ヴィズ・ゼロ
いつか読みたいと思っていた一冊だった。
元々、関西国際空港を舞台にしたテロものっておもしろいんじゃね? とずっと思っていたのだ。謎のテロ集団に占拠され、孤島と化した関西国際空港! 政府に突きつける12億の身代金! ――てな。映画にも小説にもなってないよなぁ、と思っていた矢先、「堀晃のSF HomePage」で福田和代の「ヴィズ・ゼロ」の存在を知った。まさにそのような作品らしい。
読後、複雑な気分にさせられた。
最後までおもしろかったのだが――読み終えたのだからもちろんそうだ――、ふと懸念を抱いてしまった。もしかしたら古き良き冒険小説はもう現代を舞台にしては成立しないのだろうか、と。古き良き冒険小説というのはたとえば、アリステア・マクリーンの「ナヴァロンの要塞」であり、「北極戦線」であり、デズモンド・バグリィの「高い砦」であり、ハンス・オットー=マイスナーの「アラスカ戦線」だ。第二次大戦に時代を設定すれば、可能かもしれないが、2000年以降の現代ではどうだろう、と。
未読だけれども「プロメテウス・トラップ」のことを考えれば、作者の個性による偏差なのかもしれないのだが、「ヴィズ・ゼロ」は冒険小説的な道具だてのおもしろさよりも「ファントム」が際立っている――事実、ラストにあるように「ファントム」がかくれた主人公でもある。つまりハッカー小説のおもしろさ。
「CORE」という映画を観たとき、確信したのだが、ハッカーは現代に蘇えった魔法使いである。勇者の物語の中で、魔法使いの役割といえる。勇者に機会をもたらすジョーカー。
古き良き冒険小説――「大人の男のための男の物語」――は魔法使いのいない勇者の物語だ。世界には魔法などない、という苦い認識から出発した物語。だからこそ、肉体のみをたよりとする物語になる。しかし、日常の隅々までコンピュータネットワークが張り巡らされつつある現況ではフィクションの中で魔法使いとしてのハッカーが蘇えってきつつある。そのことが悪いということはまったくないのだが――そうであるなら、古き良き冒険小説――勇者のみの物語は成立しづらくなるのも当然なのかもしれない。