2009年6月29日月曜日

マルコム・グラッドウェル「天才! 成功する人々の法則」


マルコム・グラッドウェル「天才! 成功する人々の法則」

 シンクロニシティというか、この本を読む前につらつら考えていたことがある。

 ある人は才能があるとか、ないとか、人はいうけれど、実はそれは意味のないことではないか、と。才能がある、というとき、人は結果を見て事後的にそう判断しているだけだからだ。たとえ、結果をだしていない人間にたいして才能があるということがあってもそれが正しいかどうかなど、結果がでるまでわからないのだから。そうやって考えると、おれには才能があるんだ、とうぬぼれている人間にしろ、あの人は才能があるから、とやっかむ人間――ともになんの意味もない、とかなんとか。

 なのでこの本は実は「成功する人々の法則」ではない、と思うのだが。まぁ、それはおれが成功してない人間で、そのように読んでしまっただけかもしれない。成功している人間はこの本に、成功する法則を読みとるのかもしれない。一万時間の法則(一万時間をかければ、一流になれる)とかね。

 一万時間ねぇ……睡眠なら確実に一万時間超えているんだが。でもこれは睡眠なんか、一万時間超えていてもしかたがない、というよりだれもが、一万時間超えているからともいえるよな。つまり一万時間の法則も多数の人間が一万時間を超えることができない、という前提を必要とするわけだ。

 そう考えるとプロ棋士がパソコンで棋譜をすぐに検索できるという優位があっという間に無効になり(だれもがパソコンを使うので)、結局、その先が問題になる――という話と同じだ。きっとパソコンがなかったとき、トップクラスには一万時間が必要だったが、パソコンで棋譜が研究できる今も同じようにトップクラスに入るには一万時間が必要なのかもしれない。

 差を生み出すのが一万時間なのだろうか。