、すなわち本来ならばポストバブル世代が得るべき給料を、安定労働者層の家族の安全安心のために利用する。

という著者にたいし、「ポストバブル世代であっても結婚し、家族を持ち、安定労働者層もいるのではないか?」と問い返すことは可能だろうが、あまり意味があることとは思えない。それで著者のルサンチマンが解消されるわけでもないだろうし、否定できるとも思えない――結婚もできず、家族も持てないポストバブル世代は確実に存在するだろうからだ。
 そして、著者よりも14年ほど早く生まれただけのこちらとしては「伝わったとしても、何もしない人ばっかりかもしれない」といわれても何もできず、憂鬱な気持ちを抱えこむしかないのだけれども。


 そう何もできないという諦念がある。


 たとえば、「九五年レポート」はぼくには「みんなで豊かになることは不可能だ」という産業界からの宣言に思えてしかたがないのだ……。