2010年1月18日月曜日
2010年1月11日月曜日
2010年1月9日土曜日
中島梓「転移」
転移
「アルコール依存症にもなったし」というくだりに軽くショックをうけた。
スティーヴン・キングも「小説作法」を読むかぎりではコカイン中毒で、アルコール依存症だったらしいし、笠井潔「スキー的思考」で少しだけ描かれていた中井英夫もアルコール依存症だったように見える。
どんなに才能があったとしてもそれだけ小説家という職業はきびしいということだろうか。中島梓――栗本薫のアルコール依存症が小説に関するストレスのためなのか、どうかは書かれていないが。
それにしても中島梓がかぁ、という思いがある。
彼女がまさに彗星のごとくあらわれたときことは覚えていて当時、高校生だったぼくはまぶしいものを見るような思いで見ていたものだった……「平凡パンチ」だったか、「週刊プレイボーイ」にインタビュー記事が載ったのだ。まだ、乱歩賞をとる前で中島梓としてのインタビューだった。ヤングサイダーメッセージというタイトルのシリージのひとつだったように記憶している。その中で飛ぶように駆けるように小説を書いていて、読むに耐える長編は二本とか、いっていた。そのうちの一本が乱歩賞を獲った「ぼくらの時代」だったのではないか……。
乱歩賞受賞以前にもすでに「奇想天外」というSF専門誌で作家論をはじめていて――ぼくはそれを毎号、何度も読み返していた。それがあるとき、「ヒロイックファンタシィノート」という評論を載せたあと、あの「グイン・サーガ」が凄い勢いで出力されはじめたのだった。
もうあれから30年以上が経っているのか。
2009年5月26日、中島梓永眠。合掌。
「アルコール依存症にもなったし」というくだりに軽くショックをうけた。
スティーヴン・キングも「小説作法」を読むかぎりではコカイン中毒で、アルコール依存症だったらしいし、笠井潔「スキー的思考」で少しだけ描かれていた中井英夫もアルコール依存症だったように見える。
どんなに才能があったとしてもそれだけ小説家という職業はきびしいということだろうか。中島梓――栗本薫のアルコール依存症が小説に関するストレスのためなのか、どうかは書かれていないが。
それにしても中島梓がかぁ、という思いがある。
彼女がまさに彗星のごとくあらわれたときことは覚えていて当時、高校生だったぼくはまぶしいものを見るような思いで見ていたものだった……「平凡パンチ」だったか、「週刊プレイボーイ」にインタビュー記事が載ったのだ。まだ、乱歩賞をとる前で中島梓としてのインタビューだった。ヤングサイダーメッセージというタイトルのシリージのひとつだったように記憶している。その中で飛ぶように駆けるように小説を書いていて、読むに耐える長編は二本とか、いっていた。そのうちの一本が乱歩賞を獲った「ぼくらの時代」だったのではないか……。
乱歩賞受賞以前にもすでに「奇想天外」というSF専門誌で作家論をはじめていて――ぼくはそれを毎号、何度も読み返していた。それがあるとき、「ヒロイックファンタシィノート」という評論を載せたあと、あの「グイン・サーガ」が凄い勢いで出力されはじめたのだった。
もうあれから30年以上が経っているのか。
2009年5月26日、中島梓永眠。合掌。
2010年1月3日日曜日
星新一など
NHKの星新一のショートショートで「無料の電話」という作品を見て愕然としてしまった。電話が無料なのはCMがはいるからなのだが、これはまさに「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」にあった戦略だし、会話の内容にあわせてCMがはいるあたりなどはGoogleの検索ワードにあわせてCMが表示されることを思わせる。まさに未来を予言していた内容といえるだろう(もちろん予言するつもりだったわけではないだろうが)。
まさに星新一の凄さを再認識させられた一本だった。
しかし。
とも思う。このアイデアを今、得たとしたら書けただろうか、と。
書けなかっただろう。
そういう意味では「無料の電話」は過去に書かれたからこそ、現在に書かれたものではないからこそ、成立しえた。それは作品を保たせようと時事を排し、必死に細部に手を入れていた星新一のことを思うとなんと皮肉なことだろう。ショートショートの核ともいえるアイデア自体に時限爆弾が仕掛けられていた、ということではないか。
しかし、それでも「無料の電話」はおもしろい、と語り伝えられるだろう。
それは過去に書かれたという事実があるからだ。読者はそれを念頭に読んでいるかぎり、「無料の電話」のおもしろさはこれからもかわらないだろう。むしろぼくのようにそのことを念頭に置いていたからこそ、すごさを認識することもありえる。
それでも星新一は懸命に細部に手を入れ、作品を保たせようとしていた。
どうしてだろう。それがなぜか、哀しい。
星新一の、あの執着にはあまり意味はなかったのだろうか、と。
まさに星新一の凄さを再認識させられた一本だった。
しかし。
とも思う。このアイデアを今、得たとしたら書けただろうか、と。
書けなかっただろう。
そういう意味では「無料の電話」は過去に書かれたからこそ、現在に書かれたものではないからこそ、成立しえた。それは作品を保たせようと時事を排し、必死に細部に手を入れていた星新一のことを思うとなんと皮肉なことだろう。ショートショートの核ともいえるアイデア自体に時限爆弾が仕掛けられていた、ということではないか。
しかし、それでも「無料の電話」はおもしろい、と語り伝えられるだろう。
それは過去に書かれたという事実があるからだ。読者はそれを念頭に読んでいるかぎり、「無料の電話」のおもしろさはこれからもかわらないだろう。むしろぼくのようにそのことを念頭に置いていたからこそ、すごさを認識することもありえる。
それでも星新一は懸命に細部に手を入れ、作品を保たせようとしていた。
どうしてだろう。それがなぜか、哀しい。
星新一の、あの執着にはあまり意味はなかったのだろうか、と。
2010年1月1日金曜日
2009年決算
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