猿の詩集〈上〉
猿の詩集〈下〉
傑作だ。
すくなくとも個人的には丸山健二の最高傑作ではないか、と思っている。ついに「千日の瑠璃」をこえたのではないか、とも。
丸山健二との出会いは「君の血は騒いでいるか」――などのエッセイだったけれど、「雨のドラゴン」「ときめきに死す」などに痺れ、「惑星の泉」以来、年毎の新作を楽しみにしていた。とくに「水の家族」「野に降る星」「白と黒の十三話」「見よ、月が後を追う」など、すばらしく、「千日の瑠璃」ではひとつの高みにのぼってしまった感があった。それ以降ももちろんコンスタントに作品を世に問うていたのだが、やはり「千日の瑠璃」をこえることはできない、というのが私見だった。ひとつには丸山健二の政治観が一面的すぎる、というのがある。ぼくにとってあまりにも現実感のない言説なのだ。つまり納得できない。
「鉛のバラ」まではほぼ、リアルタイムで追いかけた。
ところが「貝の帆」で追うのをやめてしまった。丸山健二が「貝の帆」で変わろうと意思していたこともあるが、こちらの生活がフィクション離れを起こしていてこともある。だからすっかり丸山健二とはご無沙汰してしまっていたのだが、そんなときだ。「猿の詩集」の上下巻に出会ったのは。
あいかわらずの緊密な文体に酔い痴れながら読み進み、不安を感じながら下巻に突入した。不安というのは「争いの樹の下で」のように現実感のない政治的な言説にまみれてしまうのではないか、という不安だ。たしかに丸山健二の政治観はあいかわらずではあったけれど、それに拘泥することなく、下巻は進み、進みつづけ、そして、ラストへ――。大袈裟すぎる言い方だが、魂が震えた。
「貝の帆」からの変化がこの作品を生み出したのはまちがいない。それ以前ではほとんどあつかうことのなかった男女の睦み事を「猿の詩集」ではきちんと描写しているからだ。そして、登場人物の多彩さも「貝の帆」以前の丸山健二にはあまり見られなかった特徴だ。なにしろ「虹よ、暴力の虹よ」では登場人物がほとんど三人しかいないという過激さなのだ。
いずれにしてもぼくの前には「貝の帆」から「猿の詩集」までの著作が存在するわけで、ぼくはそれをとても楽しみにしている。
2010年5月31日月曜日
2010年5月13日木曜日
忘れられない騎手がふたりほど
どうしても忘れられない馬がいるように忘れられない騎手もいる。
それがたとえば、岡部幸雄とか、武豊とか、いわゆる名騎手でなくとも。馬券にまみれていたぼくだ。もちろんそれは外れ馬券の思い出とリンクしているのだが。
ひとりは後藤浩輝。
まだ、リーディング争いをするような騎手ではなく、アメリカ修行をした直後の後藤浩輝だ。当時のぼくの馬券は完全なパドック派で、パドックで見つけた馬の単勝へどかんと賭ける。そんな競馬をやっていた。
そんなある日。
これは抜けている。絶対だ、と思える馬を見つけた。いつだったか、開催はどこだったか、すっかり忘れてしまったが、短距離戦でその馬名はスリルオブターフ、という。
母親も父親も知らない。血筋なんてまったく関係がないぼくは当然、勝負にでた。どかんと単勝馬券を一点購入。金額は忘れた。一万円以上だったはずだ。
ゲート入りがすみ、スタート。
一頭がまったくスタートせずに出遅れ。それがスリルオブターフだった。
――うそっ!
短距離で出遅れは致命的だ。
最終コーナーを回り、すさまじい勢いで最後方からスリルオブターフは駆けあがってきたが、あまりにも離されすぎていた。届かない。はっきりいってぼくはぶち切れた。ありえないだろう。だれだ、ヤネは。
それが後藤浩輝だった。
しかもその日か、すこしあとにテレビで後藤浩輝がクローズアップされて彼はアメリカ修行で何を学んだか、という質問にこう答えたのだ。
「――スタートの大切さです」
ありえねーーーーーーーーだろーーーーーーーーーーーーーっ。
もちろんぼくは絶叫しましたがな。思いっ切りテレビに向かって。
もうひとり、忘れらない騎手がいる。現在、JRAで唯一の女性ジョッキーで最初の女性ジョッキーのひとりだった増沢由貴子――当時、牧原由貴子――落馬事故で姿を見なくなり、もう引退しているとばかり思っていたが、まだ現役でがんばっていた。結婚してしまっていたが。
たしか、東京競馬場だと記憶している。もしかしたら中山かもしれない。
あいかわらず、パドックにかよっていたぼくはこのときも抜けている穴馬を見つけた――見つけた、とぼくは思った。もちろん買うつもりだった。買うしかないと思っていた。
ところがパドックの周回が終わり、騎手が騎乗したときに女性ジョッキーだということに気づいたぼくはだめだ、と判断してしまったのだ。女性騎手が馬を押せるわけがない。というわけで買うのをやめてしまった。
調教師が馬のかたわらにまでやってきてジョッキーと談笑していたのがひどく印象的に残っている。この馬がこのレースを最後に引退することになっているとはそのときのぼくは知らなかった。それを知っていれば、何かがかわっていたかはわからないが。
