【注意】物語のラストに言及してます。
印象的だったのは終演した直後だ。
場内が真っ暗闇になり、明かりが点くまでだれも身じろぎひとつ、しわぶきひとつあげなかった。だれもが唖然としていたのだ、と思う。明かりが点くとようやくのろのろと動き出し、苦笑したり、かすかに笑ったり人間もいたが。
怒涛の後半をうまく消化できなかった。
消化できないのは感情的にだ。TV版の、今までの「魔法少女まどか☆マギカ」を知っているならなおのこと。しかし、ストーリー的にはきわめて論理的に最後に至った。ここまでやってしまったのか、という思いもある。
その手前で止めれば、傑作とだれもがいう作品だっただろう。
でも物語はその先まで進んでしまった。
虚淵〜っ、と怒涛の後半を観ながら悲鳴をあげていた。そこまで行っちゃうの、と。
終演直後から何度も話を反芻し、頭で考えれば、傑作なんだよな、と思って考えこんでしまった。感情がついてこない。元々、論理的な構造を持つ物語だ。論理的に話を進めれば、ああなるのは必然だともいえる。そして、それを極限まで推し進めている。そういう意味では傑作なのだが、うまく消化できない。
気づいたのはあのラストに至るような話は世の中にいくらでもあるだろうが、「魔法少女まどか」では決定的に欠けている要素がある、ということだ。ほむらの、まどかにたいする独占欲——それがこの話にはない。それがあったのならむしろ、あのラストは普通でわかりやすかった。作品としては傑作とは呼べないだろうが。今まで似たような話はいくらでもあっただろうし、悪女の深情けをモチーフしたものはほぼ、そのようなパターンになるだろう。
ところが、ほむらには独占欲がない。
最終的な世界でほかの魔法少女も健在だという点で、ほむらはまどかを独占したわけではない、ということははっきりしている。むしろ、ほむらは神になってしまったまどかを人間に引き戻したのだ(神を人間にひきずり落とした、というとちがうニュアンスになってしまうので注意)。そういう視点で見ると、ほむらは最初の思い——「守られる私ではなくて守る私になりたい」を達成したのであり、「あなたはこんなところでひとりぼっちで永遠に」というまどかを救ったのだ。
ただ、それが神になってまで魔法少女たちを救ったまどかの願いを潰えさせてしまったところがこの話のえぐいところだ(だから「叛逆の物語」)。映画の中では明確に描かれていないが——論理的にそうならざろうえない。だからラスト近くでまどかとほむらが対立する予兆をはらむ。
そして、そういう視点で見ると、ほんとうに最後のところ(ぼろぼろのきゅうべえがあらわれるところ)、あれは……。傾いた姿勢で椅子に腰かけているほむら、そして、そのあとの落下は、ほむらの狂気と自殺を暗示しているのではないか。そうか。そこまでいかないといけなかったのだ、この物語は。
たぶんこんな話、見たことないし、読んだこともない。神になった話も堕ちた神の話もあるが、神になった人間を人間に引き戻す話は寡聞にして聞いたことがない。
そういう意味ではやはり「魔法少女まどか☆マギカ」は凄い。