レースはスタート直後から増沢由貴子が逃げた。ペース。馬との折り合い。どれをとってもうまい、というレース展開だった。馬の状態がいいことはパドックで確信している。そのうえ、ほぼベストといえるような騎乗。最終を回ったときにはこのまま、逃げ切ってもおかしくない状況だった。臍を噛む思いというのはこのことだ。
どうして馬券を買ってないんだぁっ。
直線でもうまく馬をもたせた増沢(牧原)由貴子はトップでゴールした。
たぶん二千円ぐらいの単勝払い戻しだったと思う。
後悔にふらふらになったぼくは女性だからといってあまく見てはいけないことを痛感したのだった……。後年、川崎競馬場で海外の女性ジョッキーが騎乗する単勝万馬券の馬に一万円、突っこんで複勝をゲットしたことがあるが、このときの教訓が生きていたのだろう。もっともそのときはどうして単勝を買ってなかったのか、と後悔したが。複勝ではなく単勝を買っていれば、百万円コースだったのである。
馬鹿だ。
それがたとえば、岡部幸雄とか、武豊とか、いわゆる名騎手でなくとも。馬券にまみれていたぼくだ。もちろんそれは外れ馬券の思い出とリンクしているのだが。
ひとりは後藤浩輝。
まだ、リーディング争いをするような騎手ではなく、アメリカ修行をした直後の後藤浩輝だ。当時のぼくの馬券は完全なパドック派で、パドックで見つけた馬の単勝へどかんと賭ける。そんな競馬をやっていた。
そんなある日。
これは抜けている。絶対だ、と思える馬を見つけた。いつだったか、開催はどこだったか、すっかり忘れてしまったが、短距離戦でその馬名はスリルオブターフ、という。
母親も父親も知らない。血筋なんてまったく関係がないぼくは当然、勝負にでた。どかんと単勝馬券を一点購入。金額は忘れた。一万円以上だったはずだ。
ゲート入りがすみ、スタート。
一頭がまったくスタートせずに出遅れ。それがスリルオブターフだった。
――うそっ!
短距離で出遅れは致命的だ。
最終コーナーを回り、すさまじい勢いで最後方からスリルオブターフは駆けあがってきたが、あまりにも離されすぎていた。届かない。はっきりいってぼくはぶち切れた。ありえないだろう。だれだ、ヤネは。
それが後藤浩輝だった。
しかもその日か、すこしあとにテレビで後藤浩輝がクローズアップされて彼はアメリカ修行で何を学んだか、という質問にこう答えたのだ。
「――スタートの大切さです」
ありえねーーーーーーーーだろーーーーーーーーーーーーーっ。
もちろんぼくは絶叫しましたがな。思いっ切りテレビに向かって。
もうひとり、忘れらない騎手がいる。現在、JRAで唯一の女性ジョッキーで最初の女性ジョッキーのひとりだった増沢由貴子――当時、牧原由貴子――落馬事故で姿を見なくなり、もう引退しているとばかり思っていたが、まだ現役でがんばっていた。結婚してしまっていたが。
たしか、東京競馬場だと記憶している。もしかしたら中山かもしれない。
あいかわらず、パドックにかよっていたぼくはこのときも抜けている穴馬を見つけた――見つけた、とぼくは思った。もちろん買うつもりだった。買うしかないと思っていた。
ところがパドックの周回が終わり、騎手が騎乗したときに女性ジョッキーだということに気づいたぼくはだめだ、と判断してしまったのだ。女性騎手が馬を押せるわけがない。というわけで買うのをやめてしまった。
調教師が馬のかたわらにまでやってきてジョッキーと談笑していたのがひどく印象的に残っている。この馬がこのレースを最後に引退することになっているとはそのときのぼくは知らなかった。それを知っていれば、何かがかわっていたかはわからないが。
レースはスタート直後から増沢由貴子が逃げた。ペース。馬との折り合い。どれをとってもうまい、というレース展開だった。馬の状態がいいことはパドックで確信している。そのうえ、ほぼベストといえるような騎乗。最終を回ったときにはこのまま、逃げ切ってもおかしくない状況だった。臍を噛む思いというのはこのことだ。
どうして馬券を買ってないんだぁっ。
直線でもうまく馬をもたせた増沢(牧原)由貴子はトップでゴールした。
たぶん二千円ぐらいの単勝払い戻しだったと思う。
後悔にふらふらになったぼくは女性だからといってあまく見てはいけないことを痛感したのだった……。後年、川崎競馬場で海外の女性ジョッキーが騎乗する単勝万馬券の馬に一万円、突っこんで複勝をゲットしたことがあるが、このときの教訓が生きていたのだろう。もっともそのときはどうして単勝を買ってなかったのか、と後悔したが。複勝ではなく単勝を買っていれば、百万円コースだったのである。
馬鹿だ。
